いぶろぐ

3割打者の凡打率は7割。そんなブログ。

関西旅日記:8/13

2017-08-13 23:48:30 | いぶたろう旅日記

3年前に独立して自分の教室を構えたとき、心に誓ったことがあった。
生徒・保護者の信頼に全力で応えようというのはもちろんのこと、
ついてきてくれたスタッフも同様に大切にしようということだ。

前職で最も痛切に学んだこと、それは
「人を大事にしない組織はダメ」ということに尽きる。
どんなに立派なお題目を唱えたところで、
違法な労働条件や劣悪な労働環境を身内に強いているようでは、
せっかくご縁のあった優秀な人材も定着しない。
残業手当や休日手当もない、休暇もないというのでは、
どんな人だってそりゃあ疲弊しますわな。
僕もそうだったし、前職でもそのせいで辞めていった人は多く、
その改善を訴えたために僕は排斥されるに至るわけだが(笑)。

だから僕の遵法的な労働環境方針は徹底している。
きちんと労務管理をするだけでなく、長期休暇も年三回設定している。
顧客の要望に年中無休で即応するために無休・無手当を強いるより、
きちんと休暇をとってリフレッシュしてもらった方が、
安定して持続的にサービスを提供するという点でも良いに決まってる。
先生が元気でなくて教室に活気が生まれるはずもないしね。

てなわけでGWとお盆、そして9月の連休は、
どれも1週間くらいはあるので、いつもどこかへ出かけております。
あちこち旅行したり様々な経験や刺激を受けることで、
視野も広がるし、仕事への意欲も高まるんだよね。
つくづく、ワークライフバランスの重要さを痛感。
ああー本当に、辞めてよかった……!(笑)

そして僕はここ最近、年1回は生まれ故郷の大阪へ帰ることにしている。
箕面の勝尾寺にある、祖父と姉が眠る我が家のお墓参りをし、
教え子たちの健闘を祈って「勝ちだるま」を求め、
そして親父に会ってくる、というコース。
今回もそんな趣旨で出かけたのが、気ままなひとり旅だったせいか、
実にイイ旅行になったので、ここに残しておこうかなーと。

まずは初日から。

朝7時半発の「のぞみ」に乗る。気合入ってるなあ。
前々日まで「特訓合宿」の引率でロクに寝ていなかったんですが、
中一日の爆睡でかなりHP回復。
休暇とはいえ何やかや細かい仕事があるので一応持ってきたMac Book、
されどロクに開かずまたもや爆睡。チャンスさえあれば眠る。


10時に新大阪着。
御堂筋線に乗って江坂で降り、定宿の安いビジネスホテルに向かう。
僕は旅先では遊び倒すので、宿では基本寝るだけ。
ベッドさえあればいいので、あまり宿にお金はかけないようにしている。
同じ宿に高校野球の明徳義塾が宿泊していました。

鞄を預け、再び江坂駅へ。
北大阪急行に乗り、千里中央へ。



はっ。
この木目調の内装、モスグリーンのシート、北急だけど阪急車両だ!

阪急電車大好きの僕、俄然テンションが上がります。
子供の頃の思い出が詰まっている阪急電車。
高級感があふれ、乗ってるだけで幸せになれます。

千里中央へ着く。あまり変わってない。何もかも懐かしい。
人生初のデートらしき何かの舞台はここだった記憶が。
小学6年生だったから何があったわけでもないんだけれど。

とことこ歩いて勝尾寺行きのバス停へ。
調べなくても体が覚えてる。
ところがこのバスが満員。
お盆でお墓参りに行くお年寄りでいっぱい。



そして、道路も大混雑。
以下、運転手同士の無線の会話。

「もーアカンわー」
「なぁー、最悪やろー」
「動きよらん…なぁーんも言われへんわー」
「この時期、身体に悪いでー」

とことん気取らないこの感じ、好きだ(笑)。
後ろの方では乗りこむ行列の時から、
「座られへんわー、座られへんわー」
を通算50回ほど連呼し続けているオバはん二人。

