カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

愛は馬鹿げて純粋だ   フィリップ、きみを愛してる

2013-09-30 | 映画

フィリップ、きみを愛してる/ジョン・レクア、グレン・フィカラ監督

 何度か書いているが、実話をもとにした映画というのは、たいてい信用ならない。特に実話の人物が現在も生きているのであれば尚更だ。作品に向かって個人的真実を知っているのは、実話の張本人であるはずだ。既に客観視された作品を作ることは不可能ではないのか。
 ところがこの映画は多少事情が違いそうだ。当事者の内一人は映画の場面にも出演しているそうだし、何よりもう一方の主人公の方は、塀の中でお勤めをしているらしい。
 それじゃあ犯罪映画か? ということだが、答えはイエスではあっても、それだけでは片手落ちだ。実は基本的には恋愛映画なのである。それも極めて純愛。ピュア過ぎてちょっとどうにも信じられないくらい。だから実話であるという前提が大変に重要なのだ。犯罪者で無ければこの純粋さを描けない。そうしてさらにいうと、ゲイで無ければこの純愛の価値が描きづらいのである。
 男女の愛は過去から繰り返し描かれ過ぎている。妨害される要素も実にさまざまだ。しかし男女というのは社会的に住み分け可能な性ということも出来る。対象性に既に純粋さが欠けている。家の事情があったり、資産の事があったり、さらに身分のこともあるだろう。また、子供という要素だって当然絡んでくる。口ではなんとでも言えるが、傍から見ての純粋さは、限り無く疑わしい。本人たち、当事者たちだって、裏にどんな思惑を持っているのか分かったものではない。本当に純愛を貫いていくには、現代社会はあまりにも複雑怪奇になり過ぎているのである。
 それでも掛け値なしに自分の人生をかけて人を愛することを表現するとしたら、そうして犯罪行為こそその証明になりうるということは実に意外である。それはお互い塀の中で知り合ったということもあるし、刑期の問題もあるから、片方が先に出てしまうと、無理に外に出なければならないではないか。そこのあたりはもう少し辛抱が必要ではないかという疑いがあるのだが、なんと自分の職業が詐欺師なのだから、そう簡単に信じてもらえるわけが無い。だからこそ犯罪を重ねてその障害を取り除いてもらうより無いのである。
 なんとも馬鹿げた話で、こんなことを漫画に描いても、馬鹿らしいと退けられてしまうだろう。ところがそれほど馬鹿な事を実際にやってしまった人がいて、そうしてその方法が実に天才的なのである。純粋な恋愛過ぎて行き過ぎたコメディになる。そうして、これが紛うことなく傑作なのだ。さらに僕はその純粋性に呆れはて、感動したのである。愛というのはなんと馬鹿げたことなのだろう。そうしてなんと美しいのだろう。
 そうしてやはり、これくらいの気持ちが無いとダイエットも出来ないと悟ったのであった。答えは映画を観るべき、と言っておこう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする