いぶろぐ

3割打者の凡打率は7割。そんなブログ。

読書

2017-05-23 13:55:35 | 超・いぶたろう日記
僕は本を読むのが好きだ。

好き嫌いの激しい僕のこと、
どんな本でもというわけにはもちろんいかないが、
それでも面白いなと思える本に出会うとみるみる惹き込まれ、
貪るように読み耽り、気がつくと数時間も経っている。

ただ、ひとつ誤解して欲しくないなあと思うのは、
僕にとって読書というのはただの「娯楽」であって、
言ってみれば子供のゲームや漫画とさして変わらず、
別に何ら威張れるようなものではないということ。
自らの教養ぶりをひけらかすためのアクセサリではあり得ないし、
読書量を自慢したりするのはとてもカッコ悪いなとも感じる。

読書は量ではなくて質。
本の質ということでもない。そんなの定義できない。
読み方というか、吸収の質。
本をひもとき、字面を追い、行間を読み、主張を捉え、
考察を深め、異論を唱え、あるいは共感し、表現を学び、
新たな語彙を身につけ、視点を増やし、視野を拡げ、
ああ面白かったと本を閉じる。

そしてそれらが僕の身体と脳髄と心に染み込み、
いつかどこかで人と話をするときに、
あるいは自ら筆を執るときに、無意識にじんわりと役に立つ。

こんなに楽しくて役に立つ「娯楽」はそうない。

「何冊読んだか」と同様、
「何を読んだか」で読書に優劣を付けるのも好きじゃない。
あたかも、ブランドや値段でファッションを語る人のようだからだ。
本当のオシャレというのは、その人の好みや人柄が自然体でにじみ出て、
その人の持ち味を増幅してくれるものであって、
流行を無定見に追いかけたり、
単なる見栄の為にとってつけたようなもので固めたりしていると、
かえって野暮ったくなる。

また、オシャレな人というのは、
たくさんのイイモノを見て眼を養っていればこそ、
自分に合うものを適切に選び取ることができるし、
また新たなものの魅力にも敏感であったりする。

同様に、色々な本を読むことで、
自分の世界は確実に拡がるし、頭も柔らかくなる。
そういう人の薦める本は読んでみたくもなるし、
僕が話をしていて、この人面白いなあ、聡明だなあ、魅力的だなあ、
と思う人はみんなそういう人。
僕もそんな風になりたいけれど、
そのために読書をするぞ!みたいになってしまうと、
読書の楽しみは1割以下になってしまう。
やっぱり、少しくらいアホだと思われようが、
好きな本を楽しく読むのが一番だ。

商売柄よく耳にする「読書すれば国語が出来るようになる」とか、
ああいうステレオタイプも好きじゃない。
「国語ができるための読書」と「健康のための食事」は
ちょっと似ているところもある。
結果としてアタマが良くなる、健康になる、
というのはイイと思うんだけど、
それが目的化しちゃうとすごくつまらなくならないかな。
やっぱり楽しくないと続かない。

一方で、この年齢になるとちらほら見かけるんだけど、
たくさんの本を読んではいても、
そのことで自分の知識量をカサに着て居丈高に決めつけてかかったり、
本を読んでいない人を蔑んだり、
何を読んだかとか何冊読んだかとかで序列化したがるような人は、
正直、本を読んでいる意味がないとも思う。
本は自分の知的アクセサリでもなければ、
権威付けの道具でもないし、マウンティングの武器でもない。

読書は、ただの、娯楽です。

というわけで、今日アマゾンから届いた4冊の本を、
一体いつどこで読もうか嬉しいお悩み中。
寝る前の布団の中とトイレだけじゃ追いつかない。
何を読むかはナイショ。
でもすぐ影響受けてここに書き散らかすんだろうな(笑)。
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