風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

旅を考える

2024-08-31 | 
また旅に出たい気持ちが募ってきた。
仕事絡みじゃない旅は、いつもなら夫婦で出かけるけど
なんか今はひとり旅にも惹かれる。
大都市ではなく、知る人がひとりもいないような中規模のまち。
観光地や観光スポットにはあまり興味がない。
知らないまちをぶらりと歩き、港や街角でぼんやり。
そしてカフェや喫茶店を見つけ、そこで地元の人と話したい。
アルコールは飲めないけど、郷土料理の居酒屋もいいな。
その地ならではの芸能や文化に偶然触れるってのも
旅の楽しみのひとつのような気がする。

旅はできれば鉄道がいい。
近くまで行くのは飛行機や新幹線でもいいけれど
周辺を巡るにはローカル線がいい。
デイパックひとつ背負って、車窓の眺めも楽しもう。
昔ながらの建物が残る駅舎にもそそられる。
通る人が少ない駅前でお店を物色するのも楽しそうだ。
トラムがあるまちだと更に魅力的。

泊まるのは温泉がいい。
それも豪奢で大規模な観光ホテルなどではなく、
ひなびた小さな温泉旅館。
もし温泉がなければビジネスホテルでいいよ。
夜は夜で出掛けて地元の料理など楽しみたいから
寝るだけの場所にゴージャスさは必要ない。
その土地の人や言葉や料理や文化に触れたいんだよね。

ひっくり返して考えてみる。
岩手や花巻はそういうところになっているかな?と。
ここを訪れる旅人は何を求めているんだろう。
ジャグジーやフレンチのコース料理などではないだろうな。
ここにある(いる)人や言葉や料理や文化に
触れられる環境を整えているだろうか。
自由にまちの中を歩き回れるようになっている?
観光スポットの押し付けになってないかな?
「これが欲しいだろう」と想像して提供するだけじゃなく
ニーズに沿った環境を整えて、
旅人が好きなように歩き回れるような街が必要じゃない?
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新兵器

2024-08-30 | 音楽


買っちまった😅
メルカリで発見した中古のエレガット。
CrafterのCTS-155C/N。
エレキのような薄いボディながらちゃんと箱で
生音もそれなりに鳴ってくれるし、
何よりナット幅が48mmと細くて違和感がない。
LRBaggsのプリアンプも嬉しい。
中古ながらかなり程度も良いんじゃない?
すげー安かったし。

下手くそだけど、
なんだかんだギターを弾く場面がここ数年増えてきつつある。
バンドもだし、家内の三線とのデュオもだし
たまにはピンの弾き語りもある。
その際、スチール弦のギターではない音が欲しいなーと
ネットでチラチラ見ていたのだ。

エレキは、数年前に東京の音楽仲間からいただいた
ARIA PROの廉価版BLITZのセミアコ(ES335モデル)と
メルカリで買ってちょいとカスタマイズした
同じくARIA PROの廉価版LEGENDのテレキャスター。
(テリーは主にカッティング用)
アコギは
中学生の頃に父に初めて買ってもらったK-Countryのギター
(手放せなくて今も友人の店に預かってもらっている)と
メインで使う、東京の音楽仲間から買ったTAKAMINE、
都合4本を今持っている。

「手は何本?」と言われるけれど😅
それぞれ用途が違うんだよなー。
エレキはバンドで、
スチール弦のアコギはデュオやストローク系の弾き語りで。
そして今回手に入れたエレガットは
ピンの弾き語りのメイン機として使ってみよう。
届いてすぐにちょっと試し弾きしてみたけど
なかなかご機嫌な1台。
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「島唄 オキナワラプソディ〜登川誠仁伝」

2024-08-29 | 読書

20年前に刊行された古い本だ。
しかも版元の荒地出版社は今はもうない。
でも、だからこそ貴重な本がある。
図書館の大きな存在意義のひとつだろう。

正直言って、文章もたどたどしく
それをカバーすべき編集も足りないと感じたが
それが逆にうまいこと登川氏のテーゲーさを表している😆
人となりを表現する手法だったとしたら脱帽だ。
まぁ、ただテーゲーな人ではないのだが。

