真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「巨乳令嬢 何度もイカされたい」(2023/制作:鯨屋商店/提供:オーピー映画/企画・監督:小関裕次郎/脚本:小栗はるひ/撮影監督:創優和/録音・整音:大塚学/特殊メイク:土肥良成/音楽:與語一平/編集:鷹野朋子/助監督:可児正光/監督助手:高木翔/撮影助手:岡村浩代/スチール:本田あきら/車両:別府スナッチ/協力:ナベシネマ/仕上げ:東映ラボ・テック/出演:白峰ミウ・森羅万象・安藤ヒロキオ・西本竜樹・石川雄也・卯水咲流・橘聖人・市川洋・ほたる・ケイチャン・きみと歩実)。
 「愛しきあの人よ、あまげのみやげ?今日もまた」。開巻第一声からヒロインが何をいつてゐるのか釈然としない、覚束ない口跡は早速の御愛嬌、もしくは致命傷。オリカ(白峰)は森の中の洋館、といふほどでもなく、ペンションみたいな一応お屋敷に暮らす。同居人は心臓病で再起不能の父親(森羅)と、メイド服常用の家政婦(きみと)。恋多きオリカを、近隣の人間はみな口を揃へて“可愛い女”と言祝いだ。
 配役残り、石川雄也は後々オリカと再々々婚、しはしない医者、最初は親爺の往診で登場。誰に何をするのか事前に見当のつかなかつた土肥良成は、顔の腫瘍を森羅万象に施す。道の駅的な販売所の店員が、その人と識別可能な角度から抜かれはしないものの、役名併記のクレジットによると市川洋のゼロ役目。ほたるとケイチャンは、「クリーニング屋」だなどとプリミティブな屋号の洗濯屋夫妻。二十年―では効かない―前には想像もつかなかつたらうが、今はex.葉月螢とex.けーすけの夫婦役が思ひのほかしつくり来る。そして安藤ヒロキオが、オリカにとつて最初の夫となるマジシャン。ドンキで道具が揃ひさうな、セコい手品はどうにかならないものか。端から二兎を追ひ、一般公開もするんだらう。市川洋はマジシャンの同業者と、世界大会に出場した夫の客死をオリカに伝へる、官憲の電話が二役目。湖畔で悲嘆に暮れる喪服のオリカに、「誰か死んだのか?」。西本竜樹は想像を絶するぞんざいな出会ひを果たす、ほどなく二人目の夫・材木屋。卯水咲流は、医者の別居中の妻。市川洋の三役目が、台風百号の接近を告げるラジオ音声。百号て、また随分とキリか威勢のいゝ異常気象ではある。最後に橘聖人は、医者の大分大きくなつてゐる息子、医学生。
 自身が愛読するチェーホフの『可愛い女』から着想を得たとかいふ、小関裕次郎第六作。尤も、ならばと青空に目を通してみたところ。最初の夫で小屋主のクーキンに相当する、マジシャンが左官屋的な恨み節を垂れる辺りから結構そのまゝ。原案どころか、実質原作の様相は否み難い。そもそも誤魔化す素振りも覗かせないのが、三月半フェス先行したR15+題が「かはいゝオリカ」といふどストレートさ、それともオネスト。『可愛い女』に於けるヒロインの名前を、片仮名表記するとオーレンカとなるのがオリカの所以。
 多情かつ、一度惚れるや忽ち相手に染まる。それでゐて固有のアイデンティティには甚だ希薄な、寧ろ一種の器としての資質にこそ、個性を見出すべきなのかも知れない女の物語。チェーホフの原作では不器量な女とされる医者の妻に、卯水咲流を宛がふのは許されるのを超え、望ましい裸映画の嘘と通り過ぎると、きみと歩実扮する、炊事女ならぬ家政婦が狂言回しを担ふのは今作完全新規。マジシャンと材木屋に続く、医者篇の再起動を大家と店子の関係でなく、倒れた家政婦の往診で処理。当然の如く、寝てゐた家政婦が目を覚ますと、オリカと医者は歌留多に戯れてゐたりする。世間の声を一手に引き受ける形で、再三再四オリカを愛でるクリニング屋夫婦の、ほたるが何気に大きくなつたお腹を摩つてゐるのに、何事かと目を疑つてゐるとオリカが滔々と開陳する受け売りで医者との深い仲を、クリニング屋夫婦を通し観客にも諒解させるのは優れた娯楽映画必須の、さりげなく秀逸な論理性。尤も、渾身のポリアニズムで探し当て得る「よかつた」も、あとは卯水咲流が持ち前のエッジを効かせ叩き込む、家が古い×田舎臭い×道が悪い×学校まで遠い。そして「この子―橘聖人を指す―にはこゝは合はない」の、ソリッドな悪態五連撃くらゐ。
 強靭な二三番手と比べた場合なほさら脆弱さが際立つ、映画初出演―舞台経験はある模様―にして主演。綺麗なエクセスライクを体現する白峰ミウの心許なさは、旧い口語体準拠の大仰な台詞ないし口上を逆の意味で見事に持て余す、ついでで安藤ヒロキオも。煽情性のみならず映画的なエモーションにも正直遠い、プレーンな濡れ場をビリング頭が手数だけならひとまづ稼ぎつつ、ともに一発限りの二番手と三番手は―殊に後者が大概―唐突に、無理から木に往時とイマジンをそれぞれ接ぐ始末。亡父の服喪期間なんて何処吹く風、オリカとマジシャンの祝言を、途轍もなくそこいらの適当な土手で事済ます。小関裕次郎にとつては大師匠、ないし伊豆映画の巨匠で知られる今上御大。小川欽也にも匹敵する底の抜けた無頓着、もしくは安普請。何れにせよな、イズイズムには畏れ入つた。量産型裸映画の、どちらかといはずとも宜しくない部分まで、律儀に継承することも別にあるまい。マジシャン出演のテレビ番組にときめくオリカの胸を過(よぎ)る、良人が誰かに似てゐる疑問。よもやまさか、大輪の百合を狂ひ咲かせるつもりかと―いゝ意味で―慌てさせた、きみと歩実(ex.きみの歩美)が藪蛇な決定力で撃ち抜く「私が一緒にゐます」。広げるだけ広げ散らかした、畳まない風呂敷もちらほら目立つ。プラスでは畳むでも畳まない、なんて知るかボケ。何より衝撃的であつたのが、一欠片の精神性も見当たらない、たゞ単に粗野なばかりのガッハッハ。挙句上げ底ばりに底の浅い、他愛ないマチズモまで振り回させるに及んでは。デビュー作「ツンデレ娘 奥手な初体験」(2019/脚本:井上淳一/主演:あべみかこ)ぶりで純粋ピンクに飛び込んで来た西本竜樹の、クソ以下に酷い造形には度肝を抜かれた。こんな役に、この人連れて来る必要全然ない。本当に誰でもいゝのだけれど、強ひて名前を挙げるなら重松隆志で十分、斯くも全方位的に毒を吐くのが楽しいか。主演女優に苦労してゐる気配も窺へなくないとはいへ、初陣さへ確かに気を吐きながら、早くも二作目から地を這ふかの如く底値安定。竹洞曲線を上回るだか下回る、小関裕次郎の低調が激しく気懸りな限り。五十音順に荒木太郎と池島ゆたかは不在、旦々舎も。当たればデカい加藤義一は、何時当たるか判らない。国沢実は座付きに大穴が開き、清水大敬はダイウッドの我が道。だから竹洞哲也も相変らず竹洞哲也で、森山茂雄の超復活作が、関門海峡以西に着弾するのはまだまだ当分先、随分先。吉行由実は一昨日に安定気味で、ナベも今一つ元気がないと来た日には。本隊ローテ中最新の意で最後のサラブレットたる、小関裕次郎にもう少し―でなく―しつかりして貰はぬでは終つてしまふとはいひたくないゆゑ、話が始まらない手詰り感。


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 「団地妻 肉欲の陶酔」(昭和54/製作・配給:株式会社にっかつ/監督:伊藤秀裕/脚本:中野顕彰/プロデューサー:中川好久/撮影:安藤庄平/照明:熊谷秀夫/録音:佐藤富士男/美術:渡辺平八郎/編集:西村豊治/音楽:高田信/助監督:川崎善広/色彩計測:森島章雄/現像:東洋現像所/製作担当者:岩見良二/出演:鹿沼えり・朝霧友香・梓ようこ・古尾谷雅人・丹古母鬼馬二・和田周・八代康二・大江徹・中村まり子・影山英俊・佐藤昇・町田政則・田口和政・赤石富和・吉野恒正・溜健二・マリア茉莉・橘雪子)。音楽の高田信が、各種資料に於いてはスペース・サーカスとされてゐる。
 天候に恵まれた砂浜から、左に暫しパンした先には別荘が。案外気の抜けた主演女優を窓越しに抜いて、夫の岡勝昭(和田)と当地を訪れた妙子(鹿沼)の前に、別荘の主で専務の海原(八代)が現れる。海原が現れるや、ウィスキーを買つて来るのを忘れただの、岡は不自然にそゝくさその場を一旦辞す。ところてん式に岡が捌けるや、「今度の人事異動で彼もいよいよ課長に昇進する筈だ」とか何だとか、脊髄で折り返す速さで海原は妙子のお胸に手を伸ばす。要は岡が出世を餌に、女房を上司に売つた格好の非道なアバン。改めて最後に一応再起動しこそすれ、含意のほどは率直なところまるで腑に落ちない、割とでなく寓話的な歌詞のボヘミア民謡「気のいゝあひる」を岡が口遊む波打ち際と、配偶者が他の男に抱かれる初戦を往き来する無慈悲なカットバック。岩の上で情けなく膝を抱へる、和田周の突き放した画が可笑しくて可笑しくて仕方ない。後背位の佳境で劇伴起動、喘ぐ妙子のストップモーションにタイトル・イン。タイトル明けは、課長昇進後の夫婦生活。従順な、裸映画ではある、この人等の関係が崩れてゐないのは不思議だけれど。「そのうちきつとこの団地から、脱け出してみせる」。何が斯くも現住居に不満があるのか外堀は終ぞ全く埋められない、正直正体不明の情熱を岡は燃やす、見た感じ一方的に。
 配役残り橘雪子は回転レシーブで文字通り飛び込んで来る、ママさんバレーにどうかした勢ひで打ち込む桃山夫人。尤も、ボールを拾ふといふより専ら、勝手に右往左往転がつてゐるといつた方が正解に近い気も。影山英俊はコーチの久保寺、適当なハンサムが団地妻に運動を指導する、この絶対的なまでの安定感。何事も起こらない筈がない、といふか適当とは何事か。梓ようこと中村まり子は桃山夫人の姿に性的な欲求不満を邪推する、赤木夫人と名なし夫人。練習後のシャワー、手前から梓ようこ・橘雪子・中村まり子・鹿沼えりと一番奥に、もう一人クレジットされぬまゝ花を添へる。演劇畑にゴッリゴリのキャリアを持つ、中村まり子が脱いで下さる僥倖クラスの眼福には軽く驚いた。朝霧友香と古尾谷雅人にマリア茉莉は、人目も憚らず往来でチュッチュチュッチュするミユキと青野修一に、傍で黙つて見てゐるルミ。本屋での万引きを目撃する形で青野と再会した妙子は、俄かに関心を覚え青野の跡を尾けて行く。ついて来た妙子を、青野は自身らの溜り場であるスナックに事実上招き入れる、大江徹がオカマのママ・お千代。佐藤昇から溜健二までは、ミユキやルミと既に店でたむろしてゐる青野の仲間。佐藤昇・田口和政・赤石富和の固有名詞はケン・ゴロー・トミー、トミーて。あと三人のうち誰かは不明な、コーイチもゐる。全員ヒャッハーな造形と扮装で、単車も転がすケンら六人―と同様にフラワーなミユキとルミ―を、カツオみたいな黄緑色のセーターを着た、パッと見ぼんぼんのセイガクにも映りかねない青野が束ねてゐる間柄が地味に謎。兎も角、こゝで如何なる伝手を機能させたのか町田政則以下五名は日活に、東映から連れて来た俳優部。町田政則は町田政則がゐるなあといふ程度で、絡みの恩恵に与るでなくどちらかといはずとも頭数稼ぎと賑やかしのワン・ノブ・ゼン。丹古母鬼馬二は結婚記念日の献立を妙子がぼんやり考へる、岡家のチャイムを鳴らす生活改善会の男・佐伯。生活改善会とは何ぞやといふと、腰を抜かす勿れ顎を外す勿れジョイトイの実演販売。生半可な想像力を易々と超えよ、大概な昭和のフリーダム。鍵を開けただけで、家に鬼馬二が上がり込んで来る状況は確かに恐ろしくもあれ、最終的には木に丹古母を接ぎに出て来た風の丹古母鬼馬二と、別にさしたる重きを置かれる訳でもない梓ようこの高位置が、何気にちぐはぐなビリングではある。その他主だつたノンクレとしては、青野に強ひられ選りにも選つて『刑法総論』(酒井書店刊)を万引きした妙子を、結構執拗に追ひ駆けて来る「待ち給へ」氏。
 軽く覘いてみようとしても今や公式サイトが開かない、エクセレントフィルムズを後(のち)に興す伊藤秀裕のデビュー作。その後結婚する鹿沼えりと古尾谷雅人の、初共演作でもある。あと日活公式サイトによると、団地妻シリーズ第二十二作。流石にこの辺りは、指折り数へてみるのも最早面倒臭い。ところで古尾谷雅人の倅が、何時の間にか二代目を世襲してゐるのは日本人の相当数が知らない知らなくて誰も何も困らない、琴線を甘く撫でる生温かいまめちしき。
 平凡な人妻が、偶さか出会つた無軌道な色男に、如何なる風の吹き回しか箍の外れた熱量で入れ揚げる。ありがちな話が例によつて、振り幅ないし絶対値以前にベクトルから、ヒロインの心情を俄かには測り難いまゝ何となく進行。最初は突発的に、展開がフルテンで弾けるのがまづ中盤。青野に会はせると騙つたケンが、妙子をノーヘル二尻で連れて行くのがよもやまさか、東映テイストのなほ一層狂ひ咲く岩船山採石場跡地(栃木県栃木市)。挙句、町政以下五人も各々のバイクで勢揃ひ。いはば一人欠けたワイルド6が集結しての、正対座位の体勢で妙子を載せたまゝケンが愛車を駆る、単純な下心を加減を忘れた発破で弾き飛ばす盛大なスペクタクルが圧巻。微妙に羊頭狗肉な本家が実はドライバーの、これぞ正しくセックス★ライダー。セクライで火の点いた、終盤は更に猛加速。先のことしか、しかも口にするのみの夫と、今を刹那的に駆け抜ける青野の対照を構築した、その果てで。アバンに関する恨み節も回収がてら、壮絶に激情を撃ち合ふ妙子と岡が、ある意味二人仲良くブッ壊れての背面立位で挿したまゝ、玄関突破はおろか団地の階段を本当に上へ下へする、締めの濡れ場は一撃必殺の惨事もとい讃辞に足る怒涛のクライマックス。誤魔化し含め、流石に寄つては撮り辛かつたのか隣接する別棟から狙ふ―それとも足場組んだ?―距離を保ち、女の乳尻と劇映画とを秤にかけ、後者を選んだきらひは否めないものの。晴れて手に入れた戸建二階のベランダにて、妙子が晴れ晴れと洗濯物を干すラスト。夢が目出度く叶つたのだらうが、御近所を仰天させる大粗相を仕出かした岡夫婦が団地にゐられなくなつた可能性も、「気のいゝあひる」のシニックに気触れると見えて来なくはない。
 純然たる枝葉ながら、唖然としたのが万引きさせた妙子と、青野が遊びに行く遊園地。汚い手洗の個室で致す青野が、妙子が落とした『刑法総論』を足で汲み取り式の便器に落とすカットには、小僧何て真似しやがると怒髪冠を衝いた。元号と世紀も跨いだ二十四年後、非業の死はテミスの逆鱗に触れたにさうゐない、恐ろしいな法学

