電脳六義園通信所別室
僕の寄り道――電気山羊は電子の紙を食べるか
【チケットの払い戻し】
2020年3月24日
【チケットの払い戻し】
イベントが次々に中止や延期になって日本中てんやわんやだけれど、わが家にもとうとうこんなメールが来た。
4月21日(火)に武蔵野市民文化会館において
開催予定でした「アロド弦楽四重奏団」は、
出演者が居住するフランスを含む欧州からの渡航者に対する、
日本政府による14日間の待機要請及び査証の効力を停止する措置のため、
中止させていただくこととなりました。
忘れないよう早速チケット同封で払い戻し手続きの封書を書いた。ほとんどのイベントが取りやめになって職員はその尻拭いで大変だろうと思うので
「ウイルス禍お見舞い申し上げます」
という書き出しの一筆箋を添え、赤色超巨星ベテルギウスの切手があったのでドーンと貼っておいた。
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【もう出るもう出る】
2020年3月24日
【もう出るもう出る】
スーパーマーケットの女性客と女性店員が
「もう出るもう出るって言ってるのにぜんぜん出ないわね…」
と大声で話している。
全力で増産をしていると言われながら店頭で見かけないマスクの話かとおもったけれど、「もう出るもう出る」に切迫感があるのでトイレットペーパーの方かもしれない。
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【不識】
2020年3月24日
【不識】
『禅の友』の4月号が郵便受けに届いていたのでページをめくったら今月の「禅の言葉」は「不識」で思わず「不織」に空目した。
インドからやってきたダルマに梁(りょう)の武帝が「お前さまはどなたかな」と尋ねたら「不識(知らん)」と答えたという。深い話である。「私」はダルマという名前で世間の人たちからダルマと呼ばれるものですと答えることはできても、ダルマと呼ばれるものの内側から生じている 〈私〉 がなにかを伝えるのは難しい。本質と実存。「〜である」と「〜がある」。
昨夜は地方出張帰りの人が読書会にやってきて、箱入りのサージカルマスクをテーブルにポンと置いて「マスクが必要な人はいますか?」と言う。出張先の地方都市では店頭で手に入るそうで、東京から来たのなら持っていけと言われてもらったという。それで「不織」に空目したのだろう。ウイルス感染禍は収束してほしいが、物の奪い合いはやめたい。
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【年歯】
2020年3月24日
【年歯】
「年端もいかない」というときの「としは」は年歯とも書く。漱石も年歯と書いている。そもそも歯には年齢の意味があり、幼い牛馬では一年で一歯が生えることから歯数で年齢を数えると言われ、それが年歯だ。
それでは年端と書く方の端は何かというと陰暦の正月を年端月というので一年区切れの端っこだろう。年齢である「としは」は生えた歯で数えるか、迎えた正月の数で数えるかで、年歯だったり年端だったりする。
正月を迎えた回数で年齢を数える年端は、「生まれたその瞬間を『1歳』ではなく『0歳』とする数え年である」といえる。
早朝の町に目を凝らすと朝日の中で若葉がぐんぐん萌え出している。
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【珈琲パチット】
2020年3月23日
【珈琲パチット】
一日に何杯も珈琲を淹れる。自分の分だけじゃないので、何杯を何倍も淹れる。
最近は面倒がらず蒸らしを入れて丁寧にハンドドリップしたいので、一杯分ずつ豆を挽いて、カップ一杯用のペーパーを使って淹れている。手軽なのでやめられない。
ウイルス対策に珈琲の意外な効能…などというデマが飛んで、ペーパーが手に入らなくなったりしたら困るなという妄想が湧いたので、Amazon の確定ボタンをパチッと押し、当座の 200 杯分を注文した。
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【六義園しだれ桜・見頃】
2020年3月23日
【六義園しだれ桜・見頃】
平日なので六義園は空いている。
天気予報に反して六義園内は小雨が降っている。
桜を見る人々の後ろ姿はいい。