…僕の生まれ育ったここ北摂地区は、大阪では比較的薄味で上品な方なんだがなー。
それでもこの国民性の治外法権ぶり。

新御堂の渋滞を抜け、箕面山麓線を粟生団地方面へ走り、
出身小学校の脇を抜け、ぐにゃぐにゃの山道を登る。
通常30分くらいで着くところ、1時間ちょい。
立派な勝尾寺の山門前へ。





ここから受付を通り、長い坂道を上っていくとウチのお墓がある。
父方の祖父と、夭逝した姉がここに眠っている。
子供の頃、勝尾寺の管主さんご一家と家族ぐるみのお付き合いがあって、
そのご縁でお墓もすぐお隣にあるのだが、大阪平野が遠望でき、絶景。



僕が三十年前に東京へ移ってから長らく不義理をしてしまったので、
ここ数年はなるべく年に一回はお参りするようにしている。
すんでのところで事故に遭わなかったり、不摂生な割に大病もせずに済んでたり、
目に見えない大きな何かに護っていただいていると感じることが多くある。
神仏に信心の乏しい僕だが、この世でかつて確かに存在した親族や、
僕に連なるご先祖様の霊には、素直に敬意と感謝を捧げられる。

ただ、ここまで登り切るのが実にシンドイ…(笑)
この坂だらけの広い境内をよく我が物顔で走り回っていたものだ。
本当にクソ生意気だった当時のことは、どなたに聞いても恥ずかしい限りなのだが、
ここ勝尾寺でも従業員の方が僕(とその悪行の数々)を覚えていてくださって、
山門の茶屋でちゃっかりご馳走になってしまった。


思えば、このお墓も長いこと放ったらかしにしてしまっていた。
ちょうど十代の後半から三十歳にかけて、親父と疎遠になっていて、
たまに思いついてお墓参りには行くものの、貧乏バンドマンでお金もなかったので数年に一回。
それがここ最近は親父と二人で墓参りに出かけて墓石を磨いたり、
妹や甥を連れて家族でお参りしたり、なんだか家族の絆復活の象徴みたいになっている。
きっと泉下のお二人も喜んでくれていることだろう。

さて、墓参りを終えたらバスで山を下り、出身小学校を目指してみる。
通学路に沿って歩いてみよう。

んー、このむせ返る田んぼの匂い、懐かしき通学路の匂い。
…もっとも、指定の通学路なんて守ったことなくて、
しょっ中こうした田んぼの中の細道を勝手に開拓してたけど(笑)。


あっ、僕が昔ランドセルを投げ捨てられた橋だ(爆)。
結構高さあるじゃねえか、昭和の小学生、ひでえことすんなぁ。
僕が小学校時代に周囲に疎まれて、
かなり酷い目に遭ってたのはここでも何度か話してるけど、まさにその現場。
ジャンケンカバン持ちでね、示し合わされて何回やっても負けるわけ。
もちろん僕もそうと気づいてはいるんだけど、なんせいつも独りだったから、
珍しく仲間に入れてもらえたのが嬉しくて、気づかぬふりして付き合うの。
そんであるときポンと僕が勝ったら、僕の鞄も持ってもらえるんだけど、
しばらくして僕のカバンだけ橋の上からポイして、みんなダーって走ってっちゃった。

あのときの気持ちは…何とも言えないものがあったよねえ。
やった側は忘れてるだろうし、冗談だったということにされるのだろうけど、
まあ、やられた方は忘れられないわな。
いまだに、誰だったかも全部覚えてる(笑)。
まあ、クラスの人気者たちの隠れた素顔みたいなものをね、僕は見てたよね(笑)。
僕がいまでもいわゆるわかりやすい人気者を偽善者として忌み嫌う傾向が強いのも、
たぶんこの頃の経験がトラウマになっているのだろうなあ。

まあ当時は僕も僕だったしね。
有名人の息子で、家金持ちで、ワガママで、協調性なくて、
授業中はいっつも退屈そうにしてて、学校の決まり全無視で、
先生に歯向かってばかりで、中学受験始めて学校バカにして、
イタズラやり放題だもん。
弾かれる要素はいっぱい持ってたから、小学生の世界じゃしょうがないわね。

