◉砂糖餅

2018年4月15日
僕の寄り道――◉砂糖餅

静岡の友人に、富士川沿いの地域で「砂糖餅」という郷土菓子が売られていると聞いたので、調べてみると日本各地に似た餅菓子があり、同じ名前で呼ばれているものもある。

昨年末に青森のお坊さんが八戸の朝市で買って送ってくれた食品の中にも砂糖餅とよくにたものが混ざっていた。北の地域にまで同じようなものが分布しているのが面白い。

録画してあった『秘密のケンミンSHOW』を見ていたら、北海道にも同じような餅があって「べこ餅」という。新粉餅に砂糖を加えて柔らかみを持たせるところは同じだけれど、白糖と黒糖ツートンの餅を合わせて木の葉型にしてある。

『秘密のケンミンSHOW』を見ながらとったメモ

三毛猫ならぬ白と茶色の二毛牛がいるのだろうかと思い、夕食どきに『ごはんJAPAN』を見ていたら八王子の磯沼牧場で飼われているガンジー牛が映って「あ、これだ」と思う。しかし北海道のべこ餅の語源がガンジー牛だというのも無理があると思い、「べこ」が牛ではなく「米粉(べいこ)」からきているのではないかという説を読んでなるほどと思う。

『秘密のケンミンSHOW』の中に登場した道民は、べこ餅は本州の和菓子屋で「素甘」と呼ばれる和菓子と同じだと言っていた。

全国の砂糖餅ということで郷里清水に戻って調べてみると、由比の春埜製菓に「たまご餅」という名物があり、昨年買いに寄ったら売り切れだった。たまご型をしているのでその愛称で呼ばれるようになる前は砂糖餅だったという。

「たまご餅」は中に餡が入っているそうで、他地域にも餡入りの砂糖餅があるらしい。ということは郷里清水で食べられる「ちいちい餅」もまたその系統になるかもしれない。(2018/04/15)


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◉木の名前、人の名前

2018年4月14日
僕の寄り道――◉木の名前、人の名前

年度末仕事が忙しいのを理由にして老人ホーム面会を二週間さぼったら、義母の居室に面した雑木林が緑の木の葉で覆われていた。

たくさんぶら下がっていた花序、ベランダ近くまで差し伸べられた枝の木の葉、そして樹皮の様子からして、これはイヌシデを中心とした雑木林らしい。

イヌシデは樹高 20 メートルにも達するそうで、各地に天然記念物指定された古木があるという。この雑木林のイヌシデも3階ベランダからイナバウアーで見上げる遥か頭上に枝を広げており、鳥たちのさえずりが聞こえるので望遠レンズでのぞいたら、先端の若葉をついばんで枝を裸にしていた。

義母と同じユニットで食事をしている女性は、若い頃はおしゃれな美人だったらしく、六本木で遊んでいたと自分で言っており、妻はこっそり「六本木の遊女(あそびめ)さん」と呼んでいる。

先日お誕生日会があったそうで残された飾りつけを見たら、なんと義母と同い年の 89 歳だった。若々しくてそんな年には見えない。誕生日は自分の好きな昼食を注文できることになっており、その日はにぎり寿司をとってもらい、シャリを残してネタだけ追い剥ぎして食べていという。

さすが「あそびめ」と感心した妻が誕生祝いに声をかけたら「誰の?」という顔をされていたという。美人で元気だが認知症が深い。名前を見たら尚美という洒落た名前で 、NHK「LIFE!」西田尚美の麵紀行を思い出した。(2018/04/14)


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◉モグラの眼

2018年4月13日
僕の寄り道――◉モグラの眼

手塚治虫だと思うのだけれど、幼いころ誰かの持っていた漫画を読んでいたら、地中を自在に掘り進む地中戦車が出てきた。モグラのような潜水艦ならぬ潜土艦で、こういうのを街の下で自由に乗り回せたらさぞ楽しかろうと子どもらしい夢を見た。

東京のチベットと泉麻人に笑われた文京区内に 1991 年、地下鉄南北線が通り、駒込も六義園染井門前にぽっかりモグラの穴があいた。

東北大震災翌日には、動かなくなった JR をあきらめて穴にもぐり、南北線から相互に乗り入れている埼玉高速鉄道経由でモグラになり、終点浦和美園駅まで行って這い出した。初めて見る埼玉スタジアム2002にも驚いたけれど、帰宅難民となって震災翌朝やっとここまでたどり着いた群衆にも驚いた。終戦当日を実際以上の晴天だったと記憶している人が多いというが、震災翌日もまぶしいくらい陽光にあふれていたような気がする。咄嗟に国際興業が動かしてくれていた臨時バスに乗って、義母が暮らす老人ホームまで行くことができた。

