カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

エルドアンの基本姿勢は、大衆迎合ではないか

2017-08-08 | HORROR

 トルコのエルドアン大統領のドキュメンタリーを観た。
 日本で報道される限りの予備知識でいうと、彼は強権的な独裁者だが、その政治家としての始まりは、意外にも非常に物わかりがよく勉強家で、他人の意見をよく聞く人だったようだ。最初にイスタンブール市長を務めるのだが、この時代の評判は極めていい。人々の意見を聞き、その意見を忠実に政治に反映させる努力をし、実現させていく。さらに評判がいいのは、いわゆる公務員を働かせることに長けていたこと。ちゃんと給与を払い、まちのインフラを整え、ゴミを収集させた。
 なんというか、日本人の目からするときわめて当たり前に見えるが、トルコのイスタンブールでは違うということか。そういうことを理解できなければ、彼の政治家としての立ち位置は分かりにくいかもしれない。その後強権に変わるのは、政治家として自信が出てきたためとも言われているが、やはりその政治権力を維持するために、変化したものではないかと推察される。民主化の旗手として人気を博していく一方で、トルコ内におけるイスラム教とのつながりの中で、その主義主張と連動しながら、原理的な立場をとらざるを得なくなって行ったということは無いか。
 さらにトルコの政治事情としては、地方の政治はともかく、国家の権力の掌握については、軍部の勢力が大変に重要だった。軍部から民主的に大衆へと権力が移る時勢にあって、結果的に軍の解体を強権的に行っていったということが真相のようだ。軍部上層部の権力の解体の仕方においては、いささか手続きが省略され、さらにクーデターなどを恐れるあまりか、その結果も凄まじい。軍関係者は次々に法廷にかけられ、重い刑期を課せられる判決を受ける。本人たちは刑務所の中だが、奥さんや家族、親戚などは塀の外で不満があるということだろう。
 大統領としての最高権力者となってからの巨大インフラへの投資も精力的で、ドキュメンタリーとしては権力の誇示の為であるという解説もあったものの、基本的には大衆迎合的な政策ということであるだろう。独裁者になる為にも、独裁者であり続けるためにも、大衆の支持が最も大切であるということなのではないか。
 しかしながらイスラム教的な教条主義を国内的には支持しながら、EU加盟の為に西側外交とも積極的にかかわる姿勢を見せている。一種分裂症的にも見える訳だが、それがエルドアン大統領の個人としてのもっとも苦悩の跡のように見えた。結局西側は、手続きとしての非民主的な強権を非難しているのかもしれないが、エルドアン以外のトルコの政治家が、国際的な役割に積極的かどうかの紹介は無かった。
 確かにトルコは極めて難しい立ち位置にある国だと思うが、政治的なやり取りというか、プロセスにおいては、実際は西側とそんなに違いがあるのだろうか。いや、大違いという実際を言う人もいるだろうが、大衆的なかじ取りということについては、実は似ているのではないかと、日本の政治なども含めて思うのであった。一番の違いは、地理的な外圧ということなのではなかろうか。
コメント
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