あれは確かにつらかったけれど、徹底的に干されたあの経験で培った、
強い反骨心がエネルギーになって、別に道が拓けたわけだから、
いまや恨んではいないんだよね。
小学校でヘタに幸せに過ごせてたら、
僕はあの世界一楽しい中高に進学していなかったかもしれない。
人間万事塞翁が馬。

…とまあ、ほのかに酸っぱい思い出の薫る勝尾寺川の流れです。


同じ勝尾寺川なんだけどさ、僕、間違いなくこの川に降りて、
ショートカットしたり、ザリガニ獲りに入ったりしてるんだよね。
今見るとすんごい草深いんだけど、よくこんな中に入ってったなあ。
絶対蛇いるよ。こわー。


ここは人生初の交通事故受難現場。
自転車でフラフラ飛び出して車に跳ねられ、ゴロゴロ転がって田んぼにドブン、
救急車乗るも全くの無傷で生還。今だったら田んぼないからどうなることやら。



田んぼのあぜ道を抜ける。
ここは通学路外なので、見つかっては言いつけられて毎日裁判だった。
僕が水路の板を抜いて「勝手に」水抜き・中干しして、死ぬほど怒られたのもたぶんここ。
相変わらず自然豊か。


イノシシ出るとか書いてある。
合宿地で虫が出るたんびに大騒ぎする生徒たちに、
「なんで先生は平気なんですか?」と聞かれたけれど、
僕はこういうところで生まれ育ったのだよ(^^)

30年前の通学路をたどる。

こんな道も通ったっけ。変化に富んだ通学路だったなあ。
団地の合間を抜ける。
あっ!僕が32年前に苦労して金網に開けた、ショートカット穴がなくなってる!(笑)


ようやく小学校の近くへたどり着く。

当時片道30分かかり、忘れ物して「取りに帰れ!」と言われるたびに
深い深い絶望を覚えた呪わしき通学路は、
大人になって長く長くなった42歳の健脚なら20分で着くと判明。
計算上、小学生の頃から1・5倍に伸びたことになった気がするのでいい気分のまま検算しない。











卒業から30年、あんまし変わっていません。
このなんだかよくわからない、大昔のちょっとコワイ卒業制作も(笑)


地元の少年野球チーム「箕面モンキーズ」がまんまの名前で練習していました。
村八分にされたり、先生に目の敵にされたり、
実はあんまりロクな思い出はないんだけれど、
懐かしいのはどうしようもなく懐かしいんだから、やんなっちゃうよねえ。

学校から、昔住んでいた住宅地のあたりまで散策し、
バスに乗って再び千里中央、そして江坂の宿へ。
汗だくになったので、一度シャワーを浴びて、着替える。


夜はこの旅のお楽しみ、心斎橋で昔の教え子達と待ち合わせ。
9年も前の卒業生なのだが、社会人となったいまでも連絡をくれて、
大阪勤務の2人が是非飲もうと言ってくれた。

ひとりはもう底抜けに明るくてサッパリとした気持ちのいい女の子。
ひとりは昔あれこれヤンチャしいだったけど、不思議と僕には心を開いてくれた男の子。
いまや二人とも立派な大人。でも人柄の良さは昔のまんまだ。
笑い続けているうちにあっという間の4時間半。
この仕事は何年も経ってからこうしてご褒美をもらえることがあるから、最高だよね。

帰りは彼らの終電ばっかし気をつけているウチに、自らの終電をロスト。
中津行きとかって、ヘンだなあと思ってたんだよね。
中津で延々待たされて、やっときた次の電車は新大阪止まり。
江坂はその次の次。
てなわけで、2駅だけタクシー。
まあ、こういうのも、悪くはない。

とにかく色々な思い出をくすぐられた初日。
明日は行きそで行かなかった奈良へ行ってみようかと。

Comment    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« てなわけで | TOP | 関西旅日記:8/14 »
最新の画像もっと見る

post a comment

Recent Entries | いぶたろう旅日記