カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

運動会を海外へ

2013-09-29 | culture

 今日は小学校の運動会が多かったようですね。あいにくパラパラはあったけど、何とかはなったんじゃなかろうか。良かったです。
 ところで学校の運動会というと、諸外国の人たちがこれを大変に喜んで見るらしい。つまりこんな感じの運動会というのが、特に欧米文化圏には無いのだそうだ。走るだけでなく玉入れとかなんか転がしたり借り物競争したりするのが、バラエティ番組みたいで楽しいという。こういうのが自分の子供のころにあったら、人生が変わったんではないかというような感慨を持つという。
 最近は外国にも日本人学校のようなものが増えていて、それでやはり運動会をやる。その影響で運動会をやろうじゃないか、というような声も出ているとかいないとか。
 日本はすっかり内需型の国になって、諸外国に輸出をするのは工業素材のような目にふれないものが多いという。文化的なものはなかなか輸出できないものなのだが、運動会というのは案外いけるのではなかろうか。
 でもまあある程度の秩序があるから成立している行事なんで、やっぱり無理かもしれないですね。日本の観光に勧めてみる程度がやっとかもしれないです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

絵を描いて、考えること    ぐるりのこと。

2013-09-29 | 映画

ぐるりのこと。/橋口亮輔監督

 最初はリリー・フランキー演じる夫の浮気に苦しみ、子供が出来ても不安が消えずに苦しんで精神に異常をきたすという展開なのかと思っていたのだが、結果的に流産して、しかしその苦しみの共有が上手く行って無いという思い込みのような話になっていくのだった。でもまあ、夫は優しい人で、むしろ愛は確かめられていく、ということなんだろうか。単純に良かったね、ということではないが、病気と闘うことで夫婦のきずなは深まっていくということは理解できた。そういうことは、壊れていくだけよりずっといい。
 裁判の傍聴で似顔絵を描く事もそのスジの中で坦々と描かれるのだが、それは仕事なので、だからどうだという気分にはならない。むしろもう少しちゃんとやってもいいんじゃなかろうかという疑問もわくし、裁判所の傲慢で得られる特殊な環境での仕事であることを思うと、法曹界というのはやっぱりダメだな、という映画なのかもしれない。いや、そういうことじゃないんだけど、本当にあった事件と絡めて、裁判所ではこういうこともあったんだよ、というお話なのかもしれない。垣間見る人間ドラマの中で、その特殊な犯人達の憎悪の形の形成のされ方を考えるということにもなるかもしれない。外の世界で大きな事件を起こしてしまう人たちだって、結局家庭に問題ありそうだし…、ということは言えるのだろう。
 個人の中の内と外の感情のバランスが崩れることは、確かに危ない事のようにも思える。大きな事件が起こると、なんという信じられないことなんだろう、という感情は普通にわく事だと思うが、しかし、実際にはそのような感情というのは、ありふれた喜怒哀楽を基本にして、増長されたり歪曲されたりしたものなのではなかろうか。だからと言って、多くの人は、犯罪を犯すまでのことはしない。しないながらも、そのバランスを保つために、小さな事件を起こしてしまうこともあるのではなかろうか。少なくとも僕自身を思う時、よくもまあ、今まで世間様を騒がせずに済んだものだと冷や汗ものなのだが、将来もあるので、発言は控えておこう。
 特に結論めいたものは無いが、絵を描く事で、内面の感情が落ち着くことはあるのだろうことは理解できるのだった。絵を描くのは誰にもできるし、あんがい難しいし、そうして楽しい作業でもありそうだ。もちろん必ずしも絵である必要は無くて、このような文章でもいいのかもしれない。そういうことをしようと思うその動機を活かせるかどうか。結局はそういうことなんじゃないだろうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする