いぶろぐ

3割打者の凡打率は7割。そんなブログ。

マネジメント

2018-05-18 10:56:43 | 超・いぶたろう日記
これは個人的な美学なので、誰にどうしろと言うようなつもりはないんだけれど。

僕も小所帯ながら組織の責任者を務めているので、
やはりマネジメントについては意識するところは大きい。

問答無用のワンマン経営者みたいなのは「カッコ悪くて」イヤなので、
できるだけ耳を貸す責任者でありたいと思っている。

ただ、利潤を追求し、かつ安定的な存続を目的としている企業体の場合、
何でもかんでも民主的に決定するわけにもいかない。
僕の偏った・誤った認識が正されることも多々あるので、
スタッフの意見は充分に聞くし、話し合いは欠かさないが、
それでもトップダウンで決定せざるを得ないことはある。

ただ、この時に責任の所在だけは明らかにする。
つまり、この組織で「僕の方がエライから」僕が決定するのではなく、
「何かあったら僕が責任をとる」から僕が最終的に決定するのだということ。

逆に、スタッフが組織の決定を離れて何かをやりたいというときには、
必ずその責任をとる覚悟はあるかと問う。
とはいえ、それでも僕が許可したなら当然責任は僕にある。
また、たとえスタッフが無許可で勝手にやったとしても、
責任を逃れることはできない立場に僕はある。
そう自覚している。

実際、結果にまできちんと責任を負う姿勢を見せることによって、
スタッフが僕の決定を信頼してくれるし、
たとえ不本意な結果になってもフォローしてくれる。
スタッフの失敗も叱責するばかりじゃなく、
組織の問題として共に解決に当たることによって、
僕もスタッフも学べるし、確実に改善に向かう。

「組織なんだから、決定には従え」
「問題が起きたら組織(上)に迷惑がかかるから個人で背負え」

こんなやり方でスタッフが成長なんかするわけがない。
構成員から信頼されない組織が発展するわけがない。

権限の行使には必ず責任が伴うはずで、
権力者は即ち文字通りの責任者でもある。
ここが曖昧にされているのが、政治でも企業でもスポーツでも、
いまの様々な問題の元凶ではないだろうか。

そういうことも教育に含めていく余地はないだろうか。
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