見つけてしまった二本組のビデオテープ。
時に2002年、27歳の僕と仲間たちが映っておりました。
僕が二十代のすべてを賭けていた「Rebirth」のワンマンライブでした。
あまりに懐かしかったのでしばし鑑賞。
歌も演奏も荒っぽいけど、とにかくひたむき。若い。痩せてる(笑)。
そして何より仲良し。
なかなか良い青春の延長戦を過ごしていたもんだなと、
1時間ばかり楽しんでおりました。
日付は2002年8月31日。会場は池袋CYBER。
二本組なのは、この日がRebirth最長記録(おそらくCYBER史上も最長)の
「4時間20分」のライブだったから。
ベーシストのダイゴとギタリストの京太郎の二人が脱退することになり、
自他共にベストメンバーだと認めていたラインナップが最後を迎えたあの日です。
長い長い夏休みが終わった日です。
いまさらバンドに関して未練だとか後悔だとかあろうはずもなく、
途中までニコニコと微笑ましく見てたんだけど、
だんだんライブの終わりに近づくにつれ、
何というかこう鬼気迫るものが感じられ、
一曲一曲が胸にズシっと響いてくるようになりました。
知ってる人にしかわからない話ですが、この頃のメンバーは本当に仲良くて、
バンドの一体感もかなり強いものがありました。
お互い若くてぶつかり合ったりもしたけど、底には厚い信頼感があって、
僕自身、振り返っても一番楽しかった頃です。
そんなに仲良かったのになぜ、というのは説明するのが難しい。
別にケンカ別れしたわけじゃないんです。
いまでもこの二人とは連絡取ったりもするしね。
でもバンドっていうのは、難しい。
特にこれで食っていこう、売れてひとかどのものになろう、
というのなら非常に難しい。
仲が良いだけではダメなんだね。
むしろ普段仲なんか悪くても、
お互いプロとして徹していれば成立したりもする。
おそらくこの頃のRebirthは、
メンバーも運営もファンもみんな仲良くて、楽しくて、
でもそれだから大きくなれないんじゃないか、
売り物になれないんじゃないかという焦燥もあった。
そんな中、二人は「ここではないどこか」へ行くのがお互いのためじゃないかと考えた。
リスクも大きいし、辛いけど、道を違える選択をした。
だからお互いに甘えや妥協を脱ぎ捨てて大きくなるために、
という悲壮な気持ちが強かった。
この日のライブもお互い胸に期するものは相当強くて、
でも感傷に負けないように…という不思議な緊迫感があった。
どういうつもりで曲を並べたのかもう忘れてしまったけど、
「泡沫…」から「…this time」、
「stand'n go」、そして「porchesh」という流れはかなりヤバイ。
歌詞がその時のメンバーの心情とシンクロして、
僕も相当入れ込んでるし、客もそれを感じ取っている。
空気感がすごい。切ないくらいの若さといじらしさ。それが渦を巻いている。
もちろん技術的なことで言えば拙いんだけれど、ただただ、熱がすごい。
こんなだったんだ…と驚いた。
僕も当時は喪失感がすごくて、辛くてしばらくこのビデオが見られなかった覚えがある。
一度か二度しか見てないんじゃないかな。そこから17年ぶりの開封。
ちょっとしたタイムカプセルです。
Rebirthといえば、僕を筆頭にメンバーみんなよく喋る。
とにかく時間がおすことで有名な(迷惑な)バンドだったんだけど、この日もすごい。
それまでにも散々MCとって、3時間超えてるのに、
最後の曲の前にメンバーそれぞれからメッセージ。
またこれが25分(笑)。
でも、思わず聴き入ってしまった。
メンバーたちの不器用な、でも一生懸命な言葉が続く。
果たして27歳の僕自身は何を語ったのか。
もうあまり覚えていなかったけど、改めて聞いてみて、なんと不覚にも目頭が熱く。
愚直なまでの真摯さ。自分なのに(笑)。
いまの僕にここまで熱くまっすぐ語ることができるだろうか。
斜に構えていたようで、ひたむきに燃えて打ち込んでいたのだなあと実感。
悪くない。
