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転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



衆院選は予想通りというか、若干予想以上ではあったが、
ほぼ、事前の評判通りで、意外さの無い結末だった。
広島など、「未来の党」の亀井静香が出ていた広島6区以外は、
開票開始と同時に、軒並み自民党候補に当確が出た。
衆院選2012:自民大勝294・民主57・維新54…議席確定(読売新聞)

私としては、選びづらい選挙だった。
どの党にも「それは勘弁して欲しいわぁ」と思う面があり、
しかし私がここで縷々エラソーに述べてきた理屈で言えば、
我慢できないなら、私が立候補しないといけないので(爆)、
そうしなかった以上は、どこかに入れるしかなかった。
だから消去法で、納得はしていないが他よりは我慢できるかもしれない、
と思った党と候補者に入れた。

前回の選挙後にも書いたが、自分の入れた候補が通っていようがいまいが、
出た結果については、私は常に受け入れる、という考えだ。
どこが与党でも、自分にできる協力はしたいと、いつも思っているし、
また今後、新たな選挙や国民投票などという展開になるときには、
意志の表明は必ずして行くつもりだ。
ちなみに、昨夜の野田総理の会見は、私は適切な内容だったと思っている。
政権交代への国民の熱い期待に、民主党が応えられなかった、
それがすべてだと私も思った(自民党の小泉進次郎も同じことを言っていた)。
そして、今更言ってもせんないことではあるのだが、
戦後長い間皆が忘れていた、変な方向のナショナリズムが再燃してきたのは、
民主党政権のヘタさ加減が原因だったと、その点、私は心から不快に思っている。

それと、投票率の低さは大変残念だったと思うのだが、
一部の政治家や運動の人達が言いたがる、
『若い世代や無党派層が選挙に参加していたら、結果は違っていたのに』
という意見には、私は半分しか賛成していない。
そうかもしれないが、やはり同じだったかもしれない。
それどころか、更に自民党が大勝していた可能性だって、否定はできない。
投票に行かなかった有権者たちが、もし実際に投票行動をしていたとして、
彼らが皆、或いは大半、自民党・公明党以外の政党に入れた筈だ、
と皮算用するなんて、目算が甘くないか。
意思表示すらしていない、得体の知れない層のことを、
安易にそのまま自分側に組み入れて勘定するなんて、
そんな感覚でモノを言っているから、受け入れられないのではないか?

『国民は騙されている』『目を覚まして!』系の話をする人についても、
私は同じようなことを感じている。
相手が自分と同じ主張にならないのは、『真実を知らないからだ』、
というのは、随分と単純で安直だと、私は思う。
『自分と同じことを知ったら、相手も自分と同じ考えになる筈だ』、
果たしてそうだろうか?
私の乏しい人生経験の中でさえも、同じ出来事に遭遇し同じ体験をしても、
そこから考えることは、随分と人それぞれに違っていた。
人の経てきたものは様々だし、その心はとても複雑なものだと思う。
私自身にしても、ネットで『これが真実!』的な話は、
いわゆる右系も左系もいろいろと真面目に読んだが、
支持する人たちの熱意には感銘を受けても、内容に同意するとは限らなかった。
惑わされない私こそ正しい!と言いたいのではなくて、
単に、『真実』なるものを知らされてもなお、私は意見が違った、という話だ。

まあ、そういった諸々はともかくとして、前回選挙のあと、
『人生最後に見た選挙が民主党の圧勝だなんて!』
と怒り狂った保守派の実家母(83)は、多分、今朝は溜飲を下げているのだろう。
佐藤愛子先生じゃないが、やはり憤怒は生きるエネルギーだったか。
実家母に関しては、めでたいことだった。
2009年のは人生最後の選挙ではなかったことが、明らかになったしな。

そして私は、『道ひとすじ― 不破哲三とともに生きる』(上田七加子)
を、ついに買った。
これから楽しみに読むつもりだ。
思えば、前回選挙のあと私は、『マルクスは生きている』(不破哲三)を
読んだのだった。
選挙のたびに、不破哲三のところへ帰りたくなるのは、
有権者としての私が、どっか寂しいからなのかしらん(爆)。
私がまだ読んでいない彼の著作は100冊以上あるので、
このぶんなら、あと100回選挙があっても安心ということだな(爆爆)。

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