カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

彼だって愛される人(かも)

2013-09-06 | 境界線

 確かに政治家の失言などを見ていると、罵倒したくなる気持ちは分からないでは無い。なんでこんなバカげたことを平気(そうに)で言えるのだろう? もっと?????をたくさんつけるだけでなく、本当にこの人は馬鹿なのではないかと思えてくるのかもしれない。しかしまあそういうことになってくると、怒りの方が膨らんできて、その人を罵倒せずには居られなくなるということなのかもしれない。馬鹿な人に馬鹿といって何が悪い。むしろこのような気分にさせられた自分という人間の方が被害者なのだ。
 そういう心情は理解できる訳だが、しかし実際に罵倒の言葉を聞いたり見たりすると、それなりに見苦しい。本人の怒りはとめどなく放出され、さらに増殖して、そうして後戻りできないように見えなくもない。同意する場合もあるし、そうでない場合もあって温度差がある訳だが、そういう差が大きくなるほど、当然ながら見苦しい風景にも違いはあるようだ。
 ところで、確か村上春樹だったと思うが、ある人を指して、無能で人に迷惑をかけるような困った人だと思うが、しかし彼も奥さんに愛されている(つまりいいところだってあるのだろう)。ということを書いていたのを思い出すのである。
 仮に鳩山さんという人がいて(故意に言ってますね、完全に)、本当にバカにしか見えない訳であるが、彼にだって家族が居て、そうしてひょっとすると「お父さんって立派だ」と慕う子供がいるのかもしれない。身家だから当たり前だという言い方もあるかもしれないが、そういう顔が完全に嘘であると誰が言えるのか。
 ま、僕もひとの事をボロクソいうことがある訳で、自戒という意味ですな。すんまへん。
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思いは届くはず   魔法にかけられて

2013-09-06 | 映画

魔法にかけられて/ケヴィン・リマ監督

 僕は大のディズニー嫌いと言っていい。それは単なる偏見だが、理由はそれなりにある。何となく子供を馬鹿にしているというか、健全くさい偏見に満ちているように感じるからである。その上にすべてがウソ臭く、しかしその嘘に酔っているようなきらいもある。知らずにディズニー映画を借りてしまうと、非常に嫌な予感がある。その予感はたいてい当たって、そうして嫌いが増強されてきたということなのかもしれない。
 そういう人間が、かなりディズニーらしいこの作品を観てどう思ったか? 答えは自分なりに意外なのだが、大感動!だったのだ。実に素晴らしい。これは僕の心境の変化なのか。たぶん違うと思う。実に嘘っぽいディズニーらしい映画なのに、そういう底が抜けている感じなのだ。行き過ぎるとたいていは悪い味も残る。しかしこの場合の行き過ぎは、かえって良い効果を生んでいるようだ。主人公の女性が歌いながら踊る。通りの人間もいつの間にかさまざまなダンスを展開して夢のような世界が現実的に展開する。楽しい!というのが素直な感情で、そうしてそのとぼけた楽しさがどんどん昇華されていく。ストーリーは本当にどうでもいいような内容である。しかし、この踊りと歌を観るだけでも、十分に元が取れたと言っていいはずだ。気分の高揚はそのまま持続して観終わることができた。さらにチャプターを確認して再度の歌の場面を観る。やはり素晴らしい。この飛び抜けた精神の見事さは、今までのディズニーのごみのような映画の多くを、忘れさせるに十分なものだった。もちろん駄目なものがほとんどだろうけれど、この映画は特別である。これだけ何も感考えずに楽しい気分というのが約束されている映画なんて、そうそうあるものではないだろう。決して名作では無いのだろうけれど、この奇跡の5分間だけでも僕にとっては十分に名作だと思う。そうして、僕も同様に思いは届くと信じているのである。
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