 偉さうに仕切るばかりで、青野は劇中投げない若者たちの“ゲーム”にアテられたのか。桃山夫人の如くバレーに過熱する、妙子が遂に昏倒。介抱するプリテンドで久保寺すなはち影英が、フレームの中には二人しかゐないのをいゝことに、単なる壁際のベンチ―当然衆人環視―で剥いた妙子の乳を揉む。全く音沙汰ないのが何気に気懸りな、今上御大・小川欽也ばりの無頓着な大らかさ、イズイズム爆裂するへべれけなシークエンスにも確かに引つ繰り返りつつ、裏、もとい真の見せ場はそこでなく。ミユキとルミの二人で妙子を唆す、画面左から朝霧友香・鹿沼えり・マリア茉莉の順―背の低い順ともいふ―で並ぶ歩道橋のロング。スリムのジーンズに膝下のブーツを合はせた、マリア茉莉の足の長さが途方もない。90cmの大台にも爪先が届きさうな、全体朝霧友香と何十センチ違ふのか目を疑ふ股下には度肝を抜かれた。マリア茉莉の股の位置が、朝霧友香の臍より高い一種の壮観に、もう遣り取りの中身なんて全然入つて来ない。惜しむらくは、これでマリア茉莉が芸事に長けてゐれば、といふ絶望的なり壊滅的な天は二物を与へずぶり。もしも仮に、万が一。この人がせめて十人並にさへ達してゐて呉れたなら、歴史は普通に変つてゐたのかも知れない。


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 「悶絶ふたまた 流れ出る愛液」(2005/製作・配給:国映株式会社・新東宝映画株式会社/製作協力:Vパラダイス/監督:坂本礼/脚本:尾上史高/企画:朝倉大介/プロデューサー:衣川仲人・森田一人・臼井一郎/撮影:鏡早智/編集:酒井正次/録音:福島音響/助監督:伊藤一平/撮影助手:矢頭知美・柴田潤/監督助手:岸川正史/制作応援:永井卓爾・田山雅也/美術協力:松井祐一/メイク協力:波止和子/協力:福原彰・河合里佳・大橋健三郎・桜井一紀・加藤遼子・毛原大樹・菊地健雄・中川大資・泉知良・河西由歩・朝生賀子・今岡信治/タイミング:安斎公一/現像:東映ラボ・テック/出演:夏目今日子・石川裕一・藍山みなみ・佐野和宏・伊藤猛・あ子・吉岡睦雄・岸田雅子・伊藤清美・山崎佳寿江・飯島大介・上野つかさ)。出演者中、飯島大介と上野つかさは本篇クレジットのみ。
 小癪にも『それから』を新潮文庫版でど頭に抜く開巻、もしも仮に万が一、よもや漱石に何某かの含意が込められてあつたのだとしても、浅学菲才で右に出る者のゐない当サイトには諒解能はず。いや、そこは進んで出て貰へよ、といふか左に下がれ。加藤美紀(夏目)と、この時点では一緒に住んでゐなかつた筈―のちの「とりあへず一緒に住みますか」との間に齟齬を生じる―の苗字不詳亮介(石川)の婚前交渉。ナルコレプシーばりに事の最中度々寝落ちる、美紀の大概底の抜けた不自然な造形に劣るとも勝らず、生で挿したはいゝものの、亮介がくさめした弾みで中に出してしまふ下らなくすらないシークエンスが早くも木端微塵。ックション、「あ!」、何だそれ。眠る美紀にキスを二回、亮介も寝てタイトル・イン。アバンから猛然と飛ばす飛ばす、逆向きに。そして、その加速を保つたまゝ完走を果たす。
 明けて主(ぬし)に辿り着けない医師の声で、「本日の検査では進行は見られませんね」。「今日は妹さん達来て呉れてよかつたですね、橋本さん」。こゝから先、三姉妹下二人の順番に関しては、遣り取りと雰囲気からの大胆か適当な当寸法。長女は確定の橋本好子(あ子)が眠る病室に、恐らく次女の美江子(岸田)と消去法で三女の八重子(山崎)。八重子の息子である亮介に美紀まで集まり、亮介の兄・明(伊藤)も遅れて顔を出す。八重子と同居、終ぞ配偶者なり子供の見当たらない、明はどうもチョンガーぽい。一方、大学時代の恩師・田中(佐野)と不倫関係にある美紀は、田中の妻も癌を発症したとやらで、藪から棒かつ一方的な別れを切り出される。
 劇中常時、ダダッ広い会議室にてパッと見時間を潰してばかりゐる、美紀の業務内容が謎めいてゐつつ亮介も亮介。賃金の発生する時間の無駄に関しては、当サイトも現場稼業なんだけどゴンドラでビルの外壁を清掃する人等が、スーツで通勤するかね。最終的には、個人の自由なんだけどさ。兎も角配役残り、ファースト・カットでは二人乗つてゐたのに、次に亮介がゴンドラから携帯をかける際には消えてゐる連れは不明、落ちたのか?出し抜けに酔つ払つて出て来る藍山みなみは、最後まで繋がりの如何を一切語らずに済ましてのける、亮介の浮気相手・ちひろ。どうも、婦人を職業にしてをられる職業婦人の模様。吉岡睦雄は妊娠したちひろが、亮介以外に父親の可能性を残す男・相澤。あまり見覚えのない、茶髪のチャラ男造形、チャラ男は大体何時もチャラ男のやうな気もしなくはない。あくまで不脱ながら、三番手らしい一幕・アンド・アウェイを敢行する伊藤清美が、大病を患つた田中の妻・典子。土壇場で飛び込んで来る、飯島大介はまさかの神父、何がまさかなんだ。あとは分娩室の看護師が、朝生賀子であるのが看て取れる限界、医師は無理。ツイッターに上げられてゐた―シネロマン掲示の―プレスシートの画像から、乳児の名前がつかさちやんで上野つかさのベイビーセルフ。問題が、マペットの類にしては相当よく出来てゐる―風に節穴には映る―新生児に全く手も足も出ない。
 勝山茂雄の「人妻 濃密な交はり」(2005/脚本:奥津正人/主演:真田ゆかり)と同じ要領で、坂本礼第四作について以前茶も濁し損なつたエントリーの、全面的改稿を潔く選んだ国映大戦第五十七戦。第二作にして最高傑作に感激したばかりだといふのは極私的なタイミングにつきさて措き、余程悪い記憶につき消去されてゐたらしく、まあ軽く驚くほど綺麗に覚えてゐなかつた、そんなに宜しくないのか。
 クソ面白くない相当酷い以前に、しかも終始、人物間を凄まじく無造作に往来するカメラに匙を投げるといふか橘高文彦のピック感覚でバラ撒いてゐたところ。恐ろしい通り越して呆れ果てることにそれがどうやら、大人しくカットを割ればいゝものを、無駄か闇雲に長く回す諸刃の剣であるのに気づいた瞬間には、エウレカ!と全裸で往来に飛び出したアルキメデスが、強化外骨格でもガキンガキン着装するくらゐの衝撃を受けた。一言で片づけると、斯くも間抜けな映画初めて見たよ。カメラ自体は動かないまゝ、機械的に寄れば寄つたでガチョーンとか音が聞こえて来さうなぞんざいなズームにも、改めて腰骨ごと尻子玉が粉と砕けた。俳優部の顔に照明の当たらない、何処までも逆の意味で完璧な締めの濡れ場への導入含め、画角云々どころでないプリミティブな惨状に、果たして鏡早智は、今作に名前を残してゐて大丈夫なのか。この期の限りに及んで、膨大な世話でしかない不安さへ去来する。もう一言付け加へるならば、斯くも素頓狂な撮影滅多に見ないよ。フィックスの画が何故か―特に何もなければ別に誰もゐない空間へ―勝手に動いて、何事もなかつたかのやうにまた元の位置に平然と戻る。その時この御仁が何を撮つてゐたのか大御大も多分知らない、“大先生”柳田友貴の魔技・ヤナギダスライダーに匹敵する箆棒な破壊力を、鏡早智が撃ち込んで来るとは思はなんだ。
 典子と吉岡睦雄は無視するにせよ、四角関係を成す女二人が、それぞれ父親を絞りきれない子供を宿す。ただでさへトッ散らかつた状況の、火に油を注ぎ。別れたいのに別れて貰へない、佐野にしては防戦一方の田中以外、あとの三人が何れも、各々の恋敵に直談判あるいは直接攻撃を仕掛けて来るエントロピーの高い連中揃ひ。亮介に至つては、与へられた情報は美紀が大量に借りパクした、田中蔵書に捺された田中印のみ。田中さんの性別も判らない出発点から、クリエイティブな猜疑を膨らませるにもほどがある。七面倒臭い風呂敷を広げるだけ広げ倒しておいて、はてさてこの物語といふかより直截にはこんな物語、全体如何にオトすものかと期待はせずに心配してゐると。どうせ清々しく意味不明ゆゑ、支離滅裂をのうのうとバレてのけるがちひろの子供に関しては、亮介が父親ではないとする、ちひろの確信を尊重するほかない、その後の産む産まぬは知らん。亮介と美紀はつかさの父親は棚上げした上で結婚、ところが式場で昏倒した好子が、そのまゝ往生。どさくさした勢ひに任せ美紀が産気づくへべれけな展開に、悶絶するにはあたらない。展開云々以上だか以下に、カメラワークからへべれけだからな。それは律は首を縦に振つたのか、好子の骨を皆で舟から川に流すラスト。つかさちやんがくさめをした何となくなタイミングで、ボレロなんて鳴らしてみたり。暗転、クレジットが起動する瞬間の、六十五分の五里霧中が漸く終る正体不明の安堵こそ、今作がもたらすエモーションの最たるものであらうか、最早映画といふより一種の苦行に近い。
 前述したミステリアスな美紀の会議室勤務―保健室登校か―に関しても、要は今上御大のイズイズム的なそれらしきオフィスのロケーションと要員を用立てる袖と労力とを端折つた、無作為の生んだ不条理にさうゐない。あるいは、肉を斬らせて骨まで断たれる、壮絶な布石にせよ。美紀が相変らず会議室でポケーッとしてゐると、流石にメットは被つてゐる私服の亮介がゴンドラで降りて来るカットには、桂文枝(ex.桂三枝)のメソッドで引つ繰り返つた。これ実は、盛大なバッカバカバカ映画にまんまと釣られてるだけなのかな。単なる詰まらなさに止(とど)まらずヤバい、坂本礼が珠瑠美―あるいはプロ鷹―とも互角に殴り合へさうな、国映系の枠内から逸脱さへしかねない一種の問題作である。


