風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

「must do」と「can do」

2005-03-08 | 風屋日記
昨日の補足。

現在の平和憲法堅持が私の考え方だが、
憲法改正を唱える人達の声にも耳を傾ける懐の深さくらいは持っている。
一番恐いのは「憲法を改正すべし」という意見ではなく、
異質の意見を認めない全体主義的な流れだ。
戦前は、ちょっとでも体制に異論を唱えただけで、
あるいは(実際あったらしいが)地域に協力できなかっただけで
「非国民」とのレッテルを貼られて差別されたという。
私の父は徴兵された当日、病気が発見されて即日帰郷になったというが、
「帰った後の周囲の目の方が恐かった」と言っていた。

戦前ばかりではない。
近くは昨年のイラク日本人人質事件における「自己責任」の大合唱がある。
アメリカでも9.11の後、愛国心を表さない人達への迫害があったという。
そして今、「北」に対する強硬論もそうなってしまうことを私は危ぶんでいる。
多数意見を強硬に唱え、少数意見を有形・無形の力で押さえ込むこと。
これはいわば「Majority power harassment」だ。

政治にも、経済にも、社会にも、もちろんスポーツや恋愛にも「must do」はない。
それらはあくまで「can do」か「I think」付きの「should do」で語られるべきであり、
そこには状況に応じたプロセスと結果があるだけだ。
「must do」で語るべきなのは、唯一「倫理」だけだと私は思う。
「人を殺してはいけない」
「子ども達には慈愛を向けなければならない」
「他人を信頼し、愛さなければならない」
「欲に溺れてはならない」。

北朝鮮では満足な栄養が与えられている子どもが45%もいると、
WHO、WFPは報告している。
コメント (2)
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