黄金週間が始まりましたね。で、5月の写真は46年前の5月4日に撮った写真です。佐古でコキを増結した高徳本線上り貨物は先ず鮎喰川、次に名前は知りませんが放水路みたいな川(木造潜水橋、通称かっぱ橋が架かってました)を渡り最後が吉野川鉄橋になります。手前に葦の枯れたのが写り込んでますが一眼でない距離計連動型の悲しいところです。画面の隅にチラッと母校が写っています。
今年初撮り鉄は↑に行ってきました。当初計画では上り初電前に貨物が走っていたら浜川崎へ、ダメならわ鉄でトロッコ列車というプランでしたが、起きられたのは平日と同じくらいの時間・・・それからでも間に合うのは一番近いここでした。
それでもやっぱり撮り鉄は楽しい。鉄以外の行楽客で電車はエライ混んでましたが繁盛してるのは何よりです。
写真は現在整理中で掲載は来週以降。今回も46年前、小松島で5月5日に撮った写真です。当日の小松島、左からC1131、C58243、C58104、68692の各機です。この内、C58104と68692が当日運用に入ってます。
ちょっとアップ。C58243は松山国体?の時だったかにお召し列車を牽いたそうでステンレス製のステー等に名残があります。
やはり隣の104号機に比べるとだいぶキレイです。1968年3月以降に松山から小松島に移籍し一年ちょっと後の1969年8月付けの廃車です。と言うことは、この頃既に休車だったのかもしれません。松山にはデーテンが入った時期で、全検残り期間を小松島で過ごしたのではないでしょうか。
休車といえばこれも居ました。中二で撮り鉄を始めた頃、小松島のハチロクは58623・58685・68692の三両でした。その後、78647や78680が長野や竜華から異動してきていつの間にか休車になってました。たぶんデーテンへの置換時期が確定していて全検まで間がある機関車を廻して来てるんだと思います。
こういう余裕の写真も撮ってました。手前のC11は31号機。250Wの大型前照灯を装備してるんで容易に特定出来ます。
給炭台の向こう側では68692が出区準備中。テンダーの石炭にホースで水を掛けています。これから燃やすのになんで水をと思いますが、宇野賢吉氏の鉄路百万キロに理由が書いてあったような・・・テンダー後部では給水が終わったところの様です。
こちらの方が今日の機関士さんでしょうか。いよいよ出区ですね。
踏切を挟んで反対側(駅舎側)にある客車留置線い向けて移動開始。
先に出区していたC58104が回送を牽いて出発。徳島で方転し池田行き423レとなります。踏切待ちしてる左側のバスは未だボンネット、右側は先日廃止になった小松島市営バスだと思います。
続いて68692が牽く回送も出発。徳島で機回しして牟岐行き521レとなります。踏切の向こう、本駅のホーム横にC11が写っていますが、428レ(池田発9:40→徳島着12:12の回送を牽いてきた機関車だと思います。428レはこの頃C58牽引で、徳島からの回送はC11でしたが、時折C58も一緒に重連で戻って来ることがありました。
その回送を牽いてきたC11(この日は137号機)が給炭・給水中です。整備後、穴吹行き425レ(小松島17:24→穴吹19:27)となります。横で見ている少年、当時10才としても今は56才ですね。背景のビルは日赤病院です。
おまけ。同じ日かどうか不明ですが、赤石で撮った牟岐線貨物列車。海に近い赤石は行きたいとは思っていましたが自転車での進出限界でした。パブリカの横でカメラを構えてるのは最近出演が多いK君です。
所謂ハエタタキが未だ残っていますね。徳島周辺だと既にハエタタキの上の方が切られて収束された線になっていました。これが中途半端な高さにあって結構目障りでした。
一番赤石らしい(当時の)写真ですが、今は全然違ってるんでしょうね。鉄橋だけはそのままの様ですが。
もうあちこち田植えが始まっていますね。焦ります・・・
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