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 「ONANIE一家 ‐バイブ蕾責め‐」(1998/制作:セメントマッチ/配給:大蔵映画/監督:池島ゆたか/脚本:五代暁子/撮影:清水正二・岡宮裕/編集:酒井正次/助監督:佐藤吏・広瀬寛巳/音楽:大場一魅/スチール:津田一郎/録音:シネ・キャビン/現像:東映化学/出演:吉行由実・小松ひろみ・東麗奈・神戸顕一・佐々木共輔・平賀勘一)。
 “これは、その名の通り、「人の三倍はスキモノ」の三好家一家の物語である。”漢数字かアラビア数字、読点の打ち方が若干異なる以外、後述する第三作とほぼ全く同じ文言の手書きスーパーによる開巻。三好の表札を抜いた上で、昼下がりの津田スタにタイトル・イン。純然たる私的な雑感でしかないのだけれど、配信動画に於いて大蔵映画時代(~2001)の、王冠カンパニー・ロゴを目にすると心なしか郷愁にも似た穏やかな気持ちになる。ヒャヒャヒャーヒャヒャン、何時から使つてゐたものなのかは知らん。
 台所に立つ息子嫁の礼子(吉行)が、義父の徳三(平賀)が爆音で鑑賞するAVにキレる間隙を縫ふかの如く、双子の弟で受験生の椿(佐々木)はテレクラで捕まへた女子大生・奈津美(東)を伴ひシレッと帰宅。玄関でのディープキスから、カット跨ぎで絡み初戦に勢ひを殺さずサクッと突入する。椿あるいは三番手が切る火蓋の完遂を待つて、双子の姉・さくら(小松)も帰宅。何の物の弾みか小松ひろみが全面にフィーチャーされたポスターに、最後まで翻弄されてゐたのは神を宿すのか否か微妙な些末。礼子いはく色の好み具合が徳三似の椿と、優等生のさくらは父親である杉男に似てゐるとする一方、連夜家に仕事を持ち込む当の杉男(神戸)は妻と満足に向き合はうとすらせず、二人の営みは既に三年間なかつた。
 配役残り、さくらは部屋に家人を一切入れない方向なのか、壁の受験勉強時間割―ひろぽん画伯作―に堂々と記載された午前二時のオナニータイム。多分三本所有するバイブにさくらが各々名前をつけてゐる、黒バイブはブラピで白はディカプリオ。もう一人ゐる筈のオナペットは、模造紙が画角に削られ判読不能。そのうち、安ブロンド鬘の一点突破で、さくらが迸らせるイマジンの中に現れるレオ様当人は佐々木共輔の二役、流石に面相は回避してある。完全に再起不能を思はせるほど、一旦昏倒した徳三を往診する医師の、帰りがけの声は池島ゆたか。
 池島ゆたか1998年薔薇族込み第四作は、2001年第五作の「好き者家族 バイブで慰め」(脚本:五代暁子/主演:佐々木麻由子)を三部作の三本目とする「三好家の人々」第一作。第二作の2000年薔薇族込み第五作「奥様 ひそかな悦び」(脚本:五代暁子/原案:たけだまさお/主演:佐々木麻由子)が、現状配信でも見られない何気にアンタッチャブル、あとたけだまさおて誰?足かけ四年、計三本に亘る中キャスティングに変動が見られ、綺麗に皆勤するのは椿役の佐々共のみ。杉男も全作通して神顕ではあるものの、「好き者家族 バイブで慰め」は写真と声だけのカメオ出演。礼子と徳三が、後ろ二本では佐々木麻由子とかわさきひろゆきに後退、もとい交代してゐる。さくらに至つては「奥様 ひそかな悦び」に出て来ないばかりか、河村栞が「奥ひそ」で別の役(礼子の姪・めぐみ)を演じてゐたにも関らず、「好きバイ」で復活したさくらに扮してゐたりするのが実にフリーダム。ex.川崎季如に関して、m@stervision大哥は徳三は久保チンの役と難じておいでだが、平勘もなかなか悪くない。滑つてゐる、より直截には滑り散らかしてゐる風に映るのは、他愛ない脚本が悪い。
 序盤徒に尺を食ふ、クスリとも面白くない下ネタ・ホームコメディには匙を投げかけさせられつつ、三年前に没した形になつてゐる、遺影も用意されない亡母を徳三が押し倒す様をさんざ見せられて来た、杉男が実は御無沙汰云々以前に性自体忌避する人物造形には、逆にこの二人のコンビで、さういふ周到な手数を踏まれると却つて面喰ふ。事が順当に運んだ場合、当然同じタイミングで大学に進学する子供を二人抱へる家計の苦しさと、夫婦のレスをテレクラに直結する力業も、量産型裸映画の下駄を履き案外スムーズに決まる。声で気づかないのかといふプリミティブな疑問を到底否み難い、礼子が椿と、さくらは杉男とテレクラに燃える三好家にて、徳三が長い昼寝感覚で文字通り再起動。何故か番号を知つてゐた、奈津美に直電をかけ参戦する電話性交トリプルクロスは、そもそもの無理筋さへさて措くと、へべれけの極みながらクライマックスに足る賑々しさ、堂々と底を抜いた。二番手のM字絶頂を、寸前で百歩譲つて女優部ならばまだしも、選りにも選つて神戸顕一で遮る一大通り越した極大疑問手は、如何せんさて措けないがな。何はともあれ、殊に横乳が狂ほしいほどエモい爆乳に正しく勝るとも劣らない、劇中礼子に入浴―と睡眠―シークエンスがないゆゑ、吉行由実が正真正銘一秒たりとて外さないウェリントンすれすれの巨大なスクエアが、限りなく唯一にして最大の勝因といへるやうな一作。それがどうした、オッパイの大きな美人の御メガネ、それこそ全て。究極あるいは本質、この地上に於いて最も美しく輝く宝玉である。あゝ人生を厭悪するも厭悪せざるも、誰か美女の眼鏡に遭ふて欣楽せざるものあらむ、透谷か。

 箍のトッ外れた賛美は兎も角、姉弟がそれぞれの自室にて、何者かからの合否通知―椿は棚牡丹の裏口なのに―を銘々携帯で待つ。要は撮影を南酒々井で完結させる横着か安普請が生んだ、イズイズム的な不自然さについてはこの際等閑視してしまへ。とも思つたが、よくよく考へてみるに、礼子が徳三の車椅子を押し、二人で海辺に赴く一幕が設けられてゐたりもする、それは何処で撮つたのよ。


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 「夜の研修生 彼女の秘めごと」(2021/制作:鯨屋商店/提供:オーピー映画/監督:小関裕次郎/脚本:深澤浩子・小関裕次郎/撮影監督:創優和/録音:山口勉/助監督:江尻大/音楽:與語一平/編集:鷹野朋子/整音:大塚学/監督助手:高木翔/撮影助手:岡村浩代・赤羽一真/録音助手:西田壮汰/スチール:須藤未悠/仕上げ:東映ラボ・テック/協力:望月元気・小園俊彦/出演:美谷朱里・竹内有紀・並木塔子・市川洋・安藤ヒロキオ・竹本泰志・なかみつせいじ・ほたる・折笠慎也・里見瑤子・鎌田一利・郡司博史・和田光沙・須藤未悠・森羅万象)。出演者中、鎌田一利から須藤未悠までは本篇クレジットのみ。
 波止場に何となく佇む主演女優が、三本柱のクレジット起動に続いてママチャリを漕ぎ始める。画面左奥に走り行く、空いた空間にタイトル・イン。上の句に於ける、“夜の研修生”といふのがヒロインを指す訳ではないどころか、女ですらない案外豪快な公開題。
 駒井未帆(美谷)が向かつた先は、幼馴染の両親が営むラーメン屋。大将である鈴木三郎(なかみつ)と―少なくとも娘が禁じてゐる―酒を飲む、父の吉次(森羅)に美帆は角を生やす。こゝでほたる(ex.葉月螢)が、三郎の妻・エツ。この人の新作参加が思ひのほか久し振り、実際の時間経過より随分昔にも何となく思へる、涼川絢音の引退作「再会の浜辺 後悔と寝た女」(2018/脚本・監督:山内大輔)以来。往来から美帆がチャリンコの呼鈴で呼び出す、当の幼馴染・櫂人(市川)が出向いた先が予想外の駒井家戸建。携帯で呼べばよくね?だなどと、潤ひを欠いたツッコミを懐くのは吝かの方向で、つか実家かよ。三人の親達―未帆の母は幼少時に死去―が公認する事実上の婚前交渉的な、濡れ場初戦。モッチモチに悩ましい美谷朱里のオッパイを決して蔑ろにしはしない、小関裕次郎の生え抜きらしい堅実が頼もしい。濡れ場は、頼もしいんだけど。鯖缶工場での働きが認められ社員起用、東京本社での研修が決まつた櫂人を、駅やバス停でなければ、海空問はず港でもなく。美帆が何故か、海辺から送り出す何気に奇異なシークエンス。何てのかな、もう少しナチュラルな映画は撮れないのか。この辺り、小関裕次郎がデビュー三年目にして早くも、それらしきロケーションを用立てる手間暇を端折つて済ます、大師匠筋と看做した場合の語弊の有無は兎も角、今上御大の天衣無縫な無頓着・イズイズムを継承して、しまつてゐる感の漂はなくもない。
 配役残り、一同一絡げに投入される、ビリング順に並木塔子と竹本泰志に折笠慎也、あと鎌田一利から須藤未悠までの本クレのみ隊は、櫂人が一年間厄介になる―予定であつた―本社営業部の野島礼香と営業部長である池井戸雅也に遠藤、とその他頭数。休みの取れた美帆が上京して櫂人の下に遊びに行く、ウッキウキの予定を立てた途端、放埓な不摂生の祟つた吉次が深刻に昏倒。馬鹿デカいウェリントンとナード造形が気持ち井尻鯛みたいな安藤ヒロキオは、駒井家に通ふ往診医の原田良雄。礼香と池井戸の社内不倫を、櫂人が目撃。する件もする件で、一緒に外回りに出る筈の遠藤に、別件の電話が入る。なので一人で先に出る形になつた櫂人が、会議室のドアを開ける意味が判らないのだが、ロッカーでも兼ねてゐるのか。プリミティブなツッコミ処はさて措き、後日据膳に箸をつけず―池井戸との関係を―終らせても忘れさせても呉れなかつた、櫂人に礼香が拗らせる悪意を火種に、池井戸の姦計で櫂人は横領の濡れ衣を着せられ解雇。自由気儘な会社だなといふ顛末のぞんざいさもさて措き、竹内有紀は失意の櫂人に対する文字通り拾ふ神、離婚したての木下笑子。慰謝料代りの、持ち家に櫂人を転がり込ませる。
 OP PICTURES+フェス2022に於いて第六作がフェス先行で上映されてゐるのが、フェス先ならぬフェス限になるまいか軽く心配な、小関裕次郎通算第四作。何せ今や月に封切られるのが一本きりゆゑ、R15+で下手にまとめて先走られると渋滞を強ひられるピンクが追ひ駆けるのにも苦労する、映画の中身とはまた次元の異なつた、現象論レベルでの本末転倒。どうも昨今、我ながら憎まれ口しか叩いてゐない風にも思へるのは気の所為かな。
 都会と海町に離ればなれNo No Baby、遠距離恋愛を描いた一篇。に、してはだな。吉次が担ぎ込まれた病院から、憔悴しきつてとりあへず帰宅した美帆を、東京にゐる筈の櫂人が待つてゐたりしてのあり得ない甘い一夜。を、美帆の―この時点で櫂人は吉次のプチ危篤を知らない―淫夢なのか有難く膨らませたイマジンなのか、満足にも何も、一切回収しない大概な荒業にはグルッと一周して畏れ入つた。尺の大半を無挙動回想が何時の間にか占めてゐたりする、関根和美に劣るとも勝らない驚天動地、凄まじい映画撮りやがる。特に面白くも楽しくもないものの、絡み込みで丁寧な作りではあつたのが、箆棒な初手で足ごと吹き飛ぶ勢ひで躓き始めるや逆向きに猛加速、逆噴射ともいふ。背景に東京タワーを背負つた、櫂人が礼香に所謂“女に恥”をかゝせる一幕。最初は雪でも降つてゐるのかと目を疑つた、余光の浮き倒す節穴にも明らかな低画質も果たして激しく如何なものか。恐らく、他のパートとは異なる―簡易な―機材で撮つてゐたのではなからうか。そし、て。限りなく三番手にしか映らない、二番手の第一声。流れ的には当然社宅も追ひ出され、仕事どころか住む家すら失ひ、橋の上にて見るから危なかしい佇まひで黄昏る、櫂人にかけた言葉が「こゝぢや死ねないよ」。幾らある程度より踏み込んだ判り易さが、プログラム・ピクチャーにとつて一つの肝にせよ。深澤浩子と小関裕次郎、何れの仕業か知らないが令和の世に、斯くも使ひ古された台詞書いてみせて恥づかしくはないのか。等々、云々かんぬん。これだけ言ひ募つて、まだ止(とど)めに触れてゐないのが今作の恐ろしさ、とうに致命傷は負つてゐるといふのに。亡骸の四肢をバラバラに損壊する驚愕の超展開が、選りにも選つて一時間も跨いだ土壇場通り越して瀬戸際でオッ始まつた、締めの濡れ場。を介錯するのが市川洋ではなく、よもやまさかのEJDライクな安藤ヒロキオ。さうなると確かにその時々は藪蛇としか思へなかつた、闇雲な原田フィーチャが力づくで回収されてはゐるともいへ、「櫂人ぢやないんだ!?」と突発的に発生したスクランブルなスリリングに、もしやKSUは2021年当時フィルモグラフィの、半数でパイロットをブッ放すつもりかと本気で狼狽した。十年くらゐ前、実は既に貰つてゐた指輪を櫂人に返した美帆が、勝手に吹つ切れて新たな人生を歩き始めるラストは木に首途を接いだ印象を否めず、ついでで美帆が小学四年の時に亡くなつた、亡母・トキコの遺影役とされる里見瑤子がピンクには影も形も出て来ない。大分長いタス版が如何なる帰結を辿つてゐるのか、知らない以前に興味もないが、七十分を費やしてなほ話を満足に形成さしめ損なふやうな心許ない体たらくでは、小関裕次郎の量産型裸映画作家としての資質も、俄かか本格的に疑はざるを得ない消極的な問題作。竹洞哲也に似たコケ方を小関裕次郎がしてゐるやうだと、とんと名前さへ見聞きしない小山悟が発見されるか森山茂雄―が真の切札、最強の―が蘇りでもしない限り、本隊を守る今世紀デビューのサラブレッドが、加藤義一唯一人となつてしまふ流石に怪しいか厳しい雲行き。と、いふか。えゝと、お・・・・小川隆史とか、な・・・・中川大資(;´Д`)


