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30年前の青ヶ島・小笠原(1980年)

2009-12-11 00:09:02 | 小笠原

 比較的新しい本のスペースを増やすため、古い本を引き抜き、書庫に移動しています。
 書庫で整理するときに「離島の四季」という古い本を見つけました。
 
 もしかしたら、私の好きな島も載っているかなと頭をよぎり、手にとってみました。

200912110001 
 青ヶ島、小笠原、しかも硫黄島も含まれているじゃないですか!!
 その場でまったり・・・というわけではないので、借りてきました。



200912110002  目次を見て、真っ先に開いたページはやはり「青ヶ島」。
 心のふるさとをもとめて日本発見14
  離島の四季 定価1700円 暁教育図書株式会社
  昭和55年8月1日発行。
  撮影日はたぶん、半そで姿に右の小さな突き出ている桟橋に浮輪が見えるので、1979(昭和54)年の夏かな。

 30年前の三宝港ってこんなに小さかったのですね。

Aogashima89 2007年夏の旧堤。
 今の還住丸は新堤(2001年完成)で発着しています。
 昔は大きな岩のある旧堤から発着していました。



Aogashima87  1番上の写真は1979(昭和54)年より20年前の1959(昭和34)年の三宝港。今からちょうど50年前。
 「港」とは名ばかりで船着き場でした。
 この港だからこそ、昔の人々たちは本当に苦労してしまったに違いない。

 当時は年に4~5回しか、船が来なかったので、唯一内地とつながる手紙が何よりも楽しみだったらしい。
 今の青ヶ島は携帯電話3社使えるし、インターネットもブロードバンド。
 書状のものはヘリコプターで運ばれるので、配達スピードは内地と変わらず。
 荷姿がダンボールなどの箱状は基本的に船なので、欠航が続くと貨物専用機として夕方の臨時ヘリが飛ぶこともあるそうです。

200912110003  1980年の父島(小笠原)の境浦にたたずむ濱江丸(ひんこうまる)。
  太平洋戦争中(1944年6月12日)にサイパンの北方沖で米軍の魚雷による爆撃を受け、応急処置しながら漂流するうちに、父島・境浦沖に座礁。
 (この写真は座礁36年目)

 1997(平成9)年(座礁53年目)、念願だった父島上陸を果たし、境浦に行ってみたところ、この写真よりは半分崩れかけていました。
 98年、99年、00年、02年・・・立て続けに年に1回は小笠原へ。

Ogasawara8  3年のブランクがあり、05年久しぶりに行ったときは、船体が海面下に沈んでしまい、満潮時だと姿が見えないときも・・・。(座礁61年目)
 今年の夏は4年ぶりの小笠原でしたが、母島をメインにしてしまったため境浦に行けず。
 2010年は座礁66年目になろうとしていますが、シューノケルで海底を覗けば、まだまだ残っているだろうと思います。

200912110004  ここはどこなんだろう?
 母島?と思いきや・・・返還12年目の二見港。
 ここが小笠原村の中心地なんて信じられない。



Chichijima3  2005年の中心地。
 上の写真に比べると、ずいぶん「街」を形成していることがわかります。



 自分の好きな場所の昔はどんなふうになっていたか、調べるのは楽しいです。
 

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3 コメント

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面白いですね。 (とまと)
2009-12-11 18:42:54
とっても興味深く読みました。

小笠原、行ってみたいです。ハワイよりも。
ハワイも南の島には違いないけど。

私はどうも人の少ないところが好きらしくて、
小笠原とか、利尻島とか、
海外なら、パタゴニアとか、アラン島とか行きたいんです。

出来るなら住みたいくらい。

でも、寒いところは冬の暮らし方を知らないし、
暑いところはでっかい蜘蛛とかいるし、

南方の島のゴキブリは半端なく大きいらしいし、

と変な理由ばかり考え出して、
今もここにいます。

返信する
>とまとさん (crayon)
2009-12-11 22:46:35
 利尻島は稚内より北にある小さな島なんですね。
 今の季節、きっと氷点下の世界だし、どのように暮らしているかカルチャーショックを受けるかも知れませんね。
 利尻島は夏の間がお勧めだそうです。といっても、私はまだ行ったことありませんが・・・。
 小笠原は1月1日海開き、年中常夏だそうです。
 ゴキブリですか。
 小笠原で1度ゴキブリを見かけたことありますが、大きさは内地とあまり変わらなかったような気がします(笑)
返信する
Unknown (シロ )
2018-12-11 02:34:03
昭和26〜27年にこの青ヶ島にいました 定期便は黒潮丸という これは先代昭和22年竣工の東海汽船の500トンの貨客船 黒潮丸のことです、 この船が荒れる冬でも月に1度はこの青ヶ島に来ていましたので、年に4〜5回しか船は来なかったというのはオーバーで完全に間違いです、 そんなことしたら自給自足がほとんど出来ない私ら内地からの赴任者家族は飢え死にしてしまいます、 当時の島民は今より多かったですし小学校もありましたからね、ただ確かにその月1度の船も荒波で沖合に停泊もできずそのままUターンというのは見ました、 沖合前面に無数に立つ白波がこの50メートルの長さの船より大きかったのをハッキリと覚えてます、冬のこのあたりの荒れ方はすごいですよ。 艀がこの岩場から出て黒潮丸に着船してもウネリで艀は5メートルくらい上下し そのウネリに押し上げられ上に上がった瞬間に本線横に開いてる乗降口から船客は飛び移ったものです これを老若男女皆やりました 命がけです、 海に落ちるより本線と艀の間には挟まれたら死を意味しますから。 良い写真に感謝です。 
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