徳島鉄道風景(新)

昔の徳島の蒸機が尽きて関東中心にしてましたが
戻って来たんで、これからは徳島起点でやってきます。

5月から7月に掛けて撮った写真

2020-05-31 21:25:09 | 蒸機時代の徳島で撮ったん


これは富士のコンデジ用充電池。上手く撮れなかったんですが、少し膨らんでるのがわかるでしょうか?


コンデジは元々電池が小さく、AFやズームを多用すると直ぐ切れてしまうんで、いわゆるサードパーティの予備を二個用意してます。そのうちの一個をカメラに装填したらカメラは全く反応せず、空かと思って充電すると数時間経っても完了しないんで、見てみると膨らんで少し発熱。コライカンわ、と直ぐに充電中止。調べてみると「完全に放電してしまうと致命的な損傷」を受けるそうで、暫く使ってなかったんで、そうなったのかもしれません。ただ、満充電での保存も良くないそうですが・・・
時々買い替えなあかんそうです。

また昔の写真。スキャンした時の整理が悪く、1967(昭和42)年か43年か、5~6月か6~7月とメモされた写真が混在してますが、まあ要は昔の写真じゃとご笑覧を。

最初はプラモです。ハセガワの七十二分の一シリーズ、手前は零戦、向こうは九六戦です。ハーフトラックは米軍のヤツでスケールが揃ってるかどうか怪しい。荷台に載せてるのは四十八分の一(あるいは五十分の1)の疾風の落下落下増槽だったと思います。零戦にいわゆるスポット迷彩を施してますが、当時写真でそう見えただけで、今考えると塗装の剥離を見間違えたんだろと思います。この頃は「丸」に載ってる公式写真みたいなヤツしか無かったんですが、近年NF文庫なんかで個人が撮られた貴重な写真を見ると、こういう迷彩は無かった様です。
そう言えば、ハセガワの七十二分の一では双発機が3種、もう十年以上押し入れの肥やしになっています。あれもどないぞせなあかんなぁ。


これは二軒屋駅に進入する池田からの426レ回送だと思います。


なんで後追いから?この場所で普通に撮るとこうなります。上の写真のメモは「1967年5月か6月」でこっちは「1968年11月」です。この写真の前後でスキャンされてるのが勝瑞-池ノ谷間ばっかりなんでひょっとすると・・・と思いましたが、どう見ても天候の様子が違いすぎですね。


これもほぼ同じ場所ですね。徳島に向かうハチロク牽引列車が二軒屋を出たところです。ハチロクが正向なんで池田行き423レの回送だと思います。この続きの接近側写真は何度も使てるんで割愛。


徳島駅の方へ移動。この写真も何遍も使こてますが・・・53年前の写真になりますが、阿波銀本店建物やNTTの鉄塔は未だ健在。ただ、鉄塔の上や眉山山頂右側にあるマイクロウェーブ?のアンテナはもう無いハズです。


続いて出来島に。徳島を発車したC58牽引列車。遠くに南海ビル、踏切脇は徳バスの車庫です。


列車は高松行き326レだと思います。243号機は松山でお召し牽引したことがあるそうなんで、その名残が随所にありました。


少し佐古寄りに移動して今度は穴吹行き425レ。先の326レの12分後と程よい間隔です。


この写真も何回も載せてます。徳島-佐古間は複線の様でも単線並列で、先の326レが左側だったのにこの425レは右側の線を走行してるのにお気づきでしょうか。


別の日ですね。新町川の鉄橋を渡る池田行き423レの出区回送です。機関車背後は県庁の旧庁舎です。


前に付いてるハチロクは徳島駅の入換担当の交代機かなぁ。C58に代わってからも時々重連がみられました。機関車次位の客車がまだオハ60なんで1967年だと思います。
丁度干潮の様で、左岸の泥に捨てられたみたいなボートは水上警察のヤツだったと思います。


護岸整備が終わって、バラックが並んでいた一帯が殺風景なカンジです。池添蒲鉾だけは今でも健在ですね。機関車の向こうにクレーンが二基写ってます。あの辺りに阿波国共同汽船や共正海運の船着き場があったんですが、この頃未だあったかなぁ。1969(昭和44)年の時刻表では「休航中」で、既に小松島航路に移っていた様です。


再び出来島です。向こうの踏切の上に今は跨線橋があります。城山中腹に見えるのは貯水場で、踏切脇にはまだ刑務所があった頃です。


何ちゅうタイミングでシャッター切っとんなと自分に突っ込みたい・・・列車は高松行き326レ、12号機は小松島に来たC58最古参の一機だったと思います。
こうして見ると集煙装置が浮き上がって見えます。それでもC57よりははるかに良い。多度津工式や鷹取工式が似合うのはC58とD51ですね。C58の場合は無いと逆に物足りなく感じます。


今度は小松島です。423レ担当のハチロクが出区しようとしてますが、この日はC11が前に付いてます。この当時C11運用ではっきりしてるのは、鳴門線貨物一往復、牟岐線桑野貨物一往復、穴吹までの客車一往復、小松島線貨物一往復(たぶん不定期)、ほかに徳島本線426レの回送。少し前の記事に書きましたが、426レ自体は見た事がないんでハチロクやC58の運用だったかもしれません。


で、この423レ前位で回送されるC11の運用は不明のままです。ひょっとすると、小松島線貨物ウヤの時は次運用に備えこうして回送されたのかも。これは給炭台から出て客車留置線にスイッチバックしてるところかな。


ここで426レの回送が到着、この日は320号機です。石炭満載ですね。


機回しされた320号機が機関区の方に戻って来ます。本駅ホームにはC11+ハチロクの423レ回送が発車待ち。


この頃、小松島のC11は他に31・66・137が居たと思いますが、320号機だけは戦時型で角形ドームやプレート車輪と言った特徴が残ってました。
後ろのバスは左が徳バス、右は小松島市営ですね。


いよいよ423レ回送の発車。本駅駅舎の大きな屋根が右端に写ってますが、その奥にうっすら写ってるのは元の関西汽船(いや、共同汽船か?)の建物かもしれません。


連続写真を全部載せて枚数を稼いでます。


線路の右手はズッと国鉄官舎が続いていたと思います。機関区との境は曖昧で我々もズカズカと構内に出入りしてました。古き良き時代、と言うヤツですよ。


普通ならまず載せないような写真も今回は特別公開・・・


煙の匂いがしてきそうなカンジ。


この眺めが好きで何度か同じ構図で撮ってます。小松島の機関庫は模型に手頃な大きさでしたね。機関庫と給炭台の間を抜けた先に転車台がありました。給炭台ではさっき戻って来た320号機がたぶん給水中。給水塔の手前を右にカーブしてくのが一万トン岸壁の方に向かう貨物線です。


どうも天気の様子がだいぶ違うんで別の日かもしれませんが(いや、それ以上に翌年の可能性もありますが)客留で煙を上げてるのは牟岐行き521レの回送です。


この列車はハチロクが逆行で徳島に持って行き、機回しして牟岐にむかいます。


最後は再びC11320。給水が終わって客留に向かうところです。穴吹行き425レの担当で、地蔵橋でさっき出て行った521レの営業列車と交換します。
この写真を撮った当時は知りませんでしたが、C11の最後のグループはサイドの水タンク容量増大のため下方に拡大されてるそうです。それ以前のヤツはタンク下辺とキャブがほぼ一直線に揃ってるそうです。この記事の前の方で出てる31号機は確かにそうなってますよ。
と言う所でおしまいです。次回は最近の写真載せたいわぁ。

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