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 「濃密舌技 めくりあげる」(1996/企画・制作:セメントマッチ/配給:大蔵映画/監督:池島ゆたか/脚本:五代暁子/プロデューサー:大蔵雅彦/撮影:千葉幸男/照明:高原賢一/編集:酒井正次/スチール:津田一郎/助監督:高田宝重/監督助手:瀧島弘義/撮影助手:嶋垣弘之/照明助手:藤森玄一郎/録音:シネキャビン/現像:東映化学/挿入曲:『ハートブレイク・マーダー』詞・曲・唄:桜井明弘/出演:林由美香・川村結奈・田口あゆみ・山本清彦・樹かず・平岡きみたけ・池島ゆたか・山ノ手ぐり子・藤森きゃら・神戸顕一)。
 砂嵐にタイトル・イン、ブラウン管からカメラが引くと、度外れた痛飲の跡を窺はせる女の部屋。懲りずにボトルを喇叭で呷り、麻由(林)は終に部屋の酒を飲み尽す。衝動的に手首なんて切つてみたりもしがてら、想起する逢瀬で主演女優の初戦。麻由の部屋での事後、二年付き合つた恋人の立花(樹)は専務の娘と見合したとやらで、寝耳に藪から棒をブッ刺す別れを切り出す。回想明けは夜の南酒々井、御馴染み津田一郎の自宅スタジオ。自身が不倫を拗らせてゐた際には麻由の世話になつた、友人・カオル(川村)の家に麻由は一時転がり込む、右手首には包帯を巻いて。中略、歩道橋の上から車の往き来をぼんやり見やる麻由に、山本清彦(以後やまきよ)が「死にたいの?」と無造作に声をかける。死ぬのを手伝ふ云々称したやまきよは、有り金叩いて買つたとのトカレフを白昼堂々誇示。やまきよが銃を入手した目的は、自分を裏切つた女に対する復讐。「失恋自殺より、失恋殺人を選ぶタイプなの、俺」とかやまきよがドヤるカットの、途方もないダサさに失神しさうになるが、麻由はといふとコロッと感化かケロッと感心、立花を射殺する妄想に耽る。トレンチとサングラス、頭には中折れを載せ、ハードボイルドでも気取つた風情はある意味微笑ましくもあれ、当時顔がパンパンに丸く、殊に仰角で抜くと顎のラインなんて原田なつみと大して変らないリファイン前の林由美香が、へべれけに柄でないのは時代を超え、得ない御愛嬌。基本キレにも硬質とも無縁の、池島ゆたかの大根演出に後ろから撃たれた感も大いに否定出来ないとはいへ。
 山ノ手ぐり子と藤森きゃらが前後する以外、本クレとポスターとでビリングが変らない俳優部残り。最初はカオル宅のテレビに登場する藤森きゃらは、愛人を共犯者に夫が妻を殺したのちバラバラにした事件を、都合三度費やし執拗に伝へ続ける「ニューススクエア」のアナウンサー。田口あゆみが、件の専務令嬢・麗子。平岡きみたけは麻由が逗留してゐるのも構はず臆せず、カオルが家に連れ込む彼氏、ではない男・ケンジ。麻由の近況も踏まへると尚更、不可思議の領域に突入して無神経な行動ではある。それはさて措き、持ち前の男前と、平岡きみたけの凄惨なマッシュルームの陰に隠れ、今回樹かずも実は、マオックスこと盟友である真央はじめよりチンコな髪形。イコール五代暁子の山ノ手ぐり子は神通力ばりの的確さを爆裂させながら、其処は何処かの屋上なのか、よく判らない謎のショバで商売してゐるミステリアスな占師。要は改めて後述する麻由が膨らませる第二次イマジンの舞台共々、それらしきロケーションを工面する手間なり袖を端折つた、その筋の大家(“おほや”でなく“たいか”)といへば今上御大の存在がまづ最初に浮かぶ。絶対値だけは無闇にデカい―ベクトルの正負は問ふてない、といふか問ふな―無頓着、名付けてイズイズムの証左である。捌け際はジェントルな池島ゆたかは、高田宝重がバーテンの狭い店で麻由に声をかける助平親爺。林由美香の絡み数を稼ぐ、男優部裸要員といつても語弊のない役得配役。・・・・あれ、誰か忘れてないか?
 荒木太郎が「異常露出 見せたがり」(主演:工藤翔子)でデビューした五ヶ月弱後、池島ゆたか―は1991年組―の1996年ピンク映画第三作は、その二十二年後、よもや二人して放逐されようとは。所謂お釈迦さまでもといふ、池島ゆたかの大蔵上陸作である。それまで池島ゆたかが主戦場としてゐた、エクセスがその手の徒な意匠を許すとも思ひ難く、桜井明弘の楽曲を使用するのも多分今作が初めてなのではあるまいか。爾来、主に合はせて百本近いピンクと薔薇族を大蔵で撮つた末、池島ゆたかのフィルモグラフィは2018年第三作「冷たい女 闇に響くよがり声」(脚本:高橋祐太/主演:成宮いろは)を現時点でのラストに、有体にいふと干される形で途絶えてゐる。荒木太郎のハレ君事件が起こつた当初から当サイトのみならず唱へてゐた、大蔵が多呂プロの梯子を手酷く外したと看做す認識が、一審判決に於いて裁判所の認定する事実となつた今なほ、潮目が変る気配も五十音順に荒木太郎と池島ゆたかが復権を果たす兆しも依然一向に見当たらず。当然、当サイトはさういふ現状を是認するところでは一切全然断じてない旨、性懲りもなく重ね重ね言明しておくものである。池島ゆたかも荒木太郎も特に好きな監督といふ訳では別にないけれど、物事には道理、渡世には仁義つて奴があるだらう。ドラスティックに話は変るが、フと気づくとまたこれ、清々しいほど意味のない公開題だな。
 男に捨てられ死にたガール・ミーツ・捨てられた女を殺したいボーイ。麻由とやまきよ共々、といふかより直截にいふと共倒れる洗練度の低い造形と、甚だ野暮つたいディレクションには目を瞑れば、ありがちともいへそれなりの物語に思へなくもない、如何せん瞑り辛いレベルなんだけど。尤も、麻由が拳銃を文字通り借りパクする形でやまきよと一旦別れたが最後、二番手の濡れ場と池島ゆたか相手の林由美香二戦目を消化してゐる間、山本清彦が中盤丸々退場したきりの豪快か大概な構成が、既に致命傷に十分な深さの中弛み。と、ころが。出会つた時と同様、麻由とやまきよが偶さか往来で再会してからの終盤。映画がV字復調を果たすどころか、寧ろ全速後退を加速してのけるのが凄い、勿論逆の意味で。先に軽く触れた麻由の第二次イマジン、順に麻由が撃ち殺す麗子―はこの段階では面識ないゆゑ仮面着用―と立花が、折角そこら辺の児童公園で撮つてゐるにも関らず、格好の大きな滑り台、もしくは小さな坂状の遊具を滑り落ちない、地味に画期的な拍子抜けには「使はねえのかよ!それ」と度肝を抜かれた。単なるか純然たるおざなりさにも呆れ果てつつ、恐ろしくもその件が底ですらなく。更なる真の底は底抜けに深いんだな、これが。津田スタ撮影の、やまきよは何もせず二人で一泊するだけのつもりが、麻由がトカレフの借り賃を体で払ふ締めの一戦。前段に二人が三発目の「ニューススクエア」を見てゐた都合で、床とカメラ―または視聴者ないし観客視点―の間にはテレビが置かれてある。吃驚したのがそのまゝオッ始めてしまふものだから、体を倒し横になつた途端、麻由の首から上が家電に隠れ見えなくなる、壮絶に間抜けなフィックスには引つ繰り返つた。流石に幾ら量産型娯楽映画が時間に追はれたにせよ、現場で誰も何もいはなかつたのか、といふかいはんか。素人の邪推ながら、初号を観た林由美香も、まさか自分が映つてゐないなどと思つてゐなかつたにさうゐない。挙句次々作と大体同じやうな、木に竹を接ぐ用兵が別の意味で潔い神戸顕一が、滔々と垂れ流す説明台詞で映画に止めを刺す係で登場する、ニューシネマ的な無常観をぞんざいさと履き違へた無体な結末で完全にチェック・メイト。五代暁子は自ら山ノ手ぐり子として秀逸な伏線を敷いたつもりなのか、麻由が勝手に吹つ切れる適当なロングが凡そ感情移入ないし余韻の類を残さない、スーパードライなオーラスは当時大蔵に君臨してゐた、大御大・小林悟の尻子玉を抜く脱力感と紙一重。側面的なツッコミ処が、後年、然様な一作が“池島ゆたか Archives 厳選30作品集”の括りで円盤発売されてゐる現実の、プリミティブな破壊力。うーん、厳選してこれなのか。
 終始漫然とした映画が瞬間的に爆ぜるのが、フィリピン人の風俗嬢である女の印象を、麻由から問はれたやまきよが脊髄で折り返す速さで「シャロン・ストーン」。やまきよ一流の惚け具合弾ける、こゝの「シャロン・ストーン」は普通に声が出るくらゐ可笑しい。山本清彦の役名をやまきよで通したのは何も愛称に固執したのではなく、劇中意図的に、固有名詞が終に伏せられてゐた由。

 最後、に。やまきよと樹かずが控へる上で、大将の神戸顕一が飛び込んで来れば即ち、確認出来てゐる中では最も新しい、神戸軍団三枚揃ひの八本目となる。といふのは、決して神など宿さぬ些末。
 備忘録< 麻由が線路に捨てた、オートマチックを拾ひに行つたやまきよは電車に轢かれ即死、神顕はそこに通りがかる饒舌な通行人


