徳島鉄道風景(新)

昔の徳島の蒸機が尽きて関東中心にしてましたが
戻って来たんで、これからは徳島起点でやってきます。

「糸崎な夜」1971年8月、その1

2009-05-06 22:39:42 | 県外(糸崎、布原 ほか)

一昨日と今日は出社してました。休日出勤は割と好きです。「ああ私は嘘でも冗談でもなく第三次産業に従事しているんだ」ということを実感出来ます。
3日は千葉に乗り鉄、今度掲載します。

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いよいよ糸崎1971(昭和46)年8月ですが、実は大変なことがわかりました。
既に過去2回、’68・’69年の写真を掲載していますが、そのきっかけとなった昔の鉄道ファン誌に載っていた「糸崎の夜」、今度図書館で見てみようと思い何年何月号か検索してみると1963年5月号でした。小学校高学年の記憶だったようです。
問題はその「糸崎の夜」の作者が畏れ多くも「鉄路100万キロ走行記」著者の宇田賢吉様であったと言うことです。
知らぬこととはいえ大変失礼を致しました。’63年といえば氏が糸崎機関区に配属されて5年後、まだ20代前半の時。こんな早くから鉄道ファン誌と関わりがあったとは知りませんでした。
で、私の方は一字ひねって「糸崎な夜」とさせていただきます。

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この回の糸崎行は鍜治屋バラ銭(だめじゃんATOK)を撮った翌日、
8月13日夕方から14日朝まで。
呉線は既に電化され布原はパニックになっていたこともあって糸崎に直行です。
岡山から乗った「山陽3号」の糸崎着17:23から翌朝6:17発の「とも1号」で帰るまで約13時間を糸崎で過ごしました。
この間、当夜糸崎を上下した列車を図書館でコピーした当時の時刻表から一覧にしてみました。
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見えますかね、エクセルをJPEGに焼いたんですが・・・時刻表には発時刻しかないので着時刻や通過時刻は前後の列車から割り出した想定です。お盆のピークなので臨時列車が最大限運転されています。6000代の季節臨、8000代の設定臨、9000代の挿入臨と総動員です。(7000代は当時「集約臨」だったかな?)新幹線開業前、幹線の旅客輸送を担っている在来線の凄さを感じます。

 

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下りホームの尾道方から三原方を望んだところです。左手奥が機関区でその先には糸崎港があります。正面に見える煙突は日本セメントの工場だと思います。宇田氏の「鉄路100万キロ~」には日本セメントと三菱重工の工場への引込線があってC50が入れ換えをしていたことが書かれています。三菱三原はタキ43000の銘板に見られます。

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同じ下りホームから逆に尾道方を望んでいます。荷物車を含めると最長15両だった15両超の列車もあった当時、これに対応する長大なホームですが、跨線橋の位置は三原方に偏っています。
跨線橋の階段下に怪しい扉が見えますが、荷物台車を横持ちする地下通路に続くエレベーターの入り口かと思います。とすると、この跨線橋が三原方に偏っているのも合点がいきます。当時、山陽線列車の荷物・郵便車は下り方先頭に連結されていました。

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4番線を通過中の下り「しおじ」、72号か3号かわかりません。元パーラーカーも当時はクロハに格下げされていたはずです。「うずしお」や「ゆうなぎ」にも運用されていたので宇野でも見たことがありますが、その当時はまだ151系で時刻表に「展」の表示がありました。それにしてもデカい窓です。

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同じホームの先端で下りEF58。宮原区の所属ですが、正面窓のツララ切りや汽笛カバー等の耐寒装備からEF65-1000番台に追われて上越線からの異動と思われます。ドア横のハシゴの形状に2種類あることを最近知りました。
この列車は続くネガに

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2号車にオロネ10が写っているので
大阪発西鹿児島行き201レ「しろやま」だと思います。この列車、大阪発は15時ジャスト、終着は翌朝7:49です。大阪を4分後に出る9603レ「みやざき」を(名古屋→都城)を28分引き離しています。
当時、尾張一宮周辺には繊維関係の工場が多く、女工さんの帰省のため名古屋発九州各地行きの臨急が必ず設定されていました。

