カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

何故缶詰なのに歩数が伸びたのか(理由編)

2013-09-22 | 散歩
 まあなんというか、飲みに行く編です。

 ホテルの目の前の飲み屋街の入り口。以前はそっちに行ったような記憶があって、反対側に行くことになりました。





 でも入ったのは、以前も行ったことがあるお店。あんがい律義なんだよね。



で、乾杯して。









これも思い出したけど、鶏が有名らしい。それも若鳥と親鳥とを食うのがいいと店員さんは言った。
単に二皿出したかっただけかもしらんが、食べ比べは出来る。当たり前だが、若鳥の身は柔らかく食べやすい。でも味のあるのは親鳥。堅いけど。
 後で知ったが、店によっては若鳥が高い店と親鳥が高い店とあるようだ。好みの問題だけど、どっちが高級かは店によって考え方が違うらしい。

 で、二次会も料理屋。

写真は撮り忘れた。

 ぼつぼつ歩いて帰る。








で、草間彌生を見つける。なんだか、うれしい。



ここで曲がって、





あ、船頭さんが店に入った。



メニューにも、草間彌生。



よくみると、アートな感じのうどん屋さんでした。現物は撮り忘れた。ごめん。



コンビニなんかにも寄ったけど、すぐ撃沈したような気がする。部屋はせまくて古いけれど、特に関係ないです。



翌朝も散歩。











駅まで来ると、有名な連絡船うどん。

橋ができる前はこれを食べて島に帰って来たと実感したらしいが、橋が出来て連絡船は運航をやめ、店も閉じた。さびしいという声を受けて、駅に復活したものらしい。

シンボルタワーを見上げる。


駅前にも朝から空いているうどん屋が数件あるらしい。けっこう客は入っている様子ではあった。



ビルの足場がオブジェっぽかったので。




で、またぶらぶら。








お勉強の方は開会式となんだかんだ。最初の頃は割合真面目に聞いてたんだよね、ホントに。



でも休み時間は散歩に出ます。























分科会の天井が未知との遭遇だった。



やっと終わってへとへとになって、ホテルに帰って飲みに行った。記憶と写真は何故か無いようでした。



たぶん、続く。










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ただ面白いだけでは無い面白さ   青木さんの奥さん

2013-09-22 | 読書

青木さんの奥さん/内藤佑敬著(冬芽社)

 戯曲を読む習慣は無いのだが、これは面白いと聞いて気になっていた。それにそれ以上に意味深なことも聞いた。それなら自分で確認しなくては。
 基本的にはギャグである。コント、と言っていいだろう。後で知ったが、芸人でない芸能人がこれをネタにしたものがあるという。確かにこれなウケるだろう。演技も必要だが、いわゆる力技が効く。そう考えると学校の演劇なんかに最適ではないか。恐らくそのことを考えている学校の先生も居ることだろう。ちょっと大人のテイストが無いではないが、校長先生が優秀なら、通る話ではなかろうか。
 とにかく、これがなかなか面白いだけでなく、やはり考えさせられたのである。僕は演劇のことはからっきし知らない。台本の書き方はさらにどうにも分からない。ところがであるが、これを読むと台本を書くヒントが髄所に隠されているのである。というか、ほとんど秘伝の技が、開陳されている。なるほど、このようにして台本というものが書かれていくのか、ということがドキュメンタリーのように理解されるのである。
 演劇の場合舞台だから、場所からあんまり動かない方が都合がいい。カメラでカットを絞ることも出来ないから、舞台の上でバラバラに動いても、観客は上手く見ることができなくなる。人の動きで、そういうことを表現しなくてはならない。そうすると、実は本当に狭い場所でいろんなことが展開されなければ、お話が進まない。場所を移動しないで、さまざまな事を演じるにはどうしたらいいか。脚本家はそのことに頭を悩ませているに違いない。そうしてそういう悩みを突き詰めて考え抜いていくと、このお話しになったのであろう。ひとつの場所で、実にいろいろなことが表現されていく。それは本当に見事なもので、感心を越えて呆れるばかりだ。そうして、延々とギャグは続く。おかしさは連鎖して、そうして補完して、とんでもないところへ飛んでいくのだ。
 演劇の世界に魅せられる人は、自己顕示欲の強い人なのだろうか。人に見られることが前提だから、もちろんそういう人が居ない訳ではなかろう。しかしむしろ、献身的な人が多いのではなかろうか。つまり人に楽しんでもらいたい。人が楽しむから自分も楽しい、みたいな。結果的にそういう行為に取りつかれてやめられなくなっていく。その中毒になるきっかけは、やはりその本ということになるのではないか。
 そういう訳で、面白いだけのお話では無い。まさにこれは名作なのだろう。もちろんただ笑いたいだけの人でも十分に価値のあることだ。このお話が広がっていくことを切に願うばかりである。
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