やっと3月になりました。前からご案内していた徳島蒸機最終日の様子を。
ほんとは39年前に合わせ3月末か4月1日も考えましたが
当拙ブログも開設一周年を迎えましたので良い機会かと思います。
一年続けてこられたのもお越しいただいた皆様のおかげです。
あらためてお礼申し上げます。これからもヨロシクです。
この先ネタ切れが心配になってきましたが・・・
さて冒頭2葉は3月28日だと思います。
まだ58623が牽いてイマスがこのアングルの写真は未公開だったと思いますので。
言い訳ですが一眼じゃないので電線がかぶっていても分からないのです。
こちらは朝の牟岐発蔵本行き列車が小松島に回送されるところを旧寺島川沿いで撮ってイマス。
ブルーバードにコロナ、ネガの日付は31日となっていますが30日かもしれません。
というのは気象庁のHPで調べると’70年3月30日、徳島は雨になっていましたので。それとも前日の雨の残りなのかな。
31日の牟岐線貨物、まだ練習運転が続いてイマス。
翌日からはDE10の単独運転になったはずデス。
ガードの向こうにチラッと写っていますがかちどき橋北詰のGSは丸善石油デシタ。
ここまで書き進めて困ったことが。
一体徳島の蒸気最終運転日は3月31日か、4月1日か?40年近く昔の事なので記憶がありません。
C11が牽いていた牟岐・鳴門両線の貨物はさておき
牟岐線の旅客一往復は通常夕方下った列車が翌朝蔵本まで行って折り返し(逆行)徳島まで客扱い、徳島から小松島へ回送、というパターンでした。
この列車は4月からDE10に替わることなくDC化されたのです。
ネガフォルダの日付は3月31日となっていますがどうみても4月1日ではないかと思われる写真もあり次のような仮説を立てました。
①下り牟岐行きの最終列車は3月31日で、回送の小松島出区時より飾り付けが行われてい た。
②上記列車の折り返しが4月1日の上り最終列車であるが徳島-蔵本間はC11137が代走し、ハチロクは徳島で方転とお別れ会があった。
③お別れ会終了後、徳島から小松島への回送列車が真の最終列車となった。本来逆行であるこの列車はこの日に限り方転され正向で花道を飾った
以下はこの仮説に基づき進めていきます(違っていたらスミマセン)
31日、小松島からの回送が徳島に向け二軒屋を出るところだと思います。
タイヤの白塗りや飾り付けが見えます。
31日の下り最終列車は結局園瀬川鉄橋と犬山踏切の中間くらいで撮影(現在の文化の森駅地蔵橋方)。
ここで撮っていたのは私一人でした。足繁く通った場所ですがその後行ったことがありません。今はどうなったのか、時間があれば行ってみたいです。
一夜明けて4月1日(だと思います)牟岐から到着した列車が蔵本に向けて発車するところです。
本来は牟岐から牽いてきたハチロクがそのまま蔵本まで往復しますがこの日はC11137が代走しているようです。
C11としてもこの日牟岐線・鳴門線の貨物を牽いたか不明ですが少なくとも客車牽引はこれが最後だったはずです。
で、ハチロクは転車台で転向されて小松島方に向けられています。
最後の整備・化粧直し。
徳島の転車台にハチロクが載っているのを見たのはこの時が最初で最後。
鉄以外の方や県外の方もいると思いますが徳島にこれほどファンがいたとは驚きです。
そして小松島に向け市役所前を行く最後の晴れ姿。
回送とはいえこれが真の蒸機最終列車となったので本来逆行運転のところを転向して正面を向かせてやったのだと思います。
当初この写真は正向なので31日の下り牟岐行きかと思っていましたが、光線の具合から午前中なのは間違いありません。
蔵本から帰ってきたC11にも飾り付けが行われてイマス。
関係者だけで何か神事が行われているように見えます。
137号機は最後まで使われ私の写真にも一番多く写っている稼働率の高い機関車でしたが
記録を調べると、この年の5月付けで廃車になった後どこにも保存はされなかったようです。
この神事の続きは小松島に行ったので見られませんでした。
4月1日の小松島。国鉄関係者の方でしょうか、記念撮影をしています。
役目を終え火の落ちた8620はDE10に囲まれて肩身が狭そうです。
小松島(あるいは徳島)で蒸機を撮った最後です。