過酷な沖縄での戦中、戦後を逞しく生き延び
琉球民謡の第一人者として知られる登川氏の評伝。
ヤンチャな生活と芸能へのひたむきさ。
酒とタバコと唄と三線(彼に言わせれば三味線)。
贅沢にも偉そうに見せることにも興味がなく、
ストイックに民謡を収集したり作ったりしながら
その他のことはテーゲー。
そして簡単にヤマトに尻尾を振らない。
そんなところが登川氏の魅力だったんだなぁ。

私自身は映画「ナビィの恋」でその存在を知ったけど
その後CDなどでその唄の滋味を味わってきた。
誰にも真似できない唄の節回し、声、抑揚、歌詞・・・
それを表現するのに「滋味」という言葉がぴったり。
いかにも登川氏の人生そのものが現れている。

ヤマトでは民謡といえば古いものだけど、
沖縄では古くからの音楽や芸能などを古典という。
民謡は言葉通り「民の謡」であり
古かろうが新しかろうが
生活や心情や滑稽や恋情を唄ったもの。
時には即興などもあるし、踊りとも結びつく。
登川誠仁氏は唄うのも、作るのも、演奏するのも
すべてにおいて第一人者だった。
2013年、80歳で没。

「島唄 オキナワラプソディ〜登川誠仁伝」
森田純一:著 荒地出版社
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晩夏(ひとりの季節)

2024-08-28 | 生活の風景



藍色は群青に 薄暮は紫に・・・
大好きな歌。

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清水観音

2024-08-27 | 散歩

日本三大清水といわれる清水寺が
花巻市街地南西にある。
坂上田村麻呂開設といわれる古刹で
古より近隣の多くの人々の信仰を集めてきた。
江戸時代に建てられた道標にも
「右はゆのみち 左はきよみつ」というものがある。

ここは当國三十三観音霊場の1番札所となっていて
盛岡から北上までの33ヶ所の観音の1番目になっているが
なにしろ全部回るのは大変だ。
ということで、この山門の上には33観音像が安置されていて、
ここに行くだけで全て回ったことにできるという。


例年8月10日の例大祭には
多くの人々が集まっていたというが
今はどうだろうか。
清水というだけあって、隣には水神が祀られ
清らかな清水が沸いている。
初夏には蛍の群生も見られるところで
息子たちが小さかった頃見に行ったことがあったなぁ。
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生まれ変わったら

2024-08-26 | 風屋日記
自分のこれまでの人生は概ね満足だし
後悔がないほど充分に楽しかったけどさ、
でも「こんな人生送ってみたかったな」ということはある。

まず、今の仕事をするには少々遠回りしすぎた。
若い頃からもっと深くこの業界で仕事をしてみたかった。
まぁその代わり、企業経営や人事、財務など
様々な仕事は経験できたけれど。

進学先として大学を選ぶ際
文学部などの文芸系しか当時は眼中になかったけど
文化人類学や社会学も面白そうだなぁ。
学芸員という道もある。
今の仕事の中にはそれに近いものもある。

この10年ほどで興味を持ったのは建築の仕事。
今高校生だったらそっち方面に進むのも良かったかなぁ。
建築は建物を建てるだけの仕事にあらず。
まち全体をデザインしたり、文化も作れる。

そして、ここまで書いたことと全く関連しないが
実は小さい頃から船乗りにも憧れていた。
最初に興味を持ったのは「長靴下のピッピ」を読んでから。
見知らぬ国を知ることに面白さを感じた。
今でも船が好きだけれど
子どもの頃と違い、あまり大きくない遊覧船や連絡船に憧れる。
観光地を巡ったり、湖を渡る遊覧船や離島同士を結ぶ船。
先日テレビで見た、瀬戸内海の島々を巡る療養船もいいなぁ。
厚くペンキが塗られたデッキで感じる潮風。
見渡す限りの水面を割っていく波形。
乗客との会話、桟橋で手を振る人たち。
老船乗りって姿もいいよね😁
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幸田神楽鑑賞会

2024-08-25 | 神楽・芸能


本日開催のこのイベントに
上根子神楽もゲストで出演予定。
場所は新花巻駅から土沢へ向かう途中、
釜石線小山田駅の近くにある幸田公民館にて。
幸田神楽の本拠地 八雲神社も近い。



