カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

戸籍の記載が現実に即しているという幻想の修正では

2013-09-05 | 時事

 嫡外子相続二分の一違憲判決ニュースは、ふーん、程度だったのだけど、ネットではあんがい批判的な意見も多いのでかえって驚いた。みんな何をそんなに恐れているのだろう。
 まあ、遺産相続でもめるのは、持っているところでは普通に揉める。いや、もちろんもめないところもあるが、さらにもめる要素が増えると考える人が多いのかもしれない。でもまあ普通に考えると、そんなに付き合いの無い別の家庭の異母兄弟が、親の死後に遺産の相続分をくれと言ってくる場合の方がものすごいレアケースなんじゃなかろうか。その上に裁判にまで発展して相続分を、なんてことになる場合はさらにどうなのか。まあ、少ないから問題では無いとは言えないが…。
 親の介護もしてない他人のような人が、相続だけ権利を主張するのはおかしい、という意見もあった。よく分からんが、これも言ってくる人はあんまりなさそうだけど…。まあしかしそれは実のきょうだい間でももめそうですね。今回の判決でこのもめごとがさらに増えるという以前の問題ではないかとも思う。
 いろいろ杞憂のあるのは分からんではないが、今回の判決のポイントは、たぶんしかしほとんどそういうことを指しているのではないと思う。基本的には役場に対して、事務的にこうなったからよろしくね、ということなんじゃなかろうか。さらに日本の戸籍制度に対しても、今後は少し手直しの必要もあるかもしれんね、ということでしょう。
 さらに今までも度々話題にはなっていたが、日本の婚姻制度そのもののひずみから生じている問題という気もする。僕も普通に結婚式などでは口にするけど、ご両家のご結婚のお祝いというニュアンスから、完全に個人同士の結婚というものに変わっている事が一つと、そもそも婚姻すらしない事実婚のカップルも、相当増えていくという予想があるんじゃなかろうか。さらに当然離婚問題もある。離婚率は減る傾向は考えられないので、当然そのことに比例して、2人以上の父親を持つ子供の数というのは、今後減ることは無いだろう。
 文化や習慣の違いがあるとはいえ、日本と韓国以外の国では、婚外子という存在はごく普通というか、実はメジャーということになっているらしい。今はまだ少数だから実は無視されていたということであって、当然そういう流れになることは、もはや必然的なことなんだろう。そうであるのに、一緒に暮らしていた事実上の親が死ぬと、嫡外子ということで二分の一の相続ですね、と役場で言われるのを覆すのがなかなか難しい、ということなんじゃなかろうか。
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分かりえない事を知る   不可能 不確定 不完全

2013-09-05 | 読書

不可能 不確定 不完全/ジェイムズ・D・スタイン著(ハヤカワ文庫)

 副題に「できない」を証明する数学の力、とある。数学や物理の世界では、出来ないことが分かることで新たな道が開けることがあるという逆説的な話を紹介している。数学の世界の事は出来ないことで悔しい思いをしている人も多いことだろうから、さらにそれはどういうことなのかというのは、ちょっとばかり分かりにくいかもしれない。少し骨のいる読書体験かもしれないが、しかしこれが面白いのでもうけものだ。人間の答えを求める業のようなものを感じさせられる上に、最終的には答えにたどり着けないと言いながら、さまざま問題点を検証してあらい出すことができる。数学的な言語を手にした人間は、本当にさまざまな事を知りえることが出来たのだという歴史も勉強できる。神様がいるかもしれないことと神様の存在を証明できないパラドクスも、数学的に考えることができる。まったくまじめにこんなことを考えてしまう人間という動物が、本当に愛おしくなるに違いない。
 数学の世界だけのことではないが、人間の癖として、物事は必ず理解できる方法があると考えている人は多いのではないか。複雑な問題がからんで訳が分からない状態になっても、からんだ糸さえほどいてしまえば、理解できるはずだという感覚は分からないでは無い。実際にそうやって理解できるものも多いのだろうし、そういう努力自体は必要なものかもしれない。しかしながら、そうやって解いていこうとしても、さらに何らかの不都合が生じて、本当の理解にはたどり着けない物事というのは、実際にはゴマンと世の中には存在するのが事実である。なんだか気持の悪い思いをするかもしれないが、何もかもが分かりえるとは限らない訳だ。それでも物理的な現象は、かなり説明ができるようになっては居る訳だが、量子力学などの世界になると、そうなっているはずであると分かってきた現象自体が信じられない世界であったりする。とても常人では受け入れ難い事実なのだ。
 最近選挙があったからタイムリーな部分もあったが、選挙制度においても、本当に適正に選ぶ方法というものは、実は存在しない。そうではあっても、比較的ましな方法を採用して実施するより無い現実がある。人間の意思的なふるまいであってもそのようなものであって、何らかの矛盾を含んだものを生活の中で受け入れるより無いのである。中には大変に不公平だったり、ちょっとした不都合も含まれているということを分かりながら、世の中を再度眺めていくというのは、やはり人間の営みには必要な事なのではあるまいか。
 多少とっつきにくいところは無いではないが、まったく理解できないようなお話でも無い。いや、むしろこのような不都合が面白い訳で、数学の世界の混沌を理解する読み物として大変にお得な本なのではなかろうか。飲んだ時のうんちくにも役に立つが、この本と同じような再現力が身につくには、多少の修練は必要かもしれない。
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