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 「エロスのしたゝり」(1999/製作:国映株式会社・新東宝映画株式会社/配給:新東宝映画/監督:サトウトシキ/オリジナル脚本:小林政広/企画:森田一人・朝倉大介/プロデューサー:衣川仲人・福原彰/協力プロデューサー:岩田治樹/音楽:山田勲生/撮影:広中康人/照明:高田賢/編集:金子尚樹《フィルムクラフト》/録音:瀬谷満⦅福島音響⦆/助監督:坂本礼/撮影助手:小宮由紀夫/照明助手:矢島俊幸・瀬野英昭/ネガ編集:門司康子/タイトル:道川昭/タイミング:武原春光/現像:東映化学/制作応援:大西裕・堀禎一/助監督見習ひ:黒川隆宣/制作協力:石川三郎・永井卓爾・《株》三和映材社・《有》不二技術研究所・アウトキャストプロデュース/出演:河名恵美・葉月螢・林由美香・本多菊雄・川瀬陽太・酒井健太郎・榎本敏郎・鎌田義孝・田尻裕司・今岡信治・女池充・上野俊哉・長坂しほり・佐野和宏・伊藤猛)。
 タイトル開巻、国映と新東宝に、企画とオリ脚の三人のみクレジットを先行させた上で、鉄橋を望む画の広いロング。零細企業の経理担当・木村(本多)と、駆け落ちした君子(河名)が日曜の夕方前にお盛んな隣の部屋では、一応映画監督の岡田一郎(伊藤)が、映像学院同期の親友(酒井)とカップヌードルを啜る。てつきり髙原秀和が明後日から連れて来たものかと思ひきや、酒井健太郎が実に十九年ぶりともなる一昨日に実は初土俵を踏んでゐた、世紀を跨ぐ帰還に目を向けられなかつたのは粗忽か寡聞の限り。電車に乗つた岡田が、佐野和宏の電車ハッテンを被弾。立ち食ひの蕎麦屋にて―面識のない―長坂しほりになけなしの五百円を借りて行かれ、仕方なく歩いて辿り着いた親友(以下サカケン)宅では、馬鹿デカいウェリントンの彼女(葉月)にアテられる。そんな最中、新聞を取る金はまだある、岡田を木村が訪問。君子が実はヤクザの娘で、木村が隠れてほとぼりを冷ます間、岡田に君子を匿つて欲しいといふ。キナ臭い話に一旦断りかけた岡田は、報酬として木村から提示された、三十万に脊髄で折り返し首を縦に振る。
 配役残り、榎本敏郎と鎌田義孝に田尻裕司は、“電車の客”と別箇に括られる乗客要員。ハッテン電車に鎌田義孝と田尻裕司、佐野が今度は長坂しほりに電車痴漢を仕掛ける車輛に、榎本敏郎が乗つてゐるのは判る。問題が、佐野が電車の中で「あれ!?」する際、画面向かつて左に座つてゐるのが坂本礼なのはよしとして、右の上條恒彦みたいな髭は誰?川瀬陽太は、君子を捜し岡田のアパートを張り込む若い衆・斉藤。実家近くで捕獲した、木村は既に処理済み。ところが君子送還に失敗した場合、斉藤も消される模様。今岡信治と女池充に上野俊哉は、君子が主演女優で、男優部はドリ爆なレヴェナントを遂げた木村といふ、劇中撮影されるピンク映画のスタッフ。“電車の客”と同様に、“劇中スタッフ”と別括られる。上野俊哉がアリフレックスを構へ、女池充はアシスタント。助監督は斉藤だから、今岡信治は何をしてるのかな。一乃湯の脱衣所から現場を抜いた引きの画に、もう一人二人見切れる。ナノかミクロな内輪ネタが受けるとでも思つてゐるのか、逆説的な韜晦のつもりなのか。同じコンビで五年後再び蒸し返す、この手の自虐的な世界観に当サイトは薄ら寒さをより強く覚える。岡田が長坂しほりに半泣きで垂れる、リアルはリアルでもあれなほさら惰弱な繰言には卓袱台ヒッ剥してやらうかとも思つたが、改めて後述する、一発大逆転ラストに免じて一旦通り過ぎる。
 暗転してエンドロールと、屁より薄い挿入歌が起動。した瞬間の、結局もしくは例によつて、何一つ満足に片づけないまゝ映画が終りやがつた。さういふ、別の意味での“衝撃の結末”―あるいは結ばずに欠けた“欠末”―に「うは」とガチのマジで軽く声が出た、最新作「さすらひのボンボンキャンディ」が津々浦々巡回中の、サトウトシキ1999年第二作で国映大戦第四十七戦。さすボンの話を続けると影山祐子は結構威勢よく脱いで下さる反面、最終的には自堕落なヒロインの造形が琴線をピクリどころかヒクリとさへ撫でなかつたのと、兎にも角にも、堅気のサラリーマンに見せる気が端から甚だ疑はしい、品のなければ大した華もない、原田芳雄のボンボンが致命傷。前述した、霞の癖に匂ふエンディング曲もこの倅の仕業。何処の世界の電車の車掌が、そがーなゴリゴリ墨入れとるんなら。
 開店休業状態にあるピンク映画監督の独居世帯に、火種的な若い娘が転がり込んで来る。サカケンが映画の木戸銭にも欠く話題で、岡田が「芝居よりは安いよ」だなどと、地獄のやうな遣り取りを始めた際には匙を投げ、ようかとしたのは幸にも早とちり。所々飛行機雲的な木に竹も接ぎ損ねる無駄な手数もなくはないものの、全篇を通して演出の充実を窺はせる、冴え渡る会話の中身と細かな所作が逐一超絶。退避した岡田に、電車の中から佐野が送るにこやかな笑顔。君子と木村に関する顛末もそつちのけ、暴飲暴食エピソードを楽しさうに語り続ける岡田に、呆れたサカケンが投げる「焼肉の話なんていゝんだよ」。木村の死を知り大声で泣きだした君子を、斉藤に知られぬやう岡田が覆ひ被さり押さへつける流れで突入する。即ち、ジュックジュクの熟女が「暑いはあ」とか宣ひながら、ブラウスの釦を過剰に外して若い色男を誘惑もしくは捕食する数十年一日と同じ類の、イズイズム―今上御大的な無頓着の意―スレッスレといふかそのものでしかない絡みを、岡田こと伊藤猛が「いゝんですか」。「こんなどさくさ紛れでもいゝんですか」とアクロバチックに救済する、コロンブスの卵なクロスカウンター的名台詞には感心した。伊藤猛が放つ画期的な名台詞が、後(のち)にもう一撃。二十年別居してゐる―籍を抜いてはゐないぽい―佐野と長坂しほりが、公園で煙草を呑みがてら最早旧交を温める件。相手が喋つてゐる間も、二人が脇から送る視線が凄まじすぎて、決して派手に動く訳でもないのに、激しくスリリングなシークエンスにも震へさせられた。安アパートの侘しい寡所帯に、隣の部屋から天使が舞ひ降りる。要は体のいゝファンタジー的な一山幾らの物語が、血肉を通はせ軽快に走る。忘れてた、サカケンが三撃連ねる「僕のはアバンギャルドだから」を、終に岡田が文字通り塞ぐタイミングも鮮やかに完璧。煌びやかなカットの弾幕に、いゝ意味で眩暈がする。
 裸映画的には下乳すら見えるか見えないか微妙な葉月螢を殊に、二三番手を共々一幕・アンド・アウェイで半ば使ひ捨てる一方、突かれるとぷるんぷるん弾むオッパイがエモーショナルな、主演女優の裸は質的にも量的にも十全に拝ませる。最初で最後のピンク参戦で、女優部トメの位置に座る長坂しほりが単なる艶やかな賑やかしに止(とど)まらず、佐野を介錯役に気を吐いてみせる点も、大いに且つ絶対に忘れてはなるまい。何より、締めの濡れ場を見事に直結してのけた、奇想天外な大団円が出色。途方もない奇縁と、途轍もない棚牡丹はさて措けば。三度目の邂逅、長坂しほりが岡田に映画が好きであるか尋ねる切り口から流石にあんまりな、大飛躍が高く遠すぎるきらひは如何せん否めなくもない。佐野が、渾身の自脚本をそれこそ何処の馬の骨とも判らない、赤の他人に譲るのかといふ割と根本的な疑問も些かでなく拭ひ難い。必ずしも純然たる、初対面ではないにせよ。尤もほかにも特筆すべきなのが、君子と輪唱する二発目では二つ目の句が“君子の”に変形する、「僕と」、「君との」、「エクスタ」、「シー」フィニッシュは何と奔放なメソッドなのかと正方向に引つ繰り返つた。大概、もとい大体煮ても焼いても食へなんだ意図的な不安定が、軽やかに弾ける自由なり可能性に初めて結実する、当サイトがこれまでサトトシを観るか見た中では最高傑作に近い一作、そんな略し方聞いたこたねえ。

 私生活に於いては恐らく嗜まぬと思しき、長坂しほりが上半身を矢鱈と屈み込ませる、ストレンジな煙草の火の点け方―腰を折らずに、ライター持つて来ればいゝよね―は兎も角、地味に最大のツッコミ処は、斉藤の名前を耳にした途端口汚く罵り始める、それまで覚束なく宙に浮いてゐた、君子の足が俄かに地に着く悪口。「出臍なのあいつ、昔つから出臍なの」。事もなげに岡田はスルーしてしまふが、基本出臍は生まれた時から出臍だらう、そこ黙つて聞き流すのは勿体ない。


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 「爛れた関係 猫股のオンナ」(2019/制作:ネクストワン/提供:オーピー映画/監督・脚本・編集:工藤雅典/脚本:橘満八/プロデューサー:秋山兼定/音楽:たつのすけ/撮影:村石直人/照明:小川満/録音・整音:大塚学/VFXスーパーバイザー:竹内英孝/助監督:永井卓爾/撮影助手:加藤育/照明助手:広瀬寛巳/制作応援:小林康雄/演出部応援:天野裕充・渡辺慎司/ポスター:MAYA/スチール:伊藤太・KIMIKO/仕上げ:東映ラボ・テック《株》/協力:KOMOTO DUCT/出演:並木塔子・竹本泰志・相沢みなみ・長谷川千紗・佐々木麻由子・深澤和明・古本恭一・森羅万象・飯島大介《友情出演》・なかみつせいじ・ヒメ・ココ)。出演者中ヒメとココに、飯島大介のカメオ特記は本篇クレジットのみ。
 謎の単身赴任も五年目の浅倉雄一(竹本)が、田圃端のバス停で分厚いノートを叩いてゐるとスマホが鳴る。ど頭からイズイズム爆裂するスッ惚けた画はどうにかならんのかと苦言を呈したくもならうところではあれ、ここは一旦さて措く。首尾よく契約をまとめて来た浅倉に対する主たる用件は、本社帰還の報。喜び勇んで浅倉がかけた電話に、妻は出ず。“私には、鈴(りん)といふ名の、妻がゐる。”とか、わざわざ勿体つけて打つ意味の疑はしい漠然としたクレジット。開巻早々、工藤雅典が一昨日に絶好調、それは正方向の徴候なのか。ところで浅倉の電話に出もしない当の鈴(並木)はといふと、課長昇進も伝へるライン画面越しに、浅倉とは社の同期である砥部光和(深澤和明/ex.暴威)と見た感じ別に楽しさうでもない逢瀬。轟然と火を噴き、損ねる初戦にもいひたいことは深澤和明の弛緩した体躯から山の如くあるが、それも後に回す、キリがない。兎も角、事後ヘアピン別離を切りだしさつさと一人でタクシーに乗らうとする鈴と、無様か惰弱に食ひ下がる砥部が横断歩道際にて一悶着。どう見ても砥部が鈴を車道側に引き戻さうとしてゐるやうにしか見えない、頓珍漢な修羅場にトラックが突つ込んで来て、外見推定で多分ヒメの方(猫セルフ)にタイトル・イン。あのさ、工藤雅典て監督デビューして何年になるんだつけ。まあ、自問自答すると2019年時点で、二十年なんだけど。
 タイトル明け帰京した浅倉が、雨の中慌てて病院に駆けつける。砥部が無理心中を図つた形に解釈された事件で砥部は無事死亡、一方掠り傷で済んだ鈴は、待合室で浅倉を出迎へた常務の水木(飯島)が三十分前に様子を見に行つたところ、コートとポケットのスマホを残し忽然と姿を消してゐた。スマホのロックも突破出来ず、浅倉は途方に暮れる。
 配役残りビリング順に相沢みなみと佐々木麻由子は、砥部の娘で女子大生の茜と、未亡人なりたてのまなみ。流石に首から上は不用意に寄ると厳しさも感じさせる、佐々木麻由子は浜野佐知のデジエク自身四作目となる第八弾「黒い過去帳 私を責めないで」(2017/原案:山﨑邦紀/脚本:浜野佐知/主演:卯水咲流)以来で、ついでに深澤和明は工藤雅典二作前のデジエク第三弾「連れ込み妻 夫よりも…激しく、淫靡に。」(2014/主演:江波りゅう)ぶり。小屋に遠征する事前予習段階、相沢みなみの名前に、2011年に完全引退した筈の藍山みなみが超電撃大復帰を遂げたのかと度肝を抜かれかけたのは、純然たる極私的な粗忽、齢かいな。閑話休題、目下継戦する気配の窺へない相沢みなみが如何にも今時のゆるふはなギャルギャルした容姿に見せて、会話の間合の最適解にズバンズバン間断なく飛び込み続ける、切れ味鋭いソリッドな台詞回しが何気に出色。長谷川千紗に古本恭一は、新課長―前任は砥部―として浅倉が凱旋した課の今井美和と、美和に岡惚れする菅原。早速の戦果を挙げた本社再初日―に於いても、豪快にイマジナリ線を跨いでみたりする―の帰途、浅倉は鈴そつくりの女が、男とホテル街に消えるのを目撃する。二度目のコンタクトで捕獲した女は、鈴の身体的特徴であつた左太股の三角形を成す黒子がない、要は単なる瓜二つの街娼・和佳奈(当然並木塔子の二役)であつた。なかみつせいじは休日の浅倉が近所に発見した、昼間から開いてゐるバー「HIROSHI」のマスター・岩田。ヒメ同様ココも物理招き猫に「HIROSHI」で飼はれてゐる、もう一匹の猫セルフ、置物でも物理は物理だろ。浅倉の休日に話を戻すと、ハードカバーを裸で持ち歩く、鼻の腐りさうな造形も途切れ知らずのワン・ノブ・ダウツ、工藤雅典は仕出かした映画を撮るのが楽しくて楽しくて仕方ないらしい。止まらんぞ、だからキリがない。再度兎も角、そして最初は茜が所謂パパ活してゐる現場を目撃される、森羅万象は浅倉らが勤務する会社の取引先「三紅商事」の部長・瀧口孝三。なほ、茜にはアパレル会社「タキグチ・テキスタイル」の社長を名乗つてゐる模様。その他院内と社内、二人とも不明の和佳奈顧客、木に竹を接いで浅倉とまなみが密会するレストランに、総勢十五人前後見切れる。ついででレストランもレストラン、演劇の舞台を客席から撮影したライブビューイング感覚で、こんな風にあつらへてみましたとでもいはんばかりに、平板な画角と距離感で一同を抜く間抜けな最初のロングには欠片の覇気も窺へない。
 生え抜き中の生え抜きであるエクセスを離れた、王子亡命自体は衝撃の初上陸作「師匠の女将さん いぢりいぢられ」(2018/共同脚本:橘満八/主演:並木塔子)に続く、工藤雅典大蔵第二作。妻に蒸発された男が、家路となると思ひきり普段の生活圏で、妻と同じ姿形の女と出会ふ。如何にもありがちな導入を経てゐながら、二度目の邂逅で女はあつさり別人確定。蒔いた種が芽吹く暇もなくドラマを摘み取る、破壊的な作劇には明後日なベクトルで吃驚した。全体何をしようとしたのか、全く以て理解に苦しむ。それ以前、あるいは以下に。唯一、もしくは何故か。まるで別人のやうな入念さで始終を十全に撃ち抜く長谷川千紗の休日オフィス戦と、百歩譲つて一応それなりな締めを除けば、吹きかけた尺八を満足に吹かせても貰へない佐々木麻由子を象徴的に、前戯は極めて手短に端折つた上でなほかつ、いざ挿入後も単調に体位を羅列する程度の杜撰な濡れ場は甚だしく不誠実極まりない、国映か。最も酷いのは、画期的にお美しい御々尻をしてゐるにも関らず、瞬間的なイマジンと食はずの据膳とで事済まされる二番手。お芝居には確かに光るサムシングも感じさせつつ、何のために連れて来た。その癖、妙に執拗な手数を費やす割に、総じて他愛ない「HIROSHI」絡みの件を逆向きの筆頭に、決定力不足の情緒ばかり徒に積み重ねる無駄のてんこ盛りには苦笑も凍りつく。女の裸に割く尺に優先するほどの、代物にも特にも何も全く見えず、呆れ果てて屁も出ない。挙句最悪の大問題が、母との内通を察知してゐた茜は、浅倉の急襲を瀧口離脱後に受けた際、迎撃気味に「夫を亡くした傷心の未亡人垂らし込むなんて」と毒づく。するとそれを受けた浅倉が言葉を濁して、「安手のピンク映画ぢやあるまいし」。あの、な。軽く話を戻すと浅倉の本社再初日、美和と菅原は新課長の凱旋を、屋上缶ビールで言祝ぐ。面白くない詰まらないは個々の琴線の張り具合に無理から収斂させるとしてまだしも、冒頭の田圃端バス停ノート同様、満足なロケーションの一つ二つ用立てられなくて何が“安手のピンク映画”なら、こんならの映画が一番安いんぢや。気取つた自虐にせよ、斯くも逆の意味で見事に天に唾吐く映画撮つてゐて、工藤雅典は恥づかしくないのかと傾げた首がヘシ折れるかと思つた、寧ろ観てゐるこつちが赤面する。そもそもクライマックスでは出し抜けに別離と絆をフィーチャーしてみせるにしては、二人に子供はをらず。鈴が仕事を持つてゐる風にも、たとへば本宅同居人を介護してゐる風でもない点に躓くと、浅倉の単身赴任がそもそもなミステリー。ちぐはぐばかりな基本出来損なひの裸映画の隙を突いて、大概な暴投をドカーンと放り込んで来る。ともに外様の工藤雅典が、髙原秀和を猛追する構図は如何なものか、暗澹とする心持ちを抑へきれない一作。それ以上の憎まれ口は、もう叩かない。