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「柳は燃ゆる」

2024-08-24 | 読書

普段はほとんど歴史小説を読まない私が
どうしてこれを読んだかというと、
岩手出身の平谷氏は私と同い歳であり
また岩手日報随筆賞審査員を務められていて
表彰式時に何度か会話を交わしたことなどから
作家そのものに興味を持ったからだった。

主人公の楢山佐渡については
明治維新時の南部盛岡藩家老として
死をもって新政府軍に敵対した責任を取った人間
ということぐらいしか知識がなかった。
歴史的資料や事実に基づく本書にて
特筆すべき傑物だったことがわかったと同時に
その周辺にいた東政図、原健次郎(敬)、佐藤昌蔵など
後の世において、日本の中心を担った人材が
岩手に多数いたことも理解した。
中でも楢山の慧眼は現代にも通じるもので
(というより、現代の政治家に知ってほしいことばかり)
こういう人物が当時の新生日本を背負っていたら
その後、現代に至る歴史は変わっていたのではないかと
口惜しく思うのだ。

私自身、長州の血を引いてはいるが
維新時の薩長に対する気持ちは楢山に同意。
奥羽列藩同盟なかんずく盛岡藩が
なぜ佐幕の立場に立ったのか疑問だったのだが、
本書内で楢山が言う
「佐幕ではなく、尊皇思想は奥羽諸藩も変わらない。
 ただ私怨で暴力を振るう薩長に拱みできない・・・」
ですべて理解した。
自らは手を汚さずに暴力革命を企んだ岩倉具視が
もしかしたら1番の元凶だったのかもしれない。

「なにもできぬくせに足を引っ張ろうとする者。
 強い者の後ろにくっついてなにかおこぼれにあずかろうとする者。
 そういう奴らが、無責任にこの地を流血で染めるのだ」

「会津攻めが長州の遺恨だとすれば、
 次は薩摩の遺恨による庄内攻めが行われましょう。
 やられたらやり返す。まるでならず者の喧嘩ではございませぬか。
 国を造り直すという大事が、そういう形で行われるのは
 いかがなものでございましょうな」

「議員である親は、自分の子にその利権を譲りたいと考えましょう。
 生きているうちに色々な方面に働きかけて、
 自分の跡を継がせることになりましょう。
 今でも一代限りのはずの同心が、何代も跡を継いでおります。
 それと同じことが起こります。世襲はなくなりませんー。
 そう考えれば薩長が政を牛耳る世が何代も続くのではないかと、
 それがしは憂うのでございます」

「『奥羽列藩同盟なるものが結成されたと聞き申した。
  その同盟が掲げるのは、尊皇でござろうか、佐幕でござろうか?』
 前山の問いに、但木は即座に答えた。
 『むろん、尊皇でござる。我らが敵と見なすは、薩長のみ』」

「考えてみれば、世はそういうことの連続ではないか。
 信長公が台頭すれば信長公に、
 秀吉公が台頭すれば秀吉公に寄り添って甘い汁を吸おうとする者、
 そして謀叛を起こして甘い蜜の壺を奪おうとする者が出る。
 一つの国を蜜壺一つとすれば、国を一つ手に入れれば蜜壺の主だ。
 しかし、人は一つの蜜壺だけで満足はしない。
 二つ三つと欲しくなる。
 やがて、すべての蜜壺を手に入れなければ気が済まなくなる」

「誰も彼も、一つの思いに囚われて
 他の意見を取り入れずに突き進もうとする。
 その先に断崖があるというのに見もしない。
 いや、見えているのに、
 そこには断崖などないのだと思い込んでいる。
 愚かだ。人は皆、どうしようもなく愚かなのだ。
 崖からの転落を免れた者たちは、
 落ちて行った者たちの過ちを繰り返さぬぞと決意するが、
 喉元を過ぎて熱さを忘れ、同じことを繰り返すー」