霞ヶ関にて

六義園染井門前のモグラ穴は思いがけない場所につながっていて、永田町駅から這い出したら国会図書館脇に顔が出せるので初めての時は大喜びした。溜池山王駅で首相官邸下に這い出せば霞が関官庁街での仕事も苦にならないので嬉しい。

霞が関で手伝っている本の校正をしていたら、歳上の友人が辛そうに目を瞬(しばた)いており、聞けば白内障が進んで手術と決まったという。友人たちにも白内障手術を受ける者が増えてきた。昔なら名医を求めて遠出をしたものだけれど、今では「仕事が忙しいから駅前の眼科でやってもらっちゃった」などと言う友人もいる。

「明るく鮮明に見えるようになって、もう一度あたらしい世界に生まれて来たようで爽快、早く手術を受けときゃよかったってみんな言ってますよ。大丈夫!」と励ましておいたが、本人はやはり怖いものらしい。それはそうだろう。

霞ヶ関にて

トンネルの向こうがここより明るいわけではない。けれど、母親の胎内から生まれたときすでに、人はモグラのように這いつくばってさえ、穴を抜けることで世界を明るく感じるチカラを、一生のお守りとして持たされているのだろう。(2018/04/13)


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◉便利屋の時代

2018年4月12日
僕の寄り道――◉便利屋の時代

静岡県清水で過ごした高校生時代、通学路に面して場末の小さなカメラ屋があった。いつもおばちゃんがひとりで店番しており、たまたま写真用品を買いに入ったら、店にはないけれどなんでもすぐに取り寄せて、なんでもみんな二割引にしてくれるという。

写真用品に限らず、なんでも取り寄せて、なんでも二割引だというので、母親を連れて行ったら、「じゃあ自動車も二割引で買えるの?」と聞き、おばちゃんが「もちろん!」と答え、大笑いして意気投合し、よくその店で買い物をした。

どうしてそんな商売ができるのかと聞いたら、便利屋が毎日回ってくるので注文すればすぐ持ってきてくれるのだという。店番をしていたら仕入れに行けない、仕入れに行ったら店が開けられない、そういうじじばばショップが商売できる秘密は便利屋の存在だったのかと感心した。

最近はインターネットでの買い物が多い。
日常生活用品を商う店は自動車で行く大型店しかなく、わが家には自動車がなく、近所の個人商店は、ない商品の取り寄せを面倒臭がるからだ。近所の店にケース単位でいいから取り寄せて欲しいと頼んだら、奥さんは「もちろん喜んで」と引き受けてくれたが、旦那が「面倒臭いから嫌だ」と言う。それ以来その店で買い物をしなくなったら、いつのまにか店をたたんでしまった。客が減ったのか、商売自体も面倒臭くなったのだろう。

ネット注文した商品の発送通知がとどいたので、佐川急便お荷物問い合わせサービスページを開いたら、「便利屋を営む方」という広告が表示されて驚いた。

ネット通販の時代になっても便利屋は健在なのかとクリックしたら、現代の便利屋はこんな商売をしているらしい、

●家庭内の掃除●障子・襖・網戸の張り替え●家具の移動●ベランダの改修●雨樋の修理●塗装工事●遺品整理●庭木の剪定●生垣の刈り込み●植木の消毒●花壇作り●除草●特殊清掃●落葉拾い●刃物研ぎ●留守番●犬の散歩 ●ハチの駆除●倉庫の整理●ワープロ・パソコンによる原稿作成・編集・文書校正●買い物の代行

たしかに何でもありで便利な商売だけれど、昔の便利屋とはちがう。元々がそうだったのかと辞書を引いたら、

べんり‐や【便利屋】
伝言・配達や品物の調達などの雑用を手軽く引き受けるのを職業とする者。

と書かれていて安心した。インターネットで買い物すること自体、客が便利屋に直接注文することに近いのだろう。(2018/04/12)




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◉「わたし」と内部と外部

2018年4月11日
僕の寄り道――◉「わたし」と内部と外部

昨日まで読んでいた本の続編を読みかけて思う。Autism(自閉症)という言葉の幹には Autos という言葉があって自我だという。Autism という呼び方をされる人には自己同一化の希求があるという。

