転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



夏から引っ張り続けた、マズルカ作品59-2の本番だった。
課題は多々残ったと思うのだが、とりあえず、
あれほど垣根を感じていたショパンの作品、特にマズルカを、
なんとか一曲弾くところまで仕上げることが出来たのは、
私にとっては、大きなことだった。

実は今朝、一応、家でも一度は弾いてから出るかな、と思い、
まだ着替えもしないうちに、アップライトに向かって、
ヘッドフォンなしに、音を出してマズルカを通して弾いてみた。
そうしたら、まあ、なんということでしょう、
このときは、ビックリするほど巧く弾けたのであった(爆)。
かねて、自分的難所だと思っていた複数の箇所など全く問題なく、
やろうと予定していたことはひとつも忘れず、
すべて絶妙のタイミングでピタリピタリと決まって、
おい待て、あたしゃ天才だったんかい!(殴&蹴)、
という出来映えだった。
ああ、今のが本番だったら良かったのに!!
…………寝間着だよ(爆)。

ピークに持っていったのが、どうも若干、早かった。
残念ながら本番は、朝の起き抜けに較べると、いくつもミスをした。
しかし何も無かったフリをして最後まで通すことは、できた(殴)。
何より、これまでの練習のとき幾度かやらかした、
『これをやったら収拾がつかない!!オワってしまうぞ!!』
という致命的な大事故だけは、きょうは、起こさなかった。
それが何よりだった。

とにかく無事に本番が済んだ。
良かった良かった。
指導して下さった先生、助言を下さったたくさんの方々、
この拙日記を見て下さった方々、
そしてきょう聴いて下さった皆様に、心からの御礼を申し上げます。
本当に本当に、ありがとうございました<(_ _)>!!

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玄関のニッチにも、小さいクリスマスツリーを飾った。
我が家のツリーには歴史があって(笑)、
最初に買ったのが、この、今玄関に置いた最小サイズのヤツだった。

そもそも私の実家には、ツリーなるものがなかった。
田舎のお化け屋敷だったし親も忙しくて、ツリーなど念頭になく、
いつか将来、自分の家を持ったら、クリスマスツリーを飾りたいな、
と、私は小学生の頃に『わんわん物語』の絵本を見ながら思っていた。
しかし親の家から独立したあとも、自分で借りたアパートは狭かったし、
世の中がバブルで盛り上がっても、公務員だった私は生活が大変で
(不況の今は信じられないでしょうが、そういう時代があったのです)、
それに男友達も居やしなかったので(爆)クリスマス何それ状態だった。

福岡での新婚生活も、最初は築50年の2DKの官舎だったから、
家を飾るよりも、押し入れの中の水漏れ対策のほうが急務だったし、
余分なお金があるなら、台所に湯沸かしを付けるか(官舎は水道だけ)、
居間用にガスストーブを買うか、どっちが先?という暮らしだった。
それでも、娘が生まれてからは、いつしか子供中心の生活になって、
90年代半ばの松江の官舎の頃からは、季節行事を意識するようになり、
転勤で神戸に行った98年の暮れに、官舎の近くにあった新神戸OPAの、
地下の雑貨屋さんで、写真のツリーを買ったのだった。
50センチツリーに、オーナメントも電飾もセットで、中国製で、
なぜか覚えているのだが、値段が999円だった。
今思い出しても、あのときは嬉しかったね(^^)。

これの次に買ったツリーは、今年は飾っていないのだが90センチので、
今治の官舎の居間が、それまでより多少広かったので、買った。
値段は覚えていないが、ネット通販で、
娘の気に入った、猫?の飾りがついていたので選んだ記憶がある。
50センチのが90センチになると、俄然大きくなった感じがして、
これまた嬉しかった。
ときどき100円ショップに出かけて、
ツリーの飾りを娘と一緒に選んで買い足したりしたものだ。

そして今、マンションのリビングに飾っているのが120センチのツリーで、
これは2003年に舅宅で同居を始めた年のクリスマスに、新調した。
結婚して以来、初の一戸建ての家に住めるのが嬉しくて、
ツリーも初めて、卓上サイズでないものを買ってみたのだった。
ああ、私はついに、クリスマスツリーを飾る家、を実現させた、
とひとり感慨にふけったものだった。

どれも、最初から持っていたわけではなかった。
ちょっとずつ、ひとつずつ、大きいものが飾れる暮らしになった、
……ということを、忘れないようにしないといけないなあ、
と思った、師走の朝だった(笑)。

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