いぶろぐ

3割打者の凡打率は7割。そんなブログ。

小豆の散歩に出掛けたら

2006-09-15 23:15:17 | いぶたろう日記クラシック
去年の夏からというもの、
僕の日々は限定的な空間に閉じられてしまった感がある。
それまでは気楽なバイト暮らし、
お金はないけど時間はたっぷりあって、
好きな本を日がな1日読み続けたり、
まとまった休みを作って旅行に出ることもできた。
話にしか聞いたことのない諸々を実際に眼にすることの新鮮な驚きは、
いつまで経ってもどこまでいっても期待を裏切らない。

例えば馬一頭にしたってそうだ。
テレビやマンガで目にする機会はあっても、なかなか実物にお目にかかる機会はない。
それが目の前にど~~んと現れてみると、怯まずにはおれない大きさだ。
そうか、戦国時代の足軽たちは、
こんなんの上から槍とか刀とか振り回す連中に向かっていったのだな、
と思うとその勇気に敬服せずにはおれない。

同じことは姫路城を見た時にも感じた。
世界遺産で、桃山時代の遺構を現代に残す貴重な建築で…
といったことは知識として集積されてはいる。
そしてだいたいのイメージも時代劇などでよく使われているのでおなじみだ。
しかし、実際に石垣の下に立って上をながめてみると、
イメージを遙かに凌駕する壮大さに圧倒される。
頭の中で砂利ほどでしかなかった一つ一つの石の大きさを、
ブルドーザーもクレーンも無い時代にこれらをあの高さまで積み上げた人手の数を、
そして有無を言わせずそれを実行させた権力者の横暴を、
思わずにはおれない。
ましてや、戦争の時にはこの石垣を登るのだ。
もちろん、命綱なんか無い。
また城側が登ってくる敵兵をぼんやり見守ってくれるはずもなく、
上からは煮えたぎった油や熱湯、おまけに巨石(!)までもが容赦なく落とされるのだ。
うーーーーん、恐ろしい。
僕だったら絶対の絶対に無理だ。

僕は例え臆病者とか卑怯者とかののしられても、
自分の命だけは大事にする主義だ。
だってそうでしょう?
どんなキレイゴト言ったって、どんなに立派な死に際だって、
結局死んじゃえば自分にとってのこの世の全ては終わりなんだよ。
あの世なんてあるかもないかもわからないし、
あったとしてもそこで評価されるために今の人生があるなんてぞっとする考え方だ。
中学生の内申点じゃあるまいし。

前世の行動によって定まる輪廻転生のシステムがあるとしても、
少なくとも僕には前世の記憶がない。
ないものをあると仮定して、その仮定の上に自分の命の処遇を決めるなんて、
僕には到底理解できない思考経路だ。
僕は何をどうしたって、力尽きるまで耳目を目一杯開ききって、
ぎりぎりまでこの世のすべてに思いを馳せながら、
及ぶかぎりの理解でもって立ち向かっていたい。
一生かけたって答の出ないものはたくさんある。
それらすべてをあきらめることなく、考え続けて、もがき続けていたいし、
そのために最期の一瞬まで何かを知り、学び、感じ取っていたい。
死んだら、パーなのに?
死んだら、パーだからこそ、だ。
せっかく自分という人間に生まれて、ここまで積み上げてきたのだから、
それがすべて露と消える前に、出来るかぎりの高みを目指したいのだ。

だからくだらない死に方はしたくない。
自殺なんてもってのほかだ。
僕には尊敬する作家や芸術家が数多くいるが、
あくまでその作品においてのみ、にとどめている。
私生活はどうでもいいし、安易に結論を死に置く人が多すぎるからだ。
日本に於いて顕著に思うが、死ねばみーんなカリスマになっちまうのだ。
まるで靖国神社みたいだ。
僕にはそういう価値観がない。
自殺する人間はただのナルシストだ。
死ぬくらいの気合いがあれば何だって出来る。
死よりもつらい生に向き合って、苦しみながら闘い続けている人が好きだ。

…どうも、文章だと冗長になるなあ。
いぶろぐっていっつもそうよね。
居酒屋トークだとちょうどいいテンションだし、自然な展開なんだけどなあ。
今度、ほんとにやろうか、
Rebirthに代わる俺の表現活動としての「打ち上げ」(笑)。
Rebirthとしての活動から、音楽と他のメンバーとチケットとハコと物販と、
あと忘れずにギョーカイを取り除き、
MCと打ち上げだけを残すという、画期的なイベントだ。
Get Naked!より料理も充実している(笑)。
その代わり夢はまったくない。「現実のイベント」だ(笑)。
ここで参加者募ろうか。いやまてよ、ここは慎重に。
需要が読めないうちのWEB上募集は危険だ。
コメント0がきっと死ぬほど辛いぞ。
………参加希望者、メール下さい。

閑話休題。
いや、たいがいいっつもそうか。

で、話は最初に戻る。
要するに、それまで休みを使ったり、
バンドのツアーなんかで色んな所へ行く機会があって、
様々な刺激に絶えずさらされてきた生活だったのが、
職場と家との往復だけになって、いたく退屈だといいたいのである。

