カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

暑い夏に何をやってる高校野球

2017-08-10 | culture

 高校野球のニュースが載ってない無い新聞があったら取ってもいい、というようなことを、むかし村上春樹がエッセイで書いていた。スワローズ・ファンで野球好きの村上は、高校野球の喧騒に嫌気があったようである。しかし彼の性格からすると、恐らくそういう喧噪の日本人気質を揶揄したい外国通の自分という立ち位置がそういわせたというのが正確なところだろう。そう思っている少数派の自分は、今風にいうとクールじゃないか、という演出だったのだろう。もちろん高校野球に興味のない人というのはそれなりにいる筈なんだが、わざわざ新聞と絡めていうような人はさらに少なかろう。新聞を取りたくなかったらとらないというのは、高校野球と関係なくそうすればいいだけのことだ。
 もっとも高校野球の特殊性というのは、いささかうんざりさせられないことも無い。わざわざほかの高校の競技とは時期外れに開催されて、さらにスポンサーもありながら、NHKで全試合が放映される。理由としては戦前の戦意高揚に利用された伝統がいまだに続いているだけのことと、終戦後もお盆という時期に重なる鎮魂の意味あいが、いまだに日本人の多くの心に残っている為であるとされる。戦後が続く限り、これに疑問の残る人はあまりあらわれないのかもしれない。
 それにしても近年も、この喧騒は結構長期で続くようになっているようにも感じる。他の地方の大会においても、スター選手は報道されて目にするようになった。抜きんでた高校球児は、後に普通にプロでも活躍することだろう。大リーグまで行くと、今度は日本代表選手扱いだ。これもなんだかやはり、戦争の匂いが、もしくはきわめて国民的な意識統合と関係のありそうな感じだ。僕は個人的には保守的な人間だけれど、そういうものとのシンパシーは弱い。新聞は取っているけど、高校野球はそれなりにスルーしてしまうのはその所為かもしれない。
 80年代には減少に転じていた球児の丸刈りも、実はまた最近になって、割合として増えているという。比較的常連校が安定して勝ち上がってくるようになったこともあるように思うが(伝統校はOBが、丸刈りでなければ許さないだろう)、強制が解けたほうが、自由に丸刈りを選択する空気を作っているということもあるかもしれない。そういう空気というのは、他だったらたぶん問題視されるだろうが。
 出身地区の高校の活躍が気になるというのはなんとなく分かるが(戦いは代理戦争を意味しているのだから)、近年はあんがいそうでもない人が、一定の高校を応援するなども目立つように感じる。やはり報道にも偏りがより明確で、好かれる学校や好かれるスターがいるようだ。活躍によって注目が集まるというのは以前からあるが、このエスカレートのされ方で、逆に力を出せない人がいるように見える。まあ、相手も委縮して、力を出せないというのもありそうだが。
 しかしながら今年はことに暑い夏だ。僕などは子供たちがそれなりに成長し、部活なんかで応援するような事が無くなった。息子たちは野球部では無かったが、暑い日に応援や観戦するだけで、かなり消耗したものだ。それなのにあの甲子園の喧騒は何だろう。こんなに暑いのにナイターで無く日中に試合が組まれる上に、観客も汗だくで観戦している。甲子園という場所に意味があるのは分かるが、春はともかく夏の大会は、東北や北海道でやるべきではないのか。暑さと戦うのも夏の甲子園だ、という人がいるが、今まで死人がそんなに出ていないから悠長なことが言えるのではないか。熱中症対策だの温暖化だのゲリラ豪雨などが騒がれている中で、この時期にあの暑い場所に人が大勢集まる事のリスクは、そんなに軽いものでは無いのではないか。
 結局村上春樹のように気取りたい訳では無いが、高校野球はそんなに盛り上がらない方がいいように思う。少なくとももう少し適当な感じで、家電売り場でひとが涼みながら観ているのをみて、そういえばやってたんだな程度であれば、日本はより平和なんだと感じる訳である。
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