徳島鉄道風景(新)

昔の徳島の蒸機が尽きて関東中心にしてましたが
戻って来たんで、これからは徳島起点でやってきます。

鍛冶屋原線1971年8月

2009-03-23 00:10:34 | 蒸機時代の徳島で撮ったん

お彼岸に帰省していました。

遊びではないし家族が一緒で自由行動も出来ず、おまけに天気も良くない・・・

ですが、徳島に帰ったと言うことだけでそこそこ満足デス。

さて、徳島の蒸機が全廃となった後は対象を失って

しばらく鉄道写真から遠ざかっていました。

そんな中、鍛冶屋原線が近々廃止になるらしいと言うことで

1971(昭和46)年8月、蒸機撮影時代の友人と12日に鍛冶屋原線

13~14日は三度目の糸崎駅徹夜撮影、と久々の鉄道写真です。

S88

鍛冶屋原線が四国を代表する赤字ローカル線であることは

有名でしたが乗ったのはこの時が最初で最後です。

S1971081228

当日朝の徳島駅。フィルムの№1の前にある「S」のカットです。

日中はキハ30が一両で線内折り返しをしていますが

朝夕は1~2本徳島直通運用がありました。

S1971081229

キハ30の運転台から。

貨物列車が写っているので板野ではないかと思います。

S1971081230

同じく車内の様子。行商のおばさん達の荷物が見えますが

朝なので徳島市内で仕入れた魚関係ではないでしょうか。

S1971081217

終点の鍛冶屋原駅外観。駅名が写ってないのが残念です。

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駅前から発車寸前の国鉄バス(国鉄自動車)。

S19710812130

当時のJTB時刻表では地図のバス路線が

国鉄(二重線・黒)・私鉄(実線・青)と区別されていました。

鉄道廃止後はバスが板野発着になったわけですが

上の案内板にある穴吹・市場のほかに脇町や土柱にも

運転されていました。

結局、列車からバスに替わっただけで事業者は国鉄。

駅員と線路保守費分が削減で出来たことになったと思います。

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鍛冶屋原駅舎内。ローカル線の駅はだいたいこんなでしたね。

当時は外にも内にもディスカバージャパンのポスターが溢れていました。

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改札口からホームを望んだところ。

昔は数本側線のあったようなカンジです。

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あらぬ所から人が現れ列車に向かっています。

頼んだわけではありませんが、

白い日傘が夏らしいお気に入りの写真です。

この時は念願の一眼レフ(ペンタックスSPブラックボディ+タクマー105㎜)

を手に入れていましたが、

当時流行していた超広角で撮った写真に憧れ

中古で買ったタクマー28㎜を使っています。

このレンズはF2.8と明るいのは良いんですが

重くて大きいのが欠点でした。

疲れているので以下次号・・・

おまけに裁判所の桜を速報。3月20日の撮影です。

Img_0019

コメント (7)
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