「メンバー2人が抜けると聞いた時、僕は目の前が真っ暗になった。この5人は最高のメンバーだと今の今でも思ってる。正直、もうバンドも解散して音楽もやめちゃおうかと本気で考えた。」
「メンバーが抜けるからというだけではなくて、今の音楽シーンに思うところがあって。」
「音楽業界、くだらない奴が多過ぎる。お金の勘定ばかりで、『売れる・売れない』だけで音楽を弄んでいる。一生懸命心を削って作品を作ってるアーティストは一杯いるのに、半端な業界人がプロデュースだとかいって弄り回す。その結果が、いまのチャート。誰がやっても同じような音楽ばかり。似たようなのが出ては消える。」
「僕はそんな音楽業界に心底失望してる。でもまだ絶望はしていない。それはここまで一緒にRebirthを創ってきたメンバーや、応援してくれるライブハウス、そして何より君たちのおかげ。どんなに心無い扱いを受けても、僕らを必要としてくれる君たちの存在が僕を絶望から救ってくれる。」
「脱退が決まって、たくさんメールをもらった。でも、これからのRebirthや抜けていくメンバーに期待する、これからも応援するという声ばかりで、これでおしまいだとか解散だとかいうのは一人もいなかった。僕はこれで心を決めた。」
「売上だとかチャートの順位だとか、そんなもので序列がつけられているように見えるけれど、そんなものは関係ない。規模の大小、動員の多寡、そんなものも関係ない。音楽に勝ち負けはない。」
「僕の歌を、僕らの作品を、Rebirthを必要としてくれる人が1人でもいる限り、僕はバンドは辞めないよ。みんな本当にどうもありがとう。」
…とまあ、文字にするといかにも若く甘酸っぱい(笑)。
でも、絞り出すようなかすれ声で訥々と話す僕は真剣そのもので、
ビデオから伝わるこの日の空気感は凄いものがありました。
話し終わると長い長い拍手が送られていました。
いま改めて見ても、なんて幸せな時間、場所であることか。
バンドはその後メンバーを替えて三年続きましたが、結局「退散」しました。
テレビやらホールやら活動の幅は大きく拡げましたが、
結局このビデオの頃までのような「熱」が僕に戻らなかった。
あれほど嫌っていた「業界」との関わりが多くのチャンスをくれたのはいかにも皮肉。
でも、やっぱりそこで「業界の理論」に振り回され、
僕はあんなに愛していたバンドを辞めざるを得なくなったのです。
30歳でバンドを辞めた時、
僕はなんの未練も後悔もなくスッパリと断ち切ることができました。
とうとう「絶望」してしまったからです。
何に、と聞かれたら「自分に」という答えでいいでしょう。
最後はすべてのしがらみから解放されて、思いっきりお祭り騒ぎして、
気持ちよく終わりました。
だけど、やっぱり僕はこの2002年の時点で燃え尽きていたのだなあと、改めてそう思う。
その後のほとぼりのような3年間は、
それはそれでいい思い出にはなっているけれど、
いろんな人に迷惑をかけてしまったという思いの方が強いかなあ。
メンタルもちとやられてた感じだったし。
極めて内省的な話で申し訳ない。
どうでもいい人にはどうでもいい話です。
ただ、こうして自分がすべてを傾けて、
ものすごい熱量で打ち込んでいた姿が、
映像として記録に残っているというのはいいもんだね。
いろんなことを思い出したし、明日も頑張ろうという気にもなれた。
Rebirthには感謝しかありません。
未熟だったし、考えも甘かったし、
変に片意地張ったりカッコつけたりもしてたけれど、
全部本気だったからいかにも僕らしいとも思えるし、
恥ずかしくもなんともない。
むしろ、誇りに思う。
たぶんいまの僕の中にも似たようなスピリットは形を変えて息づいている。
17年の歳月を超えて、過去の自分にエールを貰えた心地。いいね。
この記事をここまで読んでくれた人がいるとしたら、
たぶんRebirthを応援してくれていた人でしょう。
本当にどうもありがとう。
あなたのおかげで僕の二十代はどこをどう振り返っても輝いてます。
僕も頑張ってますんで、あなたもあなたの道で、
勝ち負けなんか関係なく、頑張ってください。
またいつか会おうね!