ましてバイクだ。
気持ちはいいし時間も効率的だが、街ゆく「変な人」を見かける機会も減った。
僕は「変な人」「変な建物」「変なシステム」に突っ込むのが大好きだ。
宗教の勧誘とか、マルチ商法とか、もう付き合わずにいられない。
言いたいだけ言わせて、向こうに期待させるだけさせて、
後からぶちこわすのが大好きなのだ。
若い頃は真っ正面から怒濤の反撃で論破するのが主だったが、
最近は相手以上に歪んだ、変な、ヤバイんじゃないかと思わせるような、
そういう人物を演出して、相手に退かせちゃうのがたまらない。
円熟味を帯びてきたと言ってもらおう。
おまえの健康と幸せを祈らせろという人間に、
じゃあ交換にお前の不健康と不幸せを祈らせろ、とやり返す。
怪訝な顔で手をかざし、祈りはじめる先方に、
こちらは中指を突き立てて、
「今日死ね…事故に遭え…家燃えろ…」
と低い声でうなってやる。
大概、逃げていく。
そういうのが大好きだ。

しかし、そんな機会もめっきり減った。
刺激が足りない。
殺人事件とか、禁断の恋とか、天変地異とか。
あ、いや、笑えるレベルじゃないとマズイな。
でもこんな風に思い直せちゃうあたり、僕もオトナになっちまったんだろうか。

オトナというのはあたかも人間として当然到達すべき、
社会に認知されるためのひとつの資格・権利かのようでいて、
実はなんてことはない、要するに
「常に明日のこと、周りのことを頭に置いて行動する」
ことを義務づけられ、習性づけられた哀しい存在なのだ。
それに対し、とかく未熟者として蔑まれがちなコドモというのは、
「常に今のこと、自分のことしか考えられない」
社会的な拘束に縛られているようでいて、実はそれを超越した存在なのだ。
飼い犬の自由と気ままさ、といおうか。
オトナは間違いなく野良犬のそれだ。

どちらにしても、未来は暗い。
未来が暗いと思えばこそ、オトナはそれに備えようとするし、
コドモは考えないようにする。
未来が暗いからこそ、やたらに夢や希望を謳う音楽やテレビ・映画などがはびこる。
共同不安を打ち消すためのものだ。
新聞の投書欄に、24時間テレビの感想として
「KAT-TUNの真剣な表情に感動」とか書いてよこす30代の主婦がいる。
おまえはブロイラーか?と問い返したくもなる。

未来が暗いからこそ、占いなんかも廃れない。
今日、僕は占い師に声をかけられた。
タイトルはここにかかるのだ。
とても不思議な感じがするから手相を見せてくれと言う。
またまた、そんなこと言っちゃって、キャッチの常套句だもんな~、
とは思いつつも、実は僕は手相を一度見て欲しいと思っていたので、乗った。
僕は手相には少々自信があるのだ。
何の自信かって、めちゃくちゃ珍しいのだ。
どの本を見ても載っていない。
生命線・頭脳線・感情線、ぜんぶ2本ずつあるのだ。
もとより占いは嫌いだが、だれかこれを説明できるもんならしてみろ、
と思っていたのだ。

で、何を言われたかというと。
一応、断っておくが、僕は占いを一切信じていない。
だいたい、自分がどう見られたいか、人にどう評されたいかというところだけを、
適宜つみ取ってつなぎ合わせて人に語るためだけのものだ。
そういう前提で、でも面白かったので、敢えて書く。

「非常に豊かな才能を感じます、人当たりも穏やかで、周りの人を惹きつけずにはおかない何かを備えています」
うおっ!マジで?
ちょっと嬉しいじゃねえか。
いやいや、占いはダメだ、信じちゃいかん!

「仕事については完璧主義というか、損得抜きで没頭するタイプですね。」
うそっ?よく日報間違って経理の人に怒られてるけど…。

「恋愛についても奔放ですね。既成の道徳観に囚われないから女難の相もありますね。」
コラコラコラ。そういうことを言うな。誤解される。

「結婚は5年後、相手はかなり歳下でしょう」
なんじゃそりゃあ。何でそんなことがわかるんだ???
てか、かなりって…いくつくらいを言うのだ?
新生児とかじゃないといいが…。
俺の嫁さん、まだ生まれてないとかじゃないだろうな…(笑)。

しかし、なんだか生々しくていやだなあ。
そろそろ、欠点が来るんじゃないか…
んで、それを直して運を開くための特別のお祈りが…別料金で…とか…。
で、次に来たのはやっぱり痛烈。

「ただ、あなたは何事も中途半端にしてしまう欠点がありますね。極端な気分屋で、調子のいい時は周囲を味方につけて大きな仕事をしますが、その反対に周りを全て敵に回して、投げ出してしまうことがある。この中途半端ぶりがあなたの才能を殺しています。」

言われた…………………………………………。

このおばちゃんはそこまで言うと、珍しい手相をしているから写真を撮らせてねと言って、
おもむろにデジカメを取り出すと僕の手を撮影して去っていった。
自分の勉強のために見せてもらったから、もちろんお金は要らないということだった。

うーーーーん。
まるでマンガのような展開だ。

いや、信じない、信じないぞー!!
中途半端なのは、認めるけどさ。
誰か、手相の心得がある人、画像見て反論もしくはフォローして下さい。
僕には当たってるかどうかも判断つかない…てか、つけたくないような…。
Comments (7)
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