お彼岸に帰省していました。
遊びではないし家族が一緒で自由行動も出来ず、おまけに天気も良くない・・・
ですが、徳島に帰ったと言うことだけでそこそこ満足デス。
さて、徳島の蒸機が全廃となった後は対象を失って
しばらく鉄道写真から遠ざかっていました。
そんな中、鍛冶屋原線が近々廃止になるらしいと言うことで
1971(昭和46)年8月、蒸機撮影時代の友人と12日に鍛冶屋原線
13~14日は三度目の糸崎駅徹夜撮影、と久々の鉄道写真です。
鍛冶屋原線が四国を代表する赤字ローカル線であることは
有名でしたが乗ったのはこの時が最初で最後です。
当日朝の徳島駅。フィルムの№1の前にある「S」のカットです。
日中はキハ30が一両で線内折り返しをしていますが
朝夕は1~2本徳島直通運用がありました。
キハ30の運転台から。
貨物列車が写っているので板野ではないかと思います。
同じく車内の様子。行商のおばさん達の荷物が見えますが
朝なので徳島市内で仕入れた魚関係ではないでしょうか。
終点の鍛冶屋原駅外観。駅名が写ってないのが残念です。
駅前から発車寸前の国鉄バス(国鉄自動車)。
当時のJTB時刻表では地図のバス路線が
国鉄(二重線・黒)・私鉄(実線・青)と区別されていました。
鉄道廃止後はバスが板野発着になったわけですが
上の案内板にある穴吹・市場のほかに脇町や土柱にも
運転されていました。
結局、列車からバスに替わっただけで事業者は国鉄。
駅員と線路保守費分が削減で出来たことになったと思います。
鍛冶屋原駅舎内。ローカル線の駅はだいたいこんなでしたね。
当時は外にも内にもディスカバージャパンのポスターが溢れていました。
改札口からホームを望んだところ。
昔は数本側線のあったようなカンジです。
あらぬ所から人が現れ列車に向かっています。
頼んだわけではありませんが、
白い日傘が夏らしいお気に入りの写真です。
この時は念願の一眼レフ(ペンタックスSPブラックボディ+タクマー105㎜)
を手に入れていましたが、
当時流行していた超広角で撮った写真に憧れ
中古で買ったタクマー28㎜を使っています。
このレンズはF2.8と明るいのは良いんですが
重くて大きいのが欠点でした。
疲れているので以下次号・・・
おまけに裁判所の桜を速報。3月20日の撮影です。
お帰りなさい。
仰っていただければ徳島駅に横断幕掲げて、祝!凱旋って・・・・。
また素晴らしい写真を拝見いたしました。
ホームを歩く白いパラソルのお嬢さん。
いいです!
写真の硬券、発券日付が8月12日。
この頃は台風襲来が多いという事から、阿波踊りは18日から開催されてましたね。
この前消失したJRバス関東、青春メガドリーム。
とにかくでかい!
東京大阪間でよく利用してました。
あるとき2階最前列が取れ、やたー!思たのはつかの間、
殆ど体育館(タイイクカンちゃうよタイッカン)座りですよ!ひざ抱えての。
東京着いたらからだイタイイタイ。
それ以来フツーのドリーム神戸、大阪号でした。
徳島地裁北側と東側の桜が一番早く開花するといわれてます。
それは国道を走る(信号待ちする)自動車からの排気熱が他のどこより高いから。
恐るべし・・・。
15日からだったですよね。
すみません。
もう寝ましょう・・・。
わしの中ではまぼろし仮面・・・いやいや幻の鍛冶屋原駅だぁ~~~(TдT)
産まれたときには廃線でしたから・・・・
さよならのキハ30に乗ってらしたのですね~~
外から撮影した写真を、徳島の鉄道偉人井上さん宅で見させてもらいましたよ~w
かんやけ(神宅)におかんのお友達の家があって、昔は駅が直ぐ近くだったと聞いて興味がわいたんですよね~~
そしたら徳新でちょびっと駅前風景が何かの特集で出ましたが、駅が写ってなくて・・・見たかったんですよ~~今はJRバスですが・・・
そういや、鍛冶屋原線の葬式鉄をあつかったどっかのHPを見て沿線を見に行きましたw
かんやけの写真もありますか??
やっぱり天気は悪くても徳島は良いです。
この続きで糸崎から帰った翌日15日に阿波踊り夜間撮影もしました。
本当はブログネタにもっと色々撮りたかったんやけんどなァ~
裁判所までいたんなら文化センタァもちゃんと撮っといら良かったんやけどなァ
(いつかそのうち)
この前のヨンデンプラザの写真展に出てた副部長様撮・さよならHMを掲げたキハ30の写真は会場を写した身内の写真でチラッと見ました(カラーでしたね)
この撮影時は鍛冶屋原からかんやけ(ATOKが変換してくれん・・・)
まで歩いたので、同駅写真も続きでご紹介シマス。
WBCに夢中になっておりました。
鍛冶屋原線は、僕にとっても幻の路線で、
あそこに汽車が走っていた、と言われても、
にわかに信じられないくらいでした。
とはいえ、車に乗るようになって、
鳴池線を走ってみると、やたら道幅が広い所もあり、
あぁ、ここに線路が走ってたんだなぁ、
などと感慨に浸っていたものです。
そして、キハ30の単コロだったんですね。
なぜ通勤用のロングシート車を・・・、
と不思議な気がします。
僕が物心ついた頃に、小松島線が廃線になりました。
こちらはその後、遊歩道が出来たりとか、
小松島港の地盤沈下で「やっぱり廃止しなかった方が・・・」
と言われたりして忘れられる事はないですが、
鍛冶屋原線の方は、完全に過去になっちゃいましたね。
かろうじて、板野駅からまっすぐ伸びる鳴池線を見ると、
あっちへ線路が延びていたんだなぁ、という実感を覚えます。
鍛冶屋原線がキハ30だったのは荷扱いをしていて
キハニ代用だったのかもしれません。
ところで、遅ればせながら掲載おめでとうゴザイマス。
同じ28㎜の写真でもなんでこない綺麗んだろ・・と感心しています。
みなさまのコメントで徳島と沖縄の関係、初耳で
興味深く拝見シマシタ。