時に2002年、27歳の僕と仲間たちが映っておりました。
僕が二十代のすべてを賭けていた「Rebirth」のワンマンライブでした。
あまりに懐かしかったのでしばし鑑賞。
歌も演奏も荒っぽいけど、とにかくひたむき。若い。痩せてる(笑)。
そして何より仲良し。
なかなか良い青春の延長戦を過ごしていたもんだなと、
1時間ばかり楽しんでおりました。
日付は2002年8月31日。会場は池袋CYBER。
二本組なのは、この日がRebirth最長記録(おそらくCYBER史上も最長)の
「4時間20分」のライブだったから。
ベーシストのダイゴとギタリストの京太郎の二人が脱退することになり、
自他共にベストメンバーだと認めていたラインナップが最後を迎えたあの日です。
長い長い夏休みが終わった日です。
いまさらバンドに関して未練だとか後悔だとかあろうはずもなく、
途中までニコニコと微笑ましく見てたんだけど、
だんだんライブの終わりに近づくにつれ、
何というかこう鬼気迫るものが感じられ、
一曲一曲が胸にズシっと響いてくるようになりました。
知ってる人にしかわからない話ですが、この頃のメンバーは本当に仲良くて、
バンドの一体感もかなり強いものがありました。
お互い若くてぶつかり合ったりもしたけど、底には厚い信頼感があって、
僕自身、振り返っても一番楽しかった頃です。
そんなに仲良かったのになぜ、というのは説明するのが難しい。
別にケンカ別れしたわけじゃないんです。
いまでもこの二人とは連絡取ったりもするしね。
でもバンドっていうのは、難しい。
特にこれで食っていこう、売れてひとかどのものになろう、
というのなら非常に難しい。
仲が良いだけではダメなんだね。
むしろ普段仲なんか悪くても、
お互いプロとして徹していれば成立したりもする。
おそらくこの頃のRebirthは、
メンバーも運営もファンもみんな仲良くて、楽しくて、
でもそれだから大きくなれないんじゃないか、
売り物になれないんじゃないかという焦燥もあった。
そんな中、二人は「ここではないどこか」へ行くのがお互いのためじゃないかと考えた。
リスクも大きいし、辛いけど、道を違える選択をした。
だからお互いに甘えや妥協を脱ぎ捨てて大きくなるために、
という悲壮な気持ちが強かった。
この日のライブもお互い胸に期するものは相当強くて、
でも感傷に負けないように…という不思議な緊迫感があった。
どういうつもりで曲を並べたのかもう忘れてしまったけど、
「泡沫…」から「…this time」、
「stand'n go」、そして「porchesh」という流れはかなりヤバイ。
歌詞がその時のメンバーの心情とシンクロして、
僕も相当入れ込んでるし、客もそれを感じ取っている。
空気感がすごい。切ないくらいの若さといじらしさ。それが渦を巻いている。
もちろん技術的なことで言えば拙いんだけれど、ただただ、熱がすごい。
こんなだったんだ…と驚いた。
僕も当時は喪失感がすごくて、辛くてしばらくこのビデオが見られなかった覚えがある。
一度か二度しか見てないんじゃないかな。そこから17年ぶりの開封。
ちょっとしたタイムカプセルです。
Rebirthといえば、僕を筆頭にメンバーみんなよく喋る。
とにかく時間がおすことで有名な(迷惑な)バンドだったんだけど、この日もすごい。
それまでにも散々MCとって、3時間超えてるのに、
最後の曲の前にメンバーそれぞれからメッセージ。
またこれが25分(笑)。
でも、思わず聴き入ってしまった。
メンバーたちの不器用な、でも一生懸命な言葉が続く。
果たして27歳の僕自身は何を語ったのか。
もうあまり覚えていなかったけど、改めて聞いてみて、なんと不覚にも目頭が熱く。
愚直なまでの真摯さ。自分なのに(笑)。
いまの僕にここまで熱くまっすぐ語ることができるだろうか。
斜に構えていたようで、ひたむきに燃えて打ち込んでいたのだなあと実感。
悪くない。