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【大相撲春場所千秋楽】
2020年3月23日
【大相撲春場所千秋楽】
無観客で行われた大相撲春場所が終わった。場所中は毎日録画し夕食時に楽しみに見た。どんな千秋楽になるか心配していたけれど、統率のとれたみごとな締めくくりに感動して泣けた。理事長挨拶も立派で、大相撲って良いものだなと再認識することで相撲ファンも増えたのではないか。
自分が小学生の頃は子どもの遊びでも相撲が盛んで、小学校の休み時間は砂場で輪を描きみんなで相撲を取った。放送中に視聴者の応援メッセージが紹介されると、学校が休みのせいか子どもたちからのものも多かった。最後の最後まで厳かに感動しつつ見たので、彩度をいじりすぎてけばけばしく「考証に基づいて」などととんでもない言い訳をいう大河ドラマは見過ごした。美しい千秋楽の映像は消去禁止にして保存版にした。
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【昼飲みする人々】
2020年3月22日
【昼飲みする人々】
カメラマンと編集者の友人夫婦から
「綾瀬です。常連の老人ぐるーぷが去り静かになりました。トンカツが名物のよーです」
という写真付きメールが届いた。携帯が壊れて iPhone になったという。
日曜日なので昼間っから「町中華で飲ろうぜ」をやっているらしい。
羨ましい。
「今日で式守伊之助の『こなはたあ〜、かくふりゅう〜、かくふりゅう〜』という宮中歌会始めみたいな声が聞けなくなると思うと寂しい。白鵬が三三七拍子をやらかさないことを願う」
と返信しておいた。
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【ファイル三島由紀夫】
2020年3月22日
【ファイル三島由紀夫】
ライプニッツは真理を、理性の真理と事実の真理の二種類に分類した(永井均『私・今・そして神 開闢の哲学』講談社現代新書)というのを読んで、三島由紀夫が例に引かれた話に笑いながら、パソコンファイルの「属性」を思い出した。
属性には英語で言うとアトリビュート(attribute)とプロパティ(property)がある。アトリビュートはファイルの拡張子で区別される作成元となるソフト、「.doc」ならばワード、「.xls」ならばエクセルと紐付けされており、作成者によるファイル名がつけられている。これが「理性の心理」にあたるものにうまく対置できる。
三島由紀夫というファイルは三島由紀夫というソフトウェアによって作成されたファイルでその独自の拡張子がつき、ファイル名も「三島由紀夫」であると宣言されている。そのファイルの詳細情報は Mac ならマウス右クリックして「情報を見る」を選択すると、何年何月何時何分に作成され、最後は何年何月何時何分に修正保存されたものという記録が「神様」によって書き込まれ、生年月日と割腹自殺した日付がちゃんと一致している。中身は三島由紀夫が生きることによって作成されたデータがそっくり書き込まれているので相当な容量があることも表示されている。こういう情報をパソコンではプロパティといい事実の真理に対置できる。
人は他者についてアトリビュートとプロパティを組み合わせた「属性」によって、外側から概略的に知ることができる。だが肝心の中身、ファイル「三島由紀夫」が生きた 〈私〉 がどうなっているかはファイルの作成ソフトである三島由紀夫というソフトウェアがなければ閲覧することができない。作成したソフトでしか開けない。解析ソフトでこじ開けて情報の成分を調べても意味不明な数字とアルファベットが延々書き込まれているのが見えるだけで三島由紀夫に還元できるものはなにも出て来ない。しかも三島由紀夫自身によって暗号化されているので解読は難しい。
それでもスーパーコンピュータによる解析の結果「三島由紀夫ソフトウェア」が完成する日が来る。「ファイル三島由紀夫」閲覧希望者である石原某からまず「石原某ソフトウェア」を外付けハードディスクにコピー保存し石原某自身を初期化して「三島由紀夫ソフトウェア」をインストールする。「三島由紀夫ソフトウェア」をインストールされた石原某が「ファイル三島由紀夫」をダブルクリックすると石原某は1925(大正14) 年1月14日に三島由紀夫として生まれ1970(昭和45)年11月25日に三島由紀夫として割腹自殺する人生を早送り再生で体験する。中国の故事『邯鄲の枕(かんたんのまくら)』である。