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上の写真は荷45レ(汐留発東小倉行き)の到着だと思います。着は19:04(たぶん)ですが、まだ明るいです。調べてみると、広島地方の8月13日は日の入り19:00です。当たり前ですが西に行くほど日の入りは遅く、昔暮らしたことのある福岡では夜8時でもこれくらいでした。(そのかわり冬は朝7時でも車はライト点けてました)

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やっとホームに灯が点りました。電車は73系だと思いますが、黄緑だったかオレンジだったか派手な色だったと思います。

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手前ではまだ荷物列車から降ろした荷を整理しています。すっかり暗くなって夏の宵の雰囲気、時刻は20時頃。
これから下り夜行列車のラッシュが始まります。期待が高まります。

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列車を待つ家族連れ。私は長距離列車に乗る前、目的は何であれワクワクします。
以下「その2」に続く・・・

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6 コメント

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おお~リアルだ~~ (金長狸)
2009-05-06 23:23:54
おお~リアルだ~~
見たこと無いのに情景が浮かんでくる・・・
夕闇に滑り込んでくる列車、派手な電車、ホームを行きかう人々・・・たまりません。地元徳島ではジャージのヤンキーしか見ません・・・痔爆

当時この時間・・・産まれて約2週間ってとこで・・・・寝てたか乳を飲んでたかってとこですねw
返信する
金長狸様、毎度ありがとうゴザイマス。 (南東風)
2009-05-08 00:23:56
金長狸様、毎度ありがとうゴザイマス。
実はもう少し近い世代かと思っていたんですが・・・
世代のよって懐かしさの基準はまちまちですが
南東風世代はこの頃まで遡らないといけません。
「国鉄・・・」「昭和・・・」とついているだけで
思わず手にとってしまいそうで最近アブナイです。
返信する
ゴッパにロクサンに151・・・、 (ごっさん)
2009-05-08 00:32:37
ゴッパにロクサンに151・・・、
夢のような写真で、よだれが出てきそうです。
しかも、恐るべき「名称付き」列車の本数、
こういう時代に生まれて写真を撮りたかったものだ、
と思います。
なんせ今の東京、来る電車は、みんな鍋ヤカン・・・

しかし、それすら撮りに行けないここ最近。
GWも、ほとんど家で子守と、近所の散歩でした。
もちろん、楽しい毎日ですが。

ホームに溢れる荷物の山、
これは基本的に、(短い停車時間でさばくため)
「投げ下ろす」「投げ入れる」もの、とピクトリアル誌で読みました。
今の時代、そんな事をしていたら賠償モノですね。
返信する
ごっさん様、こんばんわ。 (南東風)
2009-05-08 23:34:25
ごっさん様、こんばんわ。
GWお疲れ様でした・・・
南東風にもありました、糸崎な夜の10年後
すっかり趣味から遠ざかって
写真と言えばコンパクトカメラで撮る子供ばかり
な時代が。
もう少し周りの風景も写しておけば良かったなぁ
と反省しています。
返信する
Unknown ()
2017-07-31 23:56:47
仰る通り新幹線開業前のお盆の在来線すごいですね!
私はまだ生まれていませんが、なぜかこの時代が大好きです。日本に夜行列車が沢山走っていた時代。
最近も糸崎へ行きましたが、駅の構造は変わっていないのに、雰囲気全然違いますね。信じられないくらい昔は賑わっていたんですね。働く人が多かったから駅の周りも賑わっていたんでしょう。今は夜は駅員さんも表に出てこない、静かなもんです。しばしこちらのサイトを比較しながら、40年以上前の風景を想像していました。
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(ぬ)様、コメントありがとうございます。 (南東風)
2017-08-01 22:57:08
そう言って見ていただけると
ピンぼけ写真を載せた甲斐があります。
小生も数年前、帰省時に足を伸ばして
寄って見ましたが、往時の活気はありませんでした。
それでも、今では無駄に長いホームと
電車基地として僅かに偲ぶことが出来ました。
黒磯・沼津・下関等長いホームと屋根が
残る駅を見ると懐かしい。
タイムマシンで戻ってみたいです。
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