その本の著者もそうで、心の中にまったく性格の違う「わたし」がふたりいて「ほんとうのわたし」(内部)が直面するこころの危機に、「わたし」(外部)がつける仮面となって「わたし」(内部)を守ってくれていた。そのことの個人史を綴ったものだった。

ほぼ読み終えかけて最後の「終わりに」と「エピローグ」にさしかかったら読書の捗(はか)が行かなくなった。書き手がそれ以前と別人に思えたからだ。

「終わりに」と「エピローグ」以前の著者と「それ」以降の著者との違いは、本人も言っている通り、二つの仮面を演じていた内部の「わたし」たちが消え、ただひとりの「わたし」になれたことなのだ。それこそ彼女が希求した世間並みで定型な「わたし」なのだ。そういう「わたし」が「終わりに」と「エピローグ」でまとめをしている。

そういういくつもの仮面の統一を成し得た著者が「終わりに」と「エピローグ」を語り始めたとき、この著者は油断ならないぞという身構えが読んでいる側の自分に生じたのだ。だから今までのように読み進められなくなった。「用心しろよ、このドナはいままでのドナじゃないぞ」と。彼女はかつて自分が恐れつつ希求した「世間的な定型の側」に立つことで、他人を恐れさせる「内面が読めない人たち」の側に立ったとも言えるのだ。

ふと振り向くと、食堂の窓ガラスの向こうから、何人かの先生たちがこちらを見ていた。あら、とわたしは思った。あら、今ではあの人たち(あの人たちに傍点)、ガラスの向こう側ガラスの向こう側に傍点)にいる。(ドナ・ウィリアムズ『自閉症だったわたしへ』より)

ふと思うところがあったので続編の読書を中断し、小児科医平岩幹男が自閉症について書いた本を読み始めた。

   ***

忘れないようにメモしておくと、終わりから始まりへと人生を逆に生きなければならなかったあの作家も、思索に引きこもって内部の「わたし」と外部の「わたし」について深く探求を続けたあの評論家も、大ざっぱに言えば「自閉症スペクトラム」の上にいたのではないか、だから自分は彼らが妙に好きなのではないかと思えてきた。(2018/04/11)


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◉泣いていた子ども

2018年4月10日
僕の寄り道――◉泣いていた子ども

ドナ・ウィリアムズ『自閉症だったわたしへ』(原題:NOBODY NOWHERE)新潮社を読み終えた。3月27日に古書で届いたと日記にあるので、約二週間で読み終えたことになる。

「本を読んでいるつもりが、全く別の考え事をしてしまい、途中から文字を目で追い、読んでいるはずの本の中身に、別の考え事が置き換わっているということがよくある。子どもの頃からそういう癖があって、大人になってからもよくあるのでとても困る」(2018年4月2日の日記より)という自分にとって、これはおどろくべき速読である。著者はこの本を四週間で書き上げたそうなので驚くには当たらないし、夢中で読み進めずにいられないほどの名著だったとも言えるけれど。

4月6日の日記に書いた「本の構造にもよるけれど、読書を小休止して休憩できる『章や節の切れ目』に栞を挟んで目印にする読書法を見つけた。あと数ページ読み進めると内容の切れ目があって、そこまで集中して読み進めたら、目を閉じるもよし、珈琲をいれるもよし、考え事をするもよし、歩き回るのもよし、自由な休憩のできる場所がある、そう思って集中すると気が散りにくい。」という発見を実践した結果である。他人には驚くには当たらなくても、自分ではびっくりするほどの快挙である。

余勢をかってドナ・ウィリアムズ『こころという名の贈り物 続・自閉症だったわたしへ』(原題:SOMEBODY SOMEWHERE)新潮社を続けて読むことにした。ここまで読んだら休憩しようと区切りのよい地点を指し示す栞は、ちょっと固すぎたので自分で作った柔らかめのものにかえた。

郷里清水で末期ガンになった母親の介護をしていた頃、家の前を毎朝泣きながら登校して行く女の子がおり、道の角では、後ろ姿が見えなくなるまで見送っているお母さんがいた。あの子の中の「わたし」はどんな気持ちで泣いているのだろうと思い、手元にあったスマホで描きとめた光景である。

あれは 2005 年だったので、あの子ももう成人したのだろう。なぜか気にかかって忘れがたい記憶なので、印刷して今も使っている。そんないわくつきの栞なので、少しは読書の励みとなるかもしれない。(2018/04/10)