閲覧を終えた石原某から「三島由紀夫ソフトウェア」がアンインストールされて「石原某ソフトウェア」が書き戻される。技術者が
「お疲れ様でした、『ファイル三島由紀夫』を閲覧されたご感想はいかがですか」
と聞かれた時、石原某はどんな感想を述べるのだろうか。そもそも石原某に戻った石原某は三島由紀夫体験を想起できるのだろうか。
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【筆づくし】
2020年3月22日
【筆づくし】
土筆と書いても土でできた筆ではない。ツクシは土が空に字を書こうと地中から差し出した筆のように見える。そろそろ土から筆が出る頃かなと思い、自分の日記を検索したら、清水区大内の北街道沿いでツクシ見つけたと『北街道のツクシ』と題して書いていた。2012 年 3 月 30 日のことだ。暖冬だったのでこの春の筆下ろしはもうそろそろだろうか。
|北街道沿いのツクシ|2012年3月30日|
ツクシが土の筆と書いても粘土細工でないように、筆が走るとは筆に足が生えるわけではなく、筆が立つも同様であり、筆が滑ると言っても転ぶわけではない。書き疲れても筆が泊まるわけではないし、筆休めと言っても楽な姿勢をとれと言っているわけではない。筆を起こすのも朝がきたからではないし、筆を運ぶのは届け物だからでもない。
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【六義園しだれ桜・見頃】
2020年3月21日
【六義園しだれ桜・見頃】
今朝の六義園正門前。こんな社会情勢なのだから、杓子定規なやり方で行列させたりせず、さっさと開門して入園させてあげればいいのにと思う。たかだか10分早めるだけである。
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【六義園閉園時刻】
2020年3月20日
【六義園閉園時刻】
今日の六義園は染井門も開いたせいか入園者が多かった。これだけ人が集まるとちょっと心配だねと話をし、
「入園者を見るとやっぱり高齢者が多いわね」
と妻が言うので
「高齢者は命知らずだからね。そこが危ない」
という話をした。
午後五時を過ぎ、六義園は無事閉門した。
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【六義園しだれ桜・見頃】
2020年3月20日
【六義園しだれ桜・見頃】
六義園しだれ桜は見頃になった。春分の日ということで開演前から長い行列ができていた。
入園者も、正門前から見える富士山も白いマスクをしている。
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【 〒 と 卍 と創発】
2020年3月20日
【 〒 と 卍 と創発】
郵便マークの「 〒 」は「ゆうびん」と入力すると変換される。郵便マークの「 〒 」はきっと切手の「 テ 」だろうと思い込んでそのままになっていたが、逓信省の「 テ 」だった。
逓信省が電信電話と郵便に業務分割され、分割された当時は相互の分担が入り組んでいたので、電話局と郵便局は隣り合っていることが多かった。そういえば子どもの頃、郷里清水市相生町でも郵便局と電話局は隣り同士だった。
寺をあらわす「卍」である「まんじ」は交わりを連想してそのまま「まんじわり」的に訛った記憶になっていたが、ビシュヌ神の胸毛の「つむじ」を記号化したという説がある。
たしかに毛深い男性の胸毛は台風のように渦を巻いて発生している。外人の胸毛は万本もありそうなので「万の字」が「まんじ」であるというのも、そうかもしれないなと思う。
記憶はそういうガラクタ的な思いつきが集まってできている。思いがけないものが集まって別なものが生まれる作用を「創発」という。
日本語の術語は覚えにくいので「創発」は何を訳したのだろうと原文を調べると emergence でエマージェンスの「エ」は「ex」だから「外へ」、マージェンスは「マージ(merge)」と同根だから、合わさった中から別の作用が飛び出すんだな、とまた適当に覚える。
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