 最後にもう一つよく判らないのが、今回何処にVFXを使つてゐたのか誰か俺に教へて呉れ。あと救出した茜を一人で風呂に入らせればいいのに、わざわざシャワーを浴びせかける意味、二つやがな。


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 「風俗ルポ ポケベル《裏》売春」(1994/製作:小川企画プロダクション/配給:大蔵映画株式会社/監督:小川和久/撮影:伊東英男/照明:内田清/助監督:井戸田秀行/編集:金子尚樹 ㈲フィルム・クラフト/脚本:林田義行/撮影助手:郷田有/照明助手:佐野良介/ネガ編集:三上えつ子/音楽:OK企画/録音:ニューメグロスタジオ/効果:協立音響/現像:東映化学《株》/出演:小川真実・水鳥川彩・西野奈々美・久須美欽一・太田始・鳥羽美子・杉本まこと)。
 七色に煌めく麗しの大蔵王冠ロゴ、杉本まことの開巻開口一番が「早く脱げよ」。長谷川文男(杉本)が同僚兼不倫相手のアイダ望(西野)に悪い顔で促す、帰社時間に迫られる昼下がりの逢瀬。望がブラウスをカメラ目掛け文字通り脱ぎ捨てて、暗転タイトル・イン。絡み初戦がタイトルバック、雑な体位移動はさて措き、締めの監督クレジットで乳に寄る。案外馬鹿に出来ない、強靭なジャスティス。寧ろ今時の外様辺りが積極的に、この手のコッテコテな古典的メソッドを模倣してみるのも面白い、やうに思へなくはない。
 大胆だか大雑把なのかよく判らないダイナミックな繋ぎで、ベンチに座つた長谷川が深刻な顔で黄昏る。箸が転べば公園、風が吹けば桶屋が往来。少々の不自然さなんぞてんで意に介さず、事ある毎に無料ロケーションを臆面もなく多用してのけるのは、確信犯的量産型娯楽映画の常。閑話休題、事後結婚を理由に望から不意の別れを通告された挙句、その結婚相手とやらが得意先である小林物産の社長子息だとかいふので、長谷川は声しか聞かせない部長(姿良三か小川和久)に馘をも宣告されてゐた。それで社員の首を切れるのか、なかなか機動性に富んだ会社ではある。実は、それだけでもなかつたのだが。再度閑話休題、キリがない。呆然自失と歩道橋から行き交ふ車列を見やる長谷川に、偶ッ々その場を通りがかつた女・冬美(小川)が「吸ひ込まれさう」と声をかける。適当な会話を流して、冬美の―スーサイドを―「少し先に延ばしてみない?」から、カット跨ぐとシャワーを浴びてゐる小川真実。少々無理か飛躍の大きなシークエンスであつたとて、女の裸で捻じ伏せてしまへば万事オッケー。ピンク映画固有の文法が、荒野にも似た地平を飄々と吹き遊(すさ)ぶ。正しく一発で冬美に執心した長谷川が、早速翌日貰つた番号にかけてみると、電話の先はホテトル店「キャンディ」だつた。矢張り声しか聞かせない電話越しの男には辿り着けないから、井戸田秀行なのかなあ。
 配役残り水鳥川彩は、長谷川の妻・唯。キャンディの店長(推定)に、長谷川が冬美の特徴を適当に伝へたところ、今上御大映画に於ける大御大映画影の女神・板垣有美こと、鳥羽美子が飛び込んで来るのが序盤のハイライト。長谷川は一旦落胆しかけたものの、チェンジせず先払ひまでしこそすれ、以降を端折り遂にかとときめかせられかけた、鳥羽美子の濡れ場が拝めはしなかつた点が最大の欠いた竜の睛。長谷川の―元―勤務先「黒川建設」から長谷川家に電話をかけ、当人はいひだせずにゐた失業を唯に発覚させる、だから声しか聞かせない中村はほぼほぼの自信を以て樹かず。その旨唯が長谷川に詰め寄る件に際しては、中村の名前が中本に変つてゐたりする不安定さが、変なところで妥協を知らないイズイズム。長谷川を放逐した唯は、最早声すら聞かせない電話の向かうの友人・キョーコに勧められか唆され、選りにも選つてキャンディでホテトル嬢に。それは余程世間が狭いのか、キャンディが独占的な大手なのか。太田始は冬美の源氏名・リカをチェンジする形での、唯の劇中最初の客、チュッパチャプスが偏執性を表するトレードマーク。久須美欽一は唯だけでなくリカも呼んでの、豪遊に興じる御仁。久須美欽一の、御仁感。最終的に、あるいは主体的に何某か展開の推移に関るでなく、概ね単なる純然たる巴戦要員。
 林田義行脚本にとりあへず驚いた、小川和久1994年第七作。慌てて当たつたjmdbによると、少なくとも1992年から1996年の間に四本ある模様、今作は二本目。後ろ三本が何れも小川和久であるのも兎も角、記録にある初陣がしかも新東宝の佐藤寿保―1992年第四作「制服ONANIE 処女の下着」(主演:浅野桃里)―といふのは何気に衝撃的、何が“しかも”なのか。望んだところで詮ないのは百億も承知の上で、存在を知つたが最後激越に観るか見たくなる、未練しか残らない無間地獄。
 長谷川が冬美に逃げ込んだとか何とか、二人が交す徒にアンニュイな会話周りには小賢しい才気が小走りしつつ、基本線としては久須りんを介して唯とも出会つた冬美が、長谷川の手荷物から二人の間柄を察知、元鞘に戻す御膳立ての手筈を整へるアーバン浪花節。冬美が長谷川とは普通に待ち合はせればいいハチ公前に、唯に対しては再び三人プレイのタッグを組むと称して呼び出すのは、久須りんの存在を紙一重で一幕限りから救出してみせる地味な妙手。結局結婚の破談になつた望も、別に気落ちするでなく出張風俗に転職してゐたりする、世間が狭いなり工夫を欠いたといつた以前の、女優部全員ホテトル嬢だなどと殆ど歪んだ世界観はこの際―どの際なんだ―等閑視すると、何処からでもビリング頭を狙へる加へて小川組に手慣れた三本柱の濡れ場を、何れも質量とも十全に披露する安心して見てゐられる裸映画。長谷川の望との不倫と冬美には求婚、一方唯も唯で歴然とした売春。絶大な火種は双方心に架けた棚に蔵入れ、締めの夫婦生活を堂々と完遂した上で、冬美のポケベルに新たなる招聘が着弾。颯爽と出撃する歩道橋から並木道に引くラストは、一応か力技で爽やかにピリオドを打つ。そんな、ツッコミ処の起爆装置が地表のそこかしこに露出してゐる中でも、一箇所素面で特筆しておきたいのは、長谷川が最初に冬美と寝たのが望と使つてゐたのと同じホテルだといふので、事の最中に望を想起してしまつた長谷川が一旦中折れする件。ハモニカを吹く口が、怪訝な面持ちで止まるシークエンスはそれはそれでそれなりに斬新、裸映画的にはなほさら正方向に煌めく。
 備忘録< “それだけでない”こゝろは、望は黒川とも関係を持つてゐた


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 「不倫ベッド パンティあそび」(1994/製作:小川企画プロダクション/配給:大蔵映画株式会社/監督:小川和久/脚本:池袋高介/撮影:伊東英男/照明:秋山和夫/音楽:OK企画/編集:金子尚樹 ㈲フィルム・クラフト/助監督:井戸田秀行/監督助手:佐々木乃武良/撮影助手:郷田有/照明助手:佐野良介/編集助手:網野一則/録音:ニューメグロスタジオ/効果:協立音響/現像:東映化学/出演:小川真美・水鳥川彩・西野奈々美・久須美欽一・神戸顕一・姿良三・杉本まこと)。出演者中、真実でない小川真美は本篇クレジットまゝ。
 漫然と撒かれた、個別的具体性を排した下着姿のスナップにタイトル開巻。最初の画をそのまゝ動かしもせず完走する、タイトルバックの横着さがある意味清々しい。お乳首に当てられる、電動歯ブラシ。ラブホテルでの仮称「摩天楼」ママの恵子(小川真美/但し主不明のアテレコ)と、情夫・健一(杉本)の初戦対面座位を中途で端折つて団地ショット。土手を浮かない顔で歩くタチバナ夫人(西野)に、御近所の恵子が声をかける。パートを馘になつたタチバナは摩天楼で働かせて貰へまいかと求めるが、摩天楼の景気も決して芳しくはなかつた。とか何とかな外堀をユルッと埋めて、健一発案で摩天楼はブルセラスナックに様変り。店内のそこかしこに如何にも如何はしいスナップが貼り散らかされ、恵子は常連客の桜井(久須美)に、タチバナのパンティをデート料込みの二万五千円で売る。無防備といふか、何て危なかしい店なんだ。
 配役残り水鳥川彩は、自身の情婦である恵子と、恵子が連れて来たタチバナに続き、健一が調達するブルセラ要員・スズコ。会話を窺ふに、ex.JKのプロ。一旦切札を担ふかに思はせた神戸顕一は、エイシュク学園の制服を売つたタチバナを、尾行する男。そして小川和久の変名である姿良三は、画面奥から神顕・久須りん・杉まこが並んだカウンター背後のボックス席から、スズコのデート料込みパンティを三万五千まで釣り上げるものの、桜井の四万円に潰される男。晴れて桜井が競り落としたパンティを覗き込むフォローも麗しく、何気に芳醇なシークエンスではある。
 対面座位で西野奈々美が久須美欽一に、「ねえオッパイ、オッパーイ」。ピンク映画史上最高の神々しい名台詞が唸りをあげる、小川和久1994年第四作。要はパンティが食玩に於けるガム感覚の、ブルセラどころか売春スナックの様相を水が低きに流れるが如く呈した摩天楼が、かといつて摘発される程度のオチがつくでなく。見た感じ西野奈々美が頭でおかしくない感じがするビリングに対する疑問さへさて措けば、安穏と女の裸で尺を埋める良くも悪くも安定した裸映画。とは、いへ。突発的に輝き、かける瞬間が確かになくもなかつた。行動自体は全力不審者ながら、ピュアな面持ちで神戸顕一が飛び込んで来た際には、高校時代岡惚れを拗らせてゐたタチバナに、神顕が不純な純情を撃ち抜くエモーショナルな一発逆転展開も予想させた、のだけれど。結局神戸顕一が―別に見ず知らずの―タチバナの自宅を急襲し制服撮影会を強行したかと思へば、それだけに止(とど)まらず普通に手篭め。にした挙句、事後はタチバナがその時穿いてゐた下着は記念と称して強奪しつつ、また誰かに売れとエイシュクの制服は置いて行く始末。神戸顕一が全うな制服クラスタですらない無頓着さと、痛い目に遭つたにも関らず、パンティ越しに電歯を当てるタチバナが、商品の仕込みに相変らず余念のないラストの無造作さこそがイズイズムのイズイズムたる所以。そもそもパンティで遊ぶのは兎も角、タチバナ家の夫婦関係は全く以て稀薄で、不倫感は霞よりも薄い。