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◉平成「わたし」合戦

2018年4月8日
僕の寄り道――◉平成「わたし」合戦

自閉症当事者が「わたし」の中から「わたし」について書いた本と、学者が「あなた」を診察しながら「あなた」の中の「わたし」がどうなっているかを想像して書いた本を並行して読んでいる。

福祉関係の友人が多いので自閉症者や高次脳機能障害者や神経学者などが書いた本に読みふけってもとやかく言われることはないけれど、哲学や心理学の本に熱中していると「あいつは病気だから」などと呆れつつ親しみを込めて笑われているらしい。そういう話が聞こえてくる。だがこうまで時代が悪くなると、難しい話は脇に置いておこう、などというわけにもいかないだろう。そっちの方がいい加減にしなくてはいけない。

すべての人は個性がグラデーショナルに異なっていて、言い方を変えればひと続きのスペクトラムの中にすべての人が分布している。郵便局や社会が決めなければ「定型」などというものはない。

「定型発達症候群」という言葉を教えてもらった。定型合戦をして定型でない者を区別したがるのは「社会的な病い」だろう。我が身可愛さ、我が子可愛さで、経済社会における他人との競争に勝たなければいけないと思ったら、否が応でも巻き込まれて罹患してしまうのが「定型発達症候群」なのである。人間はいじましくていたましい。

長いこと人生を生きて、もう競争はほどほどにしようと思えば「定型発達症候群」などというものは自然治癒してしまうものと思いたい。そういう風にして、昔の人は「よい年寄り」になったと思いたい。そうさせない社会の風に負けないように本を読むだけだ。

当事者と学者の本に戻る。当事者の場合は「わたし」が「わたし」について書いているのだから簡潔明瞭公明正大に思えるけれど、実はそうではない。「わたし」の中には別人──この本ではキャロルとウィリーという──の(わたし)がおり、本当の「わたし」を覆い隠すように代弁者となって、「あなた」に対して都合の悪い「わたし」を見せないようにしている。

学者の方は、患者が見せる「わたし」が本当の「わたし」かどうかを慎重に検討しながら、通説とされている判断、自分に都合のよい判断、まったく間違った判断に飛びつかないよう、(わたし)が「わたし」を監視しながら診察を進めていく。

「わたし」を制御する小括弧の(わたし)がどちらにもいるわけで、「わたし」であることを主導する「わたし」とは誰かという、例の「開かれた問題」がここにも出てきてしまう。

当事者も学者も同じ人間としてひとつの「スペクトラム」の上にいるわけで、そういう理解の上で対等に向き合えているときは良いけれど、後者の後ろに「定型のみんな」という後ろ盾が見えたと思えたときが、前者がまたふっと姿をくらましてしまうときなのだろう。虹が消えるのだ。

それは、閉じ込められることへの恐怖、拒絶されることへの恐怖、絶望への恐怖、そして見捨てられることへの恐怖である。そういった感情は、わたしの場合、たいてい楽しいことを話している最中にわき上がってくるのだった。(ドナ・ウィリアムズ『自閉症だったわたしへ』より)

昨夜はNHK スペシャル「#失踪 若者行方不明3万人」を観て、

昼間「ドナ」の著書を読んでいたので、彼女の軌跡と日本の少女たちとがかさなり、定型的な番組づくりが収斂させたいようにとれる方向に、「おや?」と思った。橘ジュン氏の言っていることに妙な狂いがないのだけは、苦しいけどちょっと安心した。

と「SNS」に投稿しておいた。

「わたし」対「わたし」の対決は、タヌキとタヌキの化学(ばけがく)を駆使した化かしあいともいえるのだけれど、そういえば『平成狸合戦ぽんぽこ』の高畑勲さんが亡くなられた。(2018/04/08)


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◉獲得と喪失

2018年4月7日
僕の寄り道――◉獲得と喪失

機能の欠陥や喪失や発達不全による現象には「失」という文字がつけられて「病名」にされたものが多いが、その病名の「失」に反対語の「得」をつけてやると、それもまた病気なのではないかと思う。

個性の放棄を強制されるに等しい人間の「定型」発達も、きっと病気と言わないだけの病気なのだ。アイデンティティの喪失を病気と言うなら、アイデンティティの獲得もまた痛みを伴う病気なのかもしれないではないか。

「普通」という社会性の獲得には社会から強制力が働いており、だから「普通」という社会性の喪失者に対しては差別が生まれる。ドナ・ウィリアムズ『自閉症だったわたしへ』を読んでいて思う。読まなければわかりにくい大切なことだ。学校という場所でなんとか「普通」という群れに紛れ込もