今年は一日が月曜だったんで、一週間経ってやっと最初の日曜が来ました。しょっちゅう行ってる勝占で勝浦川鉄橋への築堤を上る夕方の牟岐行き521レです。最後尾付近が多々羅川の鉄橋。7両繋いでますが、3両は桑野回転でした。この頃は麦が植わってますね。
駐車場に転用された幼稚園跡地に残された桜も無事に咲きました。手前に鎮座する昭和感溢れる詰所が雰囲気を盛り上げますわ。
桜が咲いてからスッキリ晴れた日が無く、今年も眉山の桜はキレイに撮れませんでした。当初、市民ホールの予定地だった橋の向こうはマンションと商業ビルに変更で数年後には眺めが変わりそうです。
改正直前に40・47同士の交換を撮っておこうと中田に行きましたが、イマイチだったので改正後に再訪。前回は写ってる踏切から撮りました。
今回はこの辺で撮ります。この辺は少し草が低くて撮れると思うんですが、ホームがあって下りは下回りが写らん。これは一本前の522D。
線路脇に水路があって、そこに掛かる金網で囲われたところが良さそうやなと。
524Dがやって来ました。改正後も牟岐線では40・47の運用に変化はなかったようです。
全検明け間もないキレイな車体に幌が無いとちょっと物足らんカンジです。
ここだと草に邪魔されず順光でキレイに撮れます。
交換相手の527Dを待ちます。524Dは5分くらい停車。
527D到着。この日は春休み期間中、普段なら高校生がいっぱい降りるハズ。
524Dが出て行きます。案の定、顔が並んだ状態では撮れませんでした。
阿南方に下がって527Dの発車を撮ります。
ここでも少しセンダングサが入りますが、この前後に比べたら無いも同然。
直ぐ後はこんなカンジですから。
まあ、結果的には撮り直してもあんまりようなかった・・・落胆しながら後続の526D。
徳島からは先頭一両だけが4954Dとして鳴門まで直通します。
この後は特急が来るんで55号の下に移動。やって来たのは池田から直通して来る529D。
529Dを待たせて特急が通過。通過と言っても牟岐線には一線スルー駅が無くゆっくりと通ります。
前と後ろで別塗装。昔、一粒で二度美味しいって言うお菓子のCMがありましたが、それの列車版か。
529Dは特急通過後、更に528Dの到着を待っています。
この528Dは南小松島で特急の通過待ちで8分ほど停まっていました。単線で追い越しを受けると、追い越し列車が二駅走る間待つ訳で長時間になりますね。
この日は534Dを地蔵橋で撮ってみようと思っていたので532Dで地蔵橋へ。後は7次型でした。
徳島方の線路脇に大きな楠。その樹の先にある踏切に行きます。
線路沿いを進めれば直ぐですが、宅地を大きく迂回しないと道はありません。
踏切脇の立派なお宅は昔のまま。
1969(昭和44)年4月2日。先の方にある棕櫚が昔のままだとすると凄い。
正面やや左遠方に日本一低い山がある辺り。田植えの時期にまた寄りたい。
いよいよ534D。あの赤字で2と書いた立て札は何だろ?
ちょっと遮断機に掛かってしまいました。憎たらしい位置に信号炎管が立ってます。
後追い。草は無いものの除草剤は嫌やなぁ。
踏切では534Dだけ撮って、帰りに備えて直ぐに駅に戻りました。
これは4533D。ワンマン単行で海南まで直通です。
駅舎側構内踏切の跡。ホーム上の屋根は昔のままです。
1970(昭和45)年3月30日、徳島の蒸機列車廃止直前。まだ交換可能駅で、もちろん駅員配置。ホーム先の山は崩されて団地になりました。
特異な外観の病院を背にやって来る563Dで引き上げました。
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