「幕藩体制が崩れ、戦に敗れ、明日をどう生きるか救急とする侍。
 論功行賞でどれほどの褒美をもらえるか胸算用する侍ー。
 いずれにしろ心穏やかではない武士たちとまったく別のところで、
 日々の営みが続けられている。
 これこそが、この国を動かす力なのだ。
 侍たちは大きな考え違いをしている。
 二百六十年の静寂(平和)は、侍が作り上げてきたのではなく、
 民百姓たちが築いてきたものだ。
 静かなる民。物言わぬ民こそが、国の力なのだ」

「盛岡藩の道理は、他藩の道理ではない。
 他藩の道理は、盛岡藩の道理ではない。
 お前の言うようにこたびの敗戦の原因が単純なことではないように、
 戦が起こる原因も単純なことではないのだ。
 ただ戦のない世を作りたいと考えるだけでは浅い。
 もっともっと奥深くを考え、
 どうすれば戦のない世を作れるか考えなければな」
(この言葉は楢山佐渡がのちの原敬に語った言葉)

「政を司る者は、そのくらい先のことを見なければならぬと存じます。
 目先の利益を求めたり、政敵の揚げ足を取ったり、
 ろくな代案もないのに人の意見に反対する者ばかりでは、
 政は成り立ちませぬ。
 (中略)
 だからこそ、政を司る者たちだけでも、
 高潔な心、先を見通す力を持たなければならぬのです。
 国を導く者らが品性下劣で自分の足元しか見ておらぬのでは
 どうにもなりませぬ」

上記引用を読んでどう感じるだろうか。
靖国神社は元々、戊辰戦争における戦没官軍の慰霊のため
明治5年に作られた招魂社だった。
これほどの慧眼を持つ者たちは「反薩長」というだけで
招魂社に祀られるどころか、首を刎ねられ、遺骸は放置された。
私が靖国神社を認めない所以。

「柳は燃ゆる」平谷美樹:著 実業之日本社文庫


 
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命日

2024-08-23 | 音楽
今日は、かつて大変お世話になり
尊敬もしている方の命日。
今日は歌おう。
この記事のカテゴリーは「音楽」。
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コーヒーフロート

2024-08-22 | 食べ物・お店

暑い夏。
やっぱり夏は暑い方がいい。
汗をかいたあとは冷たいものが欲しくなる。
最近はいくら暑くても
熱いコーヒーを飲むことが多いが
この日はふと思いついてコーヒーフロートを。
ただのアイスコーヒーよりこっちを選ぶ。
美味しい😊

ジャズ喫茶フラニーにて。
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8月21日

2024-08-21 | 生活の風景
こんな年齢になっちゃったねぇ。
自分の年齢じゃないみたいだ。
だって心は10代や20代の頃と全く変わってないから。
変わったのは体力と容貌😅

これからあと何年生きられるかわからないが
少なくとも40年は無いかな。
いくら平均寿命が延びても30年すら怪しいものだ。
残された時間は20年と考えて、
毎日を味わいながら生きていこうか。
父親が死んだ歳まであと5年。
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111coffee

2024-08-20 | 食べ物・お店
先週末は、5月以来久しぶりに何も予定がない土日。
お盆の間は毎日仕事と墓参りで少々疲れたので
のんびり2日間過ごそうと考えていた。
土曜日は終日ゆっくり読書。
日曜の午前中までは涼しい家の中で過ごしたが
お昼を食べた後はぶらりとどこかへドライブしたくなった。
花巻市街地から花巻南温泉郷へと向かう県道12号線は
豊沢ダムから先の銀河なめとこラインが整備されたというので
そこを通って西和賀へと向かうことにした。
豊沢ダムの奥、野外活動センター跡から先は半分トンネル。
こりゃ確かに整備に長い期間がかかったわけだ。
そのおかげで快適に西和賀まで行けるようになった。

湯田方面へと車を走らせ、
知人夫妻が営むネビラキカフェへ行ってみたがお休み。
ならば以前から存在を聞いていた111coffeeへ行ってみよう。
どうやら山の中のキャンプ場にあるようだ。



気持ちいいキャンプ場。
子ども向け遊具もあるし、いい風が吹いている。


その管理棟だった建物の2階が111coffeeだった。
山桜の囲まれた自然いっぱいの中のカフェ。



店内も、ナチュラルながらおしゃれな感じ。



自家焙煎しているというので、
まずはブレンドコーヒー飲んでみなきゃね。
一緒に注文したのはサルナシとピーナッツバターのベーグル。


ピーナッツバターはおそらく自家製。
ナッツの風味が生きていて、
サルナシのフルーティな酸味がアクセントになっている。
お昼を食べてきたけど、割と軽いベーグルで
おやつにぴったりという感じ。


