カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

雨降って水を忘れる

2013-09-10 | culture

 また暑くなっては来たけど、赤とんぼも少し下界に降りて行って、かなり秋らしい感じ。やはりひと雨、というかそれなりに雨が降った後は違うということだろうか。少し前には夏は終わらんとか、雨が降らずにどうしようか、などと言っていたことが嘘のようだ。
 先日もテレビで松島のある島では日照りが続くと雨乞いの歌を歌う(って踊る)というのをやっていた。今でもやるそうで、実際に効果があると出ていたお母さんが言っていた。
 インカ帝国だったか、とにかく昔のある場所では、日照りが続くと人の首を切って神に祈ったという。まったく雨が降らないと大ごとだよね。現代に生まれて良かったです。
 石木の地区の人には悪いけど、佐世保の人からはダム何とかならんかなあ、という話も聞いたことがある。日本のように山ばかりの島国は、せっかく比較的雨が多くても、溜めておかなくてはどうにもならん、ということなのではなかろうか。神頼みよりも根回しの国になったのも、結局は雨の関係もあったりするんではなかろうか。
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宗教的な正当性を描く   エリザベス

2013-09-10 | 映画

エリザベス/シェカール・カプール監督

 女王がいる国というのは他にもあるのだろうが、やはり宗教的な事情があるせいだろうと思う。日本の宗教的な配慮は、いわゆる側室に寛大な所があるせいで、女王がとりあえずいないということではないか。世継ぎをする人間は、必ずしも正室である必要が無い。ところが宗教的に厳密な国となると、順位の上で少し問題が出てくる。男のみと決めてしまうと、いわゆるお家が断絶しかねない。さらに神に永遠の愛を誓って結婚するとなると、簡単に相手を変えられない。つまるところそういう建前上のルールを規定しているのが、宗教ということになろう。国の王というのは、つまるところ宗教を扱う権力者が元になっているはずで、国というものを動かすのは、極めて宗教的な所作ということも言えるだろう。宗教的な権力の集権は、だからこそ政治の始まりなのだろう。
 血で権力を持つものであっても、そうした政治に長けている人間も当然いる。いやむしろ、権力というのは、そういう血を利用した方が大変に都合が良いのである。人間の人知の及ばないところまで、宗教は立ち入ることができるからだ。だから政治に長けるというのは、必ずしも本人だけの能力を指している訳ではない。そういう人が集合体の化学反応として、結果的に有能な仕事を成せるかどうか、ということになるだろう。
 史実の事は知らないのだが、そういう化学反応に極めて有効だった人物が、エリザベス女王だったという印象を残した。女王だから女である。結果的に女性的に女を捨てる。そういう本人の都合を描いた物語である。人がたくさん死ぬので、迷惑な話でもあるが、しかしそれが時代である。死んだのは宗教的な都合で権力を失ったから。そういう意味では極めて危険なバランスの上に、強大な権力が乗っかっている。本人がどれだけそのことを承知していたのかは知らない。しかしまわりの人間はそのことを十分知っていたはずである。しかしやはり判断を誤るものがいる。生まれながらの宗教であるのなら、それも運命である。女王が悪かったと嘆くより、己の時代に合わない時間性を呪うべきだろう。
 映画的には演技が素晴らしいということのようだ。それにしてもこういうのが彼等は好きなんだろうな、ということは理解できた。悪くは無い。しかし史実を描いても、やはりどこか演劇的な仕組みの方を楽しんでいる。そういうところがやはり宗教の違いということを表しているのかもしれない。演劇ならば、本来はまったくの作りもの、つまり嘘である。もっともらしい嘘をつくしかないというのが、宗教的な正当性ということなのかもしれない。
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