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 「わいせつFAX 本番OL通信」(1994/製作:小川企画プロダクション/配給:大蔵映画株式会社/監督:小川和久/脚本:池袋高介/撮影:伊東英男/照明:内田清/音楽:OK企画/編集:㈲フィルム・クラフト/助監督:井戸田秀行/撮影助手:郷田有/照明助手:佐野良介/録音:ニューメグロスタジオ/効果:協立音響/現像:東映化学/タイトル:ハセガワ・プロ/出演:水鳥川彩・英悠奈・岸加奈子・久須美欽一・真央元・神戸顕一・姿良三・杉本まこと)。出演者中、姿良三は本篇クレジットのみ。
 二つ並んだマグカップからピントを送つた先には、部屋の主であるタエコ(水鳥川)と、家に帰れば嫁のゐる金井(杉本)。背面騎乗の最中に鳴つた着信音は電話ではなく、タエコが「FAXよ」。金井家にもFAXがあるのはさて措き、ここで水鳥川彩が撃ち抜く歴史的な名台詞が「FAXより今はFUCKの方が大事よ」。下らないだ工夫に欠けるだ屁以下の難癖を垂れる手合は、カッチンコチンに凍らせた豆腐の角に、出来得る限りの速度で頭をぶつけて生れ変つて来ればいい。嬌声に乗せほんわかした劇伴が起動、何故か無人のベッドにタイトル・イン。かと一旦思はせておいて、フレーム右側から正常位が倒れ込んで来てクレジット追走。一絡み完遂したところで、最後に小川和久の名前が入るタイトルバックは何気に完璧。あれやこれやといつて、これだけの開巻をキッチリ撮れる人間が、果たしてどれだけゐるといふのか。
 場面変り、何と今回は恐らく極めて珍しく、「有明」なる屋号のつく御馴染バー「摩天楼」(仮称)。何故伊豆ではないのかといふのはさて措き、名前があるのは初めて見た。小川和久(現:欽也)が今でも使ふ変名である姿良三がカウンターに入り、雨宮基雄(久須美)が後輩でセイガクの中村(真央)と酒を飲む。有明にもFAXがあり、わざわざ社用を偽装した逢瀬の連絡を雨宮が被弾、中村も最近始めたパソコン通信に勤しむために各々店を辞す。
 配役残り岸加奈子が、別に結婚しても罰は当たらない、雨宮の交際相手・菊子。金井がタエコ宅から帰宅すると風呂に入つてゐた嫁の声は、水鳥川彩でも岸加奈子でもないゆゑ英悠奈?改めて英悠奈は、転職して菊子の部下になつた吉野由美。前年の第六回ピンク大賞に於いて、自らの名を冠した神戸軍団(神戸顕一・樹かず・真央はじめ・山本清彦・森純)で特別賞受賞に輝いた神戸顕一は、由美に岡惚れを拗らせる、前職同僚の梨元。
 多分今上御大作の中では、比較的高水準な部類に―もしかすると―入るやうな気の迷ひのしなくもない、小川和久1994年第三作。これで?とか脊髄で折り返すのは、それはいはない相談だ。略奪する気全開の不倫相手もFAX持ちと知り、文面自体は他愛ないがアグレッシブに危なかしいラブFAX―劇中呼称ママ―を送りつけて来るタエコの処遇に窮した金井は、矢張り先輩である雨宮に相談する。片や菊子は菊子で、由美が無言電話に続いて悩まされる、パソ通のネットワーク上で出回る由美の名を騙つた、願望告白風のエロ文書について雨宮に話を持ちかける。といつて、特定の機器を殊更にフィーチャーしてみせるでなく、山﨑邦紀的なガジェット・ピンクの方向に振れてみせる訳では別にない。寧ろ「FAXより今はFUCKの方が大事よ」、濡れ場初戦を華々しく彩る、水鳥川彩の名台詞を導き出した時点で、少なくともFAXに関しては堂々たる御役御免とするべきである。一方、最初は中村も―真に受けて―垂涎してゐた破廉恥テキストが、何時の間にか金井の仕業と決まつてゐたりと、最新風俗を採り入れたにしては、何時も通りへべれけな脇の甘さが特段の意欲も感じさせない。尤も、筋者―とその舎弟―に扮した雨宮と中村が、川原に呼び出した金井に凄んでみせるや、忽ちガクブルした神戸顕一が文字通りの平身低頭で、久須美欽一はまだしも本来子分である筈の真央元にも土下座して平謝りするシークエンスは、あれよあれよ感込みで面白可笑しく見させる。兄貴肌の雨宮に収斂する、金井と由美それぞれの揉め事。先に由美方面を片付けた辺りで、すつかり安心してもう一件は平然と放置して済ましておかしくないのが、イズイズムあるいは御大枠のある意味常。ところが摩天楼に屋号がつくのに引き続き、再び今回珍しく金井とタエコの縁切りも、雨宮パイセンが相変らず中村を引き連れ筋者に扮する全く同一のメソッドで、何だかんだ何となく解決。万事が然るべき落とし処に納まる据わりの良さに加へ、菊子ことビリングは一歩引いた岸加奈子は、好色なのは認める雨宮と、適度な距離で恋愛を楽しむ大人の女を好演。終始余裕を保つたキシカナを安心して愛でてゐられるのは、逆に佐野和宏にはまづ撮れぬにさうゐない穏やかな至福。何はともあれ、摩天楼のカウンターに画面奥から久須りん・杉まこ・マオックスが並ぶ、案外奇跡的なスリーショットでついうつかり満足してもしまへるのは、多分にバイアスのかゝつた、埒の明かない偏好であるとは自覚してゐる。


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 「若妻侵入 淫乱まみれ」(1994/製作:小川企画プロダクション/配給:大蔵映画株式会社/監督:小川和久/撮影:伊東英男/照明:内田清/助監督:井戸田秀行/編集:金子尚樹 ㈲フィルム・クラフト/脚本:八神徳馬/撮影助手:倉田昇・樹かず/照明助手:佐野良介/編集助手:網野一則/音楽:OK企画/録音:ニューメグロスタジオ/効果:協立音響/現像:東映化学㈱/出演:西野奈々美・青木こずえ《新人》・吉行由美・久須美欽一・太田始・中川朗・杉本まこと)。他人に書かせても独特の位置に来る脚本の八神徳馬は、本篇クレジットまゝ。本名で演出部に入るのは何度か見覚えもあるが、樹かずの撮影助手は初めて見た。
 西野奈々美(大体ex.草原すみれ)のワンマンショーで轟然とタイトル開巻、クレジット追走。爆乳のジャスティス、腹肉もダブついてゐる気がするのは目の錯覚にさうゐない。結婚三年の麻生良子(西野)が台所に立つてゐると、夫の繁からその夜も泊り残業の旨を告げる面倒臭げな電話がかゝつて来る。となると最早当然とでもいはんばかりの流れで、受話器を置いた繁(杉本)はといふと、浮気相手・ナツミ(主不明アテレコの青木こずえ)宅でしかもベッドの上。正常位→対面座位→後背位と移行する、教科書通りの綺麗な濡れ場を繁とナツミが完遂する一方、良子は健気にも良人を思ひながらのワンマンショー。は、何時も良子が自分でするのを見て俺もしてゐるゆゑ、“俺達毎晩バーチャルセックスしてるんだぜ”とか嘯く超絶キモい怪電話に遮られる。買物に出た良子に、御近所の奥田光江(吉行)が接触。繁が、若い女とホテルに入るのを目撃したといふ。そもそも、光江も光江でどうしてホテル街にゐたのか。良子の脊髄で折り返した怪訝な表情に対し、悪びれる素振りも見せない光江の答へが団地妻仲間で運営するデートクラブ。光江から誘はれた良子は、繁の不貞ごと否定して立ち去る。見送る光江が浮かべる魔女の如き微笑が、吉行由実ここにありを煌めかせる十八番のメソッド。
 配役残り、顔面の濃さで独特の存在感を画面に刻み込む、画力(ゑぢから)を誇る太田始は良子が電話帳から辿り着く、繁の調査を依頼する探偵・古賀。久須美欽一が、光江が初陣の良子を斡旋する水揚げ客。中川朗は超絶端役の繁商談相手、ではなかつたんだな、これが。ところで俳優部に誰一人、撮影部セカンドより男前がゐない現場。
 一言でいふと小川和久を甘く見てゐた、1994年第九作。夫の不倫に動揺する若妻が、主婦売春の甘い罠に転びかける。最終的に調子に乗りすぎてナツミにフラれた繁と、良子が痛み分け的にヨリを戻す着地点から随分に大概なのだが、ピリオドの向かう側に易々と加速する、小川欽也の度を越した無頓着として当サイトが謳ふイズイズムは止まらない。最初は夢でオトす、東映化学の屋上入口で良子を犯す謎の覆面氏。久須りんの下を土壇場で逃げ出して来た良子は、光江にヤキを入れられかける。その場を救つて呉れた古賀を自宅に上げた良子が、幾ら古賀が汗をかいてゐるとはいへ、シャワーを振舞ふ件はどう考へても膳を据ゑてゐるやうにしか映らないものの、想定外の明後日だか一昨日に急旋回。古賀の手荷物を漁つてみた良子は、夢の筈である覆面氏と同じ覆面をその中に発見する。凶悪な光江の告発電話を受けた繁が、良子を売女呼ばはりした挙句フルスイング張り手をカマすとなると、何処からどう見ても修復不可能に思へた夫婦仲がリカバリする時点で既に度肝を抜かれつつ、だから今上御大はその先へと行く。前なのか後ろなのか、最早ベクトルはよく判らないけれど。三度目の屋上来訪で目出度く良子が手篭めにされる覆面氏の正体が、実は良子と会話したのは一回きりである電話氏との、関係は不鮮明な中川朗。おまけに古賀の鞄に何故か入つてゐた覆面に関しては、遠く時の輪も接しない時空の彼方に等閑視。その上で、帰宅した繁を、良子が好物の肉じやがで迎へるのが頭のおかしなハッピーエンド。ハッピーといふか、もうこれクレイジーだろ。井戸田秀行の変名説も囁かれる八神徳馬の脚本が余程酷かつたのか、単に小川和久のへべれけが過ぎたのか。秀逸か大胆な構成が観客の経験律的な想像力を超えるでは決してなく、プリミティブな意味で出鱈目にもほどがある展開は到底予測不能、こんなもの読める訳がない。とかいふ次第でマトモな劇映画だと思つて相手しようとすると、発狂はしないまでも著しく消耗する一作ではあれ、西野奈々美に加へ勝るとも劣らないオッパイを悩まし気に誇る吉行由美をも擁し、裸映画的には磐石に安定する。光江が久須りんに良子の非礼を詫びる形での、吉行由美と久須美欽一による六分半を跨ぐ中盤の長丁場だけで、元は十二分に取れる。