これまた自家製と思われるチョコナッツも。
さまざまなスパイスを配合していて複雑な味。
こりゃビールだべ😆
あまりおいしくて、お土産にもう1個購入。
この店はリピート必至、
紅葉シーズンにまた行ってみようか。
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疑問

2024-08-19 | 社会

なぜ闘い続けなければいけないのか。
というか、そもそもなぜ闘わなければいけないのか。
闘うということは、勝者と敗者が生まれること。
「暮らし」はスポーツなどとは違う。
勝ったら生き残れ、負けると生き残れないというのは
他人を踏み台にして生き残るということだよね。
それは人類という括りの中で考えると、
果たしてどうなんだろう。
経済の文脈では「共生」は語れない?

そもそも、企業も国の経済も
永遠に成長し続けるってどう考えても無理。
あり得ない妄想じゃないのかなと思う。
企業の役員や営業本部長経験者が言うのもなんだけどさ😅
でもその頃から疑問だったよ。
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20年

2024-08-18 | 風屋日記
ブログ「風音土香」を始めてから今日で20年。


最初は「風屋日記」として
日常のこともいろいろ書いていたが
タイトルを変えてから
自分の身の回りのことはあまり書いていない。

2004年当時、長男は高校2年生、次男は中学3年生。
それがもうアラ4にもなろうという立派な大人だ。
私はまだ40代前半でバリバリ元気だった。
まさかこんなに長く続けることになろうとは
当時は思ってもみなかったけれど
それ以来、途中若干休みを挟んでほぼ毎日更新で20年。

文章を書くことも生業のひとつである私にとって
ここはいわば素振りの場所だ。
毎日話題を探して何かしらをここに綴ることで
仕事の時もスムーズに筆が進む(実際はキーボードだけど)。
4千〜5千字は割と楽に書けるし、
ちょっと頑張れば1万字もそんなに苦じゃなくなった。

自分にとって大事な場所だけど
どうやら許される容量の限度が迫っているようだ。
そうなったらその後はどうするか。
ブログというメディアがもう古臭いものとなりつつあるが
今さら辞めるのもなんだか寂しい。
noteに場所を移そうかな。
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「早池峰山巓」

2024-08-17 | 散歩
 「早池峰山巓」

 あやしい鉄の隈取りや
 数の苔から彩られ
 また捕虜岩の浮彫と
 石絨の神経を懸ける
 この山巓の岩組を
 雲がきれぎれ叫んで飛べば
 露はひかってこぼれ
 釣鐘人参のいちいちの鐘もふるえる
 みんなは木綿の白衣をつけて
 南は青いはひ松のなだらや
 北は渦巻く雲の髪
 草穂やいはかがみの花の間を
 ちぎらすやうな冽たい風に
 眼もうるうるして息吹きながら
 踵を次いで攀ってくる
 九旬にあまる旱天つゞきの焦燥や
 夏蚕飼育の辛苦を了へて
 よろこびと寒さとに泣くやうにしながら
 たゞいっしんに登ってくる
  …向ふではあたらしいぼそぼその雲が
   まっ白な火になって燃える…
 ここはこけももとはなさくうめばちさう
 かすかな岩の輻射もあれば
 雲のレモンのにほひもする



宮沢賢治によるこの詩が書かれたのは
今日からちょうど100年前の1924年8月17日。
この日賢治さんは早池峰山に登り
この詩を書いたとされる。
作品を読んだり、「偉人」として伝記を読むと
どこか雲の上の人という感じに思われる賢治さんだが
例えば仕事で大迫の岳集落に行った直後
ちょうどこの時期、100年前にここを通ったと知ると
とても身近な存在に思えるから不思議だ。
岳集落から早池峰山麓にかけては
童話「どんぐりと山猫」の舞台ともいわれるところ。
風や、雲や、木々や、草花や、鳥たちから
生まれ出た物語。
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