カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

無は無いというが

2017-08-22 | Science & nature

 何にも無い、という実感はある。目をつぶって何も見えない。いわゆる何にもないのと同じことでは無いか。
 でもまあそれは意識のことで、瞑想してもそんな簡単にはこころは空っぽにならない。むしろ無意識の時間なら、なんとなく覚えていないし、無といえるものがあるかもしれない。多くの人は生まれる前の頃は憶えていないだろうから、そういう前のことを考えると、人間の意識としての無は存在するかもしれない(表現に矛盾があるが)。
 地球には様々な条件があって大気がある。僕らは大気の中の酸素を利用して呼吸している。息を止めると苦しくなるから、目に見えないけれど、何かあるという実感はおそらくあるだろう。水の中だとか、行ったことないけど、宇宙に行くと、同じく呼吸ができないらしい。水の中はともかく、大気の無い宇宙であれば、それはひょっとして無といえる空間と言えるのではないか。英語だとspace。 まさに宇宙とは隙間というか空間であるような感じがある。でもそれって相対的に星などがある途中のすっ飛ばしたものを指している大雑把さも感じる。
 しかしながらその真空の中にも何らかのエネルギーの存在があるという。それは計算から導き出されていることで、一般の人には実感しようのない力だ。さらに実際何の力であるのかさえ、いまだに不明だ。ダークマター、とかダークエネルギーといわれるが、要するに暗い空間の何かだ。宇宙空間の星の集まりに影響を与えている可能性があり、今分かっている物質とは反応しないタイプの物質かもしれないと言われている。憶測の範囲だが、あるらしい気配はなんとなくあるもの、何しろ検出する方法が今のところ見つかっていない。だから厳密に宇宙空間を無と考えることは現時点でダメらしいということだ。
 哲学的には、人間をはじめすべてのものは意識下から無くなってしまう。それは人間が感じ得ないという点では、確認のしようの無い、しかし確かそうな無だ。宇宙空間は人間の意識化とは別に存在し、長い時間をかけられ、そうしてひょっとするとビッグバン以前から存在していた可能性すらある。そうすると人間の個人の意識を持っている時間なんて、まったく存在していないものと変わらない一瞬性の出来事だ。
 物理的に何を無とするかは難しい問題だが、やはり無に等しいものは、実感のあるものの中にも多く含まれている。無なんてことを考えているそこにある実感を誰がもっているのかなんて、他人には分かり得ないまったく自由で無意味な仕事なのである。
コメント
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