カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

素直に見れば

2013-09-02 | 時事

 宮崎駿の引退。最初に思ったのは「風立ちぬ」が予想より売れてないのかな?というもの。このタイミングだから宣伝としてのテコ入れは当然あるだろう。さらに興味を引くにはこれ以上は無いだろうし。まあ、実際に最後の作品となるのなら、観ておこうと思う人が増えるに違いない。
 残念に思う気持ちは分からんではないが、何となく分かっていたことじゃなかったか。宮崎自身は、だいぶ以前から「辞める辞める」と言っていた気がする。アニメーションは体力的に厳しい仕事なのだという。やったこと無いけど、それはそうだろうという気はする。
 ジブリという会社が大きくなると、維持するのが大変になるのではないか。ヒットを飛ばせばいいのだろうけど、いくら人気があるからといって、必ずヒットを飛ばせるというものではない。今と昔は違うとはいえ、「カリオストロの城」だって興行的にはコケたのではなかったか。さすがに現在の宮崎ブランドならある程度はヒットしない訳は無いが、コンピュータを使わないジブリのようなやり方でアニメーションを作ることは、相当な資金を必要とするらしいという話は聞いたことがある。実際の話、手書きのアニメーションは、韓国などへの下請けが主流になっているようだ。売れ続けているから何とか維持できているものの、さらに売れなければ危ないという会社の認識もあるのではないか。
 何度でも使える手では無いとは思うが、いくら引退しても、また作りたくなれば作ればいいだけのことだ。いつまでも期待される重圧に耐える方が、残りの人生がつらいということもあるだろう。本当に期待が消えるとは考えにくいが、幾分でも弱まると、逆に創作意欲が湧く可能性だってあるだろう。むしろ、引退したことで、次回作が作られる可能性が高くなることもあるかもしれない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

もう少しで完全犯罪   パイル3Dの壁・刑事コロンボ

2013-09-02 | コロンボ

パイル3Dの壁・刑事コロンボ/スティーブン・ポチコ監督

 これはけっこう記憶に残っていた。子供心にコロンボの危機のように感じていたに違いない。最終的にコロンボの方が一枚も二枚もウワテであることに舌を巻く事になるのだが、しかし大人になってみると、それなりに危うい勝負だったのではないかとは思った。それでも勝ちは勝ち。そう捉えるべきだろうか。
 競馬場(調教もしくは牧場)のところまで捜査の手が伸びていたはずだから、死体が見つからなかったというのはよく考えると疑問は無いではない。しかしそれではお話が成り立たない。上手いトリックのためには目をつぶろう。
 死体が見つからないという状況で、殺人課が捜査するのか問題というのもある。見つからなければ失踪、もしくは行方不明だし、日本の場合ならどうなるのだろう。被害者の愛人のように確信を持てるなら別だが(さすがというか)、なかなか難しい問題ではなかろうか。ヤクザなんかがコンクリート詰めにして海に投棄するというが、死体が見つからなければやはり捜査自体をしないということもあってのことだろう。聞くところによると日本で行方不明のまま見つからない人は、年間に1500人程度いるらしい。そのうち死んでいる人は当然いるだろうが、殺されている人だっているはずである。事件にさえなっていない殺人というのは、やはり存在しているはずだ。やはりその為にも死体が見つからない状態を作ることは、完全犯罪の第一歩という感じもする。まあ、どの程度の人に参考になるかは分からないけど。
 しかしながら実は、金を出す人が出さないというから殺すというのは、やはりかなりのエゴという気がしないではない。さらに若い奥さんをたぶらかして計画を実行しようとするというのも詐欺的だ。実力があることと夢の実現の両方のための犠牲というのも何となく納得しがたい。犠牲者の傲慢そうな描写というのは、そういうことへのバランス感覚ということなのかもしれない。
 さらに何故だか子供の頃からよく覚えていたものに、役場の許可を得ようとコロンボが窓口に並ばされるエピソードがあった。ああ、これだったな、と思った訳だが、あんがいあっさりコメディタッチだった。これは大人になって何度もうんざりさせられている訳だが、この場面のトラウマのようなものもあるのかもしれない。しかしコロンボだって負けなかった。僕も負けずに並び続ける人生が続くのであろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする