風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

3月10日

2005-03-10 | 風屋日記
今日は3月10日。
戦前は陸軍記念日、今は松田聖子の誕生日(笑)
そして東京大空襲から60年目が今日。
一昨日の和さんからのコメントにもある通り、
当時を語る人は少ない。

先日の日曜夜、NHKで東京大空襲の特集番組があった。
私もこれまで色んな本を読んだり、記録を見たりしてきたが、
体験してきた人達の証言は常に生々しく私達の心に迫る。

  かねて打ち合わせの通り、家族みんなで隅田川の橋へと逃げた
  橋の手前から人がいっぱいで、私ひとり家族とはぐれ河原へ押し出された
  橋の上を見上げた途端、橋の上を大きな炎が走った
  全身火だるまで絶叫しながら川へ落ちる人々
  中程にいる人達は人で身動きが取れないまま炎に包まれている
  結局助かったのは私だけだった

  近くの国民学校へ逃げ、プールに飛び込んだ
  このプールは、まん中近くになると大人も背が届かない程深い
  プール内は人がごった返し、だんだんまん中へ押し出される
  必死で人をかき分け、沈んだ人を踏み付けてようやく助かった
  翌日、一緒に逃げた妹がプールの底から遺体で見つかった
  私が踏み付け、殺したのかも知れない

  生後4ヶ月の娘をおぶって川へ入った。
  3月の水は体が引きちぎられそうな程冷たく、だんだん気が遠くなってきた
  背中の娘をできるだけ濡らさないようにと気を使いながら
  人が大勢乗ている流れてきた戸板に縋り、なんとか私だけ乗せてもらった
  戸板に乗る私を後ろから押してくれた夫は黙って川の中に残った
  夫の姿を見たのはそれが最後だった
  私はそのまま気を失い、気がつくと朝、背中の娘は死んでいた
  背中の温もりのお陰で私は助かったのだと思う
  その時娘が着ていた着物を今でも時々取り出して撫でている

アメリカ軍が使用した焼夷弾は、
日本の家屋がよく燃えるよう何度もテストを重ねた新型だったという。
ゼリー状になったガソリンが着弾と同時に飛び散って発火、
体に着くと払うことができないものだったという。

アメリカ空軍は、綿密に焼いてしまう地域を計算、計画し、
それに基づいて攻撃を行ったという。
もちろん住民ほとんどが一般市民だということを承知の上で。
ところが猛烈な火災による上昇気流で爆撃機のコントロールが効かず
仕方なく攻撃予定エリアから外れた場所へ大量の焼夷弾を落としたという
火災はそれほど激しいものだった。

非戦闘員の大量殺りく。
日本軍による南京をはじめとする中国各地での虐殺、捕虜虐待、
広島、長崎への原爆投下、
ソ連軍による日本人虐殺、抑留者の虐待、
ナチスによるユダヤ人大量虐殺、虐待、
近くはベトナムにおけるアメリカ軍の北爆、化学兵器使用、
カンボジアのクメール・ルージュによる大量虐殺。
まだまだたくさんある「正規軍隊」による非戦闘員への攻撃。

正しい戦争なんか、あるわけがない。
コメント (2)
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