「メンバー2人が抜けると聞いた時、僕は目の前が真っ暗になった。この5人は最高のメンバーだと今の今でも思ってる。正直、もうバンドも解散して音楽もやめちゃおうかと本気で考えた。」
「メンバーが抜けるからというだけではなくて、今の音楽シーンに思うところがあって。」
「音楽業界、くだらない奴が多過ぎる。お金の勘定ばかりで、『売れる・売れない』だけで音楽を弄んでいる。一生懸命心を削って作品を作ってるアーティストは一杯いるのに、半端な業界人がプロデュースだとかいって弄り回す。その結果が、いまのチャート。誰がやっても同じような音楽ばかり。似たようなのが出ては消える。」
「僕はそんな音楽業界に心底失望してる。でもまだ絶望はしていない。それはここまで一緒にRebirthを創ってきたメンバーや、応援してくれるライブハウス、そして何より君たちのおかげ。どんなに心無い扱いを受けても、僕らを必要としてくれる君たちの存在が僕を絶望から救ってくれる。」
「脱退が決まって、たくさんメールをもらった。でも、これからのRebirthや抜けていくメンバーに期待する、これからも応援するという声ばかりで、これでおしまいだとか解散だとかいうのは一人もいなかった。僕はこれで心を決めた。」
「売上だとかチャートの順位だとか、そんなもので序列がつけられているように見えるけれど、そんなものは関係ない。規模の大小、動員の多寡、そんなものも関係ない。音楽に勝ち負けはない。」
「僕の歌を、僕らの作品を、Rebirthを必要としてくれる人が1人でもいる限り、僕はバンドは辞めないよ。みんな本当にどうもありがとう。」
…とまあ、文字にするといかにも若く甘酸っぱい(笑)。
でも、絞り出すようなかすれ声で訥々と話す僕は真剣そのもので、
ビデオから伝わるこの日の空気感は凄いものがありました。
話し終わると長い長い拍手が送られていました。
いま改めて見ても、なんて幸せな時間、場所であることか。
バンドはその後メンバーを替えて三年続きましたが、結局「退散」しました。
テレビやらホールやら活動の幅は大きく拡げましたが、
結局このビデオの頃までのような「熱」が僕に戻らなかった。
あれほど嫌っていた「業界」との関わりが多くのチャンスをくれたのはいかにも皮肉。
でも、やっぱりそこで「業界の理論」に振り回され、
僕はあんなに愛していたバンドを辞めざるを得なくなったのです。
30歳でバンドを辞めた時、
僕はなんの未練も後悔もなくスッパリと断ち切ることができました。
とうとう「絶望」してしまったからです。
何に、と聞かれたら「自分に」という答えでいいでしょう。
最後はすべてのしがらみから解放されて、思いっきりお祭り騒ぎして、
気持ちよく終わりました。
だけど、やっぱり僕はこの2002年の時点で燃え尽きていたのだなあと、改めてそう思う。
その後のほとぼりのような3年間は、
それはそれでいい思い出にはなっているけれど、
いろんな人に迷惑をかけてしまったという思いの方が強いかなあ。
メンタルもちとやられてた感じだったし。
極めて内省的な話で申し訳ない。
どうでもいい人にはどうでもいい話です。
ただ、こうして自分がすべてを傾けて、
ものすごい熱量で打ち込んでいた姿が、
映像として記録に残っているというのはいいもんだね。
いろんなことを思い出したし、明日も頑張ろうという気にもなれた。
Rebirthには感謝しかありません。
未熟だったし、考えも甘かったし、
変に片意地張ったりカッコつけたりもしてたけれど、
全部本気だったからいかにも僕らしいとも思えるし、
恥ずかしくもなんともない。
むしろ、誇りに思う。
たぶんいまの僕の中にも似たようなスピリットは形を変えて息づいている。
17年の歳月を超えて、過去の自分にエールを貰えた心地。いいね。
この記事をここまで読んでくれた人がいるとしたら、
たぶんRebirthを応援してくれていた人でしょう。
本当にどうもありがとう。
あなたのおかげで僕の二十代はどこをどう振り返っても輝いてます。
僕も頑張ってますんで、あなたもあなたの道で、
勝ち負けなんか関係なく、頑張ってください。
またいつか会おうね!