カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

注意されなければ守れない件

2013-09-09 | 雑記

 昨夜は宴席があり出掛けたが、行く前につれあいからきつく注意を受ける。いうまでも無く今夜はオリンピックの話題が出るに違いない。場の空気を考えて発言しないなり考えなさい、というもの。いくら正しいと思うことを言っても、今夜の場合まったく理解されないのは分かりきっているのだから。
 へいへい。おいらをいくつだと思ってるんですかね~。とは思ったが、同時にこんなことを書いても失笑を買っているくらいの子供だという事実が過去には多すぎる。もちろん注意しましたぜ、いつものことだが、僕だって思っていることの一割五分くらいしか普段は言わないんだよ。それでも衝突する訳だが、本当に利害がある場合は、自分の意見は一切言わない。特に意見を求められたらポジション・トークに徹するに決まってるじゃないですか。何のためにブログ書いてるんだということです。
 FBなんかでも、この人は基本的な考え方に間違いがあるな、と思うことは多いんだけど、あえてスルーは日常的だ。別に間違ってたって人格がおかしい訳ではない。ま、その疑いがある人も居ないではないが、めんどくさい。
 でもですね、議論というのは厄介で、考え方の違いで衝突すると、人格を疑う人というのは多いんですよね。それが日本的といえばそうで、日本人の発言の下手さが指摘されるのは、このような感情があるせいかもしれない。
 多少大げさだが、間違った考え方を持っている人が一緒に暮らしている状態を平和というんじゃなかろうか。時には嫌なことだったり、明らかな事実誤認だったり、勘違いだったり、思想の偏りだったり。多くの人は、所詮自分とはまったく違った過去と考えを持っている。だけどもそういうローカルな場所でいくら間違った意見が交わされても、世の中の平和が保たれている。そういう関係の無いゆるさこそ、自由と平和の象徴だ。
 いくら小さい集団であっても、いってはならない事を言ったと糾弾され、そうして迫害に至ったり、時には逮捕されたりという国家があれば(今もあるだろう)、それは明確に平和なんかでは無い。いろいろな問題が表面に出ても、そうしてそれは大変に困ったことではあっても、極端に一方が糾弾されてしまうことが何より異常なのである。皆が一様に素晴らしいと思うことなんて、いかに醜いことなのだろうか。
 ということなんだけど、自分のささやかな平和も守らねば。日本、おめでとう!(やっぱりおいらは子供だよ、まったく!)
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アンチ・アンチ・エイジング

2013-09-09 | culture

 年を重ねていくと、やはり見た目の衰えというのはそれなりに気になる。いつまでも若々しくありたいというのは、素直な願望とは言えるだろう。
しかし若いからストレートにいいのかというのは、昔若かったからそれなりに疑問はある。年齢の割に少しばかり若い程度で十分ではある。
 そういう訳で完全なる見栄だが、しかし実際に年配の人などから若いと言われるのは特に嬉しい訳ではない。羨望のまなざしを向けられるほど意味が無く若い訳ではない。
 やはりある程度自分自身での誤解の範囲で、少しばかり若ければいい。まわりから何も言われない程度に。さらに正直に言うと、もう少しの間(10年くらいかな)髪が残っていてくれるだけで良いんだけどな。
 ところでアンチ・エイジングという考え方がある。そうありたいという人々には、ダイレクトにいい言葉なんだろう。米国にはさらに超人のようなスーパー老人がいるらしい。



 この人は有名なジェフリー・ライフ先生。薬を使っているらしいことで批判もあるらしいが、凄い鍛えようである。顔はさすがにお年を召しているが、実に若々しい事は確かだ。いや、ちょっと異常な圧倒感はあるが…。
 これが僕はやはり苦手だ。若くありたいが、こうなりたい訳じゃない。そうしてさらに、これが素晴らしい事だという感覚が、どうにも…、という感じだ。
 米国社会に限らずだが、老人でありたくないという社会は、既に病的だと思う。人は年を重ねると、老けるものなのである。そうして老けると、そのことだけで尊敬を受ける。というのが理想ではなかったか。そんな気がするのであろう。
 若くありたいというのは、不幸な願望という気すらする。そう思わなくていいくらい、いい年を取りたいものでありますね。結局、まだまだ年が足りないだけの話なのでありましょう。
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