風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

外交への憂慮

2005-03-25 | 風屋日記
これまでの当blogの統計(分析してるわけじゃ無いけど)上、
コメントがつきにくい話題をここらで一発。

そりゃね、よその国の顔色ばかり見てなくともいいと思う。
いちいち他の国の言うことに従っていたらきりがない。
大体そんなことばかりしていると矛盾も生じてくるし。
でもね、他人の気持ちを慮ることは必要だと思うよ。
特に過去傷ついた経験のある人達に対しては。

太平洋戦争、第二次世界大戦、大東亜戦争・・・
彼の戦争については色々呼び方はあるけれど、
どんなに大義名分があったとしても
たくさんの人達が亡くなり、心身共に傷ついた事実は変わらない。
私達の国でも、他の国でも・・・。
その傷を加害側から逆なでされたら、そりゃ誰だって頭にくる。
日本国民だって、アメリカ首脳から当時の原爆や他の空襲について
大っぴらに正当化されれば頭にくるでしょ?


無名の兵卒達の死は無駄では無かったと私は思う。
でもそれは「命をかけて国(というシステム)を守った」からではなく、
為政者や軍の指導者の間違いや愚かしさが、
これだけの犠牲を生み出すのだという証しとして・・・だ。
私自身も彼らの御霊を鎮めたいと思うし、それが自然な感情だろう。
ただし、そう思うのは一般国民の犠牲者達についても同じだ。
そして、心ならずも他国のために命を落とさざるを得なかった
朝鮮半島、台湾出身者をはじめとする、アジアの国々の人達についても。

保守政党の方々に、いくつか質問したい。
戦没者慰霊や平和を誓うのに、
どうして兵士と一般国民の犠牲者では慰霊の場所が違うのだろう。
どうして慰霊の対象は現日本国民だけなのだろう。
どうして愚かしかった軍指導者とその犠牲になった兵卒達が合祀されているのだろう。
そして、
兵士達の慰霊の場所が特定の宗教施設なのはなぜ?

日本の文化である神道そのものについては、
私も少なからずかかわりがあるし、悪いものだとは思わないが、
意図的に利用されてしまった歴史があり、
何となく現代においてもそうなりつつあるように感じるのだが。
コメント (4)
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