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 「奥様は覗き好き」(1993/製作:小川企画プロダクション/配給:大蔵映画株式会社/監督:小川和久/脚本:池袋高介/撮影:伊東英男/照明:内田清/音楽:OK企画/編集:フィルム・クラフト/助監督:石崎雅幸/演出助手:井戸田秀行/撮影助手:郷弘美/照明助手:佐野良介/録音:ニューメグロスタジオ/効果:協立音響/現像:東映化学/出演:水鳥川彩・岸加奈子・南悠里・久須美欽一・杉本まこと・野澤明弘・寺島京一)。見るから変名臭い、撮影助手は誰なのか。
 川原の夜景から入つて、妙子(水鳥川)が真赤な天体望遠鏡で御近所の日常を覗く。のを、夫の三田(杉本)が窘め夫婦生活に。シャリバンレッドの天体望遠鏡にタイトルが入る、確かに奥様が覗き好きな一分十五秒が案外磐石。共働きにつき、狭義の“奥様”ではないのだけれど。
 妙子の友人と思しき、ナミ(岸)がワンオペの御馴染「摩天楼」に三田が一人で来店する一方、妙子はといふと職場のカラオケ帰りを、同僚の片岡(野澤)に送つて貰ふ。ノジーなんかに送らせて、この男送らうと迎へ撃たうと狼だろ。公園の青姦カップル(寺島京一と、女は多分三番手の流用)にアテられた、妙子の色香に片岡は火を点けられ妙子の尻に手を伸ばす、即ち覗きに痴漢。脊髄で折り返して怒る水鳥川彩のプンスカした顔があまりにも可愛くて可愛くて、胸が張り裂けるのが当サイト理想の死因。三田家に帰りつきつつ、有無をいはさず押し倒すでなく、なほも片岡が妙子にグジャグジャ執心してゐると、三田も帰宅。妙子が三田をシャワーに放り込んだ間も片岡は居坐つた挙句、妙子を抱いた三田が寝ついて漸く出て行く、ものかと思ひきや。片岡は三田を起こすと半ばどころでなく脅迫、玄関口で妙子に尺八を吹かせる、それでこそ俺達のノジーだ。
 片岡は、実は覗くよりも寧ろ見られることに関心があつた。配役残り、南悠里はそんな片岡の彼女・ミツコ。久須美欽一はナミの不倫相手・西井、目出度く離婚が成立した模様。
 今のところ1990~1993の活動しか確認出来てゐない野澤明弘(a.k.a.野沢明弘/ex.野沢純一にとつて、恐らくキャリア最後期に当たる小川和久1993年第七作。声の張りと精悍な体躯は変らないものの、何故か目尻が下がりぱなしで妙子の従順な後輩ぶつた片岡の造形には若干でもない違和感を覚えたが、徐々にノジカルな傍若無人を発揮、最終的にはらしさを回復する。
 妙子と、やがて妙子が感化される片岡の性的嗜好に初めから焦点を絞つた物語は、素直にシンプル伊豆もとい、シンプル・イズ・ベストな裸映画に直結する。その上で妙子が覗く快楽と、覗かれる悦楽とが同一線上に存在する可能性に辿り着き、かけるのは極めて斬新かつ魅力的な視座ながら、結局スコーンと等閑視。終盤は妙子と三田も西井の別荘に招かれる、当然ナミも交へた四人での小旅行に丸々費やしてのける展開の大らかな無頓着こそが、些末とかいふ言葉を忘れた今上御大のイズイズム。そんな中でも水鳥川彩と岸加奈子に、南悠里を揃へた女優部は超絶美麗のスレンダー・ストリーム・アタックを撃ち抜き、オッ始めたナミと西井の誘ひに、三田先導で応じる形で火蓋を切る締めの濡れ場。高を括つてホケーッと見てゐたら見逃しかねない、当初銘々で並走してゐた乱交が、劇伴起動も合はせたタイミングで何時の間にかスワップしてゐたりする何気な離れ業がフと気づくと驚かされる見所。


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 「制服の告白 処女あげます」(1990/製作:小川企画プロダクション/配給:大蔵映画株式会社/監督:小川和久/脚本:水谷一二三/撮影:大道行男/照明:内田清/音楽:OK企画/編集:金子編集室/助監督:石崎雅幸/監督助手:浜本正機/撮影助手:円城寺哲郎/照明助手:佐野良介/録音:ニューメグロスタジオ/効果:協立音響/現像:東映化学/出演:水鳥川彩・高樹麗・風間ひとみ・工藤正人・山科薫・吉岡市郎・熊谷一佳・小出徹・浜本万造・久須美欽一)。脚本の水谷一二三は、小川和久(現:欽也)の変名。
 小癪にも、トレードマークの高層ビル群をカーテンで隠してゐたりするとはいへ、最早自動的な勢ひで矢張り「摩天楼」(仮称)。カウンターで一人グラスを傾けるルポ屋の北村(久須美)に、漸く他の客を振り切つたママの知子(風間)が応対する。浜本正機の変名とみてまづ間違ひあるまい浜本万造が、最初に久須りんと二人で飛び込んで来る、台詞も一言二言与へられるバーテンダー・ヒロちやん。北村と知子は男女の仲にあり、北村から温泉に誘はれた知子は二つ返事で首を縦に振りかけつつ、二人暮らしの妹を気にかける。とかいふ塩梅で、妹で女子高生のマリ(水鳥川)がえつさかほいさかエクササイズ。両手両足で仰向けに立つた所謂ブリッジの状態での、腕立て伏せを股間側から抜いたジャスティスな画にタイトル・イン。このブリッジ立て伏せが、何気に結構な大技に映る件、俺こんなこと出来ないぞ。水鳥川彩の身体能力が高いのか、単にこの男が死にかけて衰へてゐるだけなのかは冷静に検討しない方向で。
 監督クレジット時に謎の双眼鏡視点になるのに首を傾げてゐると、カーテンの開いたマリの部屋を、いいとこらしい城西大生の工藤正人が双眼鏡で覗いてゐた。兎も角姉と北村との関係を知るマリは、知子を伊豆に送り出すと友人の悦子(高樹)を泊り込みで招く。処女の二人が、一緒に喪失しようと期すのがRCサクセションのバンド名の由来。
 配役残り山科薫は、めかし込んでボーイハントに繰り出したマリと悦子に、声をかける自称“かう見えて”の社長。OLと見紛つた二人が女子高生となると、挿入には二の足を踏む案外ジェントル。ところでどうでもよかないのが、この件で水鳥川彩が着用するボディコンの、殆どガーベラテトラみたいな途方もない肩パッド。私服なのかと苦笑するどころか、それもう、電車とかで並んで座る時邪魔だろ。熊谷一佳は、工藤(仮名)のバイト仲間・片桐。工藤に双眼鏡を貸したのがこの人、又貸しなんだけど。この期に到達したのが、熊谷一佳が栗原良と名前の紛らはしい栗原一良と同一人物。jmdbを鵜呑みにするに、ex.熊谷一佳で栗原一良となる模様。山科社長とペッティングまでの巴戦で別れた後(のち)、マリと悦子は散開して単独行動。小出徹は、マリにぞんざいに声をかけて相手にされないナンパ野郎。吉岡市郎が対悦子、悦子が捕まへるだか捕まつた男。亀甲にフン縛るは写真も撮るはの大狼藉、たとへば清水大敬のポップな陰湿さなり暴力性とは一見遠いものの、陽性の嬉々とした鬼畜、余計に性質(たち)が悪い。
 僅か二年足らずだからある意味当然ともいへ、画面のルックから未だ昭和が終つてゐないかのやうな錯覚に囚はれる、小川和久1990年第十一作、ピンク限定第九作。一歩間違へば腐れかねない知子と北村の長い蜜月に、マリと悦子のロストバージン・ミッション。と、駅で見かけたマリに入れ揚げる、工藤の双眼鏡越しの不純な純情。濡れ場の種には事欠かない反面、それら各々がやがて統合され一つの大きな物語を、成す訳でも最早当然の如くといつた風情でない、なだらかな裸映画。風間ひとみと久須美欽一のコッテリとした絡みと、キャリアの最初期で肢体には幼い硬ささへ残す、水鳥川彩が煌めかせるキュートをうつらうつら、もといつらつらと眺めてゐるだけで、とりあへず成立しなくもない幸運な一作。そんな中でも特筆すべきは、家に来た悦子とマリが、昭和も昭和、七十年代にすら届かないゴーゴー音楽を鳴らしながら、半裸でピョンピョン踊り狂ふグルッと一周した天才的なシークエンスの、形容し難い多幸感。束の間で茶を濁さずに、割と暫し尺を割いてみせるのも好印象。もう一点が、知子と北村は伊豆に行くだとか評して、基本風呂場か床の間、何れにせよ屋内から動きもせず、挙句に帰京してからの話かと思ひきや、思ひきりそこら辺の川原なのに、臆面もなく伊豆面で撮影してのける小川欽也の天衣無縫な無頓着こと、当サイト提唱のイズイズム。現代ピンクが辿り着いた穏やかな桃源郷・伊豆映画を起動させる遥か以前の、未成熟な伊豆愛が窺へるのが感興深い。


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 「はめられて」(1991/製作:小川企画プロダクション/配給:大蔵映画株式会社/監督:小川和久/原案:三条まゆみ/脚本:池袋高介/撮影:大道行男/照明:内田清/編集:金子編集室/音楽:OK企画/助監督:石崎雅幸/撮影助手:青山弘・伊東仲久/録音:ニューメグロスタジオ/効果:協立音響/現像:東映化学/出演:小川真実・水鳥川彩・織木かおり・武藤樹一郎・久須美欽一・工藤正人・太田和幸・姿良三・熊谷一佳・小出徹・鳥羽美子・野上正義)。出演者中、織本でなく織木かおりは本篇クレジットまゝ。同じく姿良三は、小川和久(現:欽也)の変名。
 シャワーを浴びる妻の美子(織木)から呼ばれ、三村健二(武藤)も風呂場に入りオッ始める。乳を揉まれるバストショットに、まるで怪談映画のやうな仰々しい劇伴を鳴らしてタイトル・イン。新進ミステリ作家である三村の仕事場は、未だ団地住まひのダイニングキッチン。やれテレビ、やれ講演会と急増した執筆以外の仕事に三村は嬉しい悲鳴をあげつつ、燻るのも通り越し荒れてゐた三年前を回想する。客とホステスといふ形で出会つた、無軌道な女・香山―加山とかかも―明美(小川)。ピストルはアタシが処分するだ、誰にも見られてないだの物騒な会話も飛び交ふ絡みは中途で端折る。ヤクザに殺されたとかいふ噂もあつた明美はところがどつこい生きてゐて、サラ金の利息代りと称して久須美欽一に犯されてゐた。久須りんが辞した流れでテレビを点けた明美は、出演する三村を見て驚く。問題の三年前、三村は明美の手引きで、改造銃を得物に強盗目的で丸安ビルに侵入。ところが秒殺で見つかつた警備員(太田)を、ものの弾みと思ひのほかな殺傷力で三村は撃ち殺してしまつてゐた。
 配役残り熊谷一佳・小出徹・鳥羽美子は、ホスト二人と豪遊する女。工藤正人が、三村から毟り取つた金で明美が買ふか飼ふホスト・アキラ。熊谷一佳と小出徹に鳥羽美子に話を戻すと、二度ある出番は何れも三人越しに明美とアキラを抜くためだけの、純然たる置物要員。そして、ある意味でのハイライト。アキラ相手に明美が爆裂させる史上空前に煌めくツンデレが、「アンタはドジだけど、モノだけは立派なんだからあ」。よしんばその一言のみであらうとも、小川真実にさういはしめさせた今作には確固たる意味があつたと思ふ、異論は認める。
 気を取り直して水鳥川彩は、アキラの情婦。裸映画的になほさら地味に際立つ難点が、代り映えしない室内での絡みがおまけに画面のルックまで変らないゆゑ、アキラと水鳥川彩の情交から三村家の夫婦生活に繋げた際、体位移動に一々暗転したのかと軽く混乱させられる。声―と背格好―で判断するしかない姿良三は、三村家に原稿を貰ひに来る編集者、首から上は満足に捉へられない。満を持して最後に大登場、後述する画期的な構成を頑丈に支へ抜く野上正義は、明美殺害事件を捜査、するかのやうに装ふ刑事、刑事は確かに刑事。
 どうもjmdbが、織本かおると織本かおりを混同してゐるのではないかといふ疑念に基づいての、小川和久1991年第三作。織本かおる川上雅代に改名後、五年のブランクを経てひよつこり復帰してゐるかの如くjmdbに記載されてあるのは、案の定織本かおりとのコンフュージョン。また本クレが御丁寧に横棒を一本忘れて織木にしてゐるとはいへ、一目瞭然、三村の嫁役は紛ふことなき織本かおるである。
 成功した男が、過去を知る女から強請られる。尤もその、脛の傷がデカ過ぎて感情移入なり擁護する気にもなれない、ほぼ全員悪人なアウトレイジ・ピンク。明美に虐げられ爆ぜるアキラは、明美曰く二人ゐる“何でもいふことを聞く男”の自分でないもう一人に、明美殺しをヒッ被せようかと思ひかける。色んな男が殺したくなる女、といふ魅力的なサスペンスには、必ずしも発展しないものの。二度目の水鳥川彩との絡みを経て、アキラが自首しての残り十分。女の裸を僅かなインサートの誘惑さへグッと我慢、ガミさんと武藤樹一郎の丁々発止で乗り切る、凡そ小川欽也の映画とは思へない大胆な構成には吃驚した。中身も一難去つてまた一難、一人の悪党が退場したかと思へば次の悪党がやつて来る、無間地獄展開にそもそもな悪党が豪快なクロスカウンター。いはゆる持たざる者の強み的なテーマにも辿り着き、普通に面白く見させるのが直截にいへば予想外。元々の原案が秀でてゐたのか、膨大な主演作を撮つた三条まゆみの叩き台に、今上御大がイズイズムも捨てる余所行きの意欲を見せたものかは判らないが、時期的な特徴なのか無造作どころか無作為な画面の暗さには目を瞑ると、ぞんざいな公開題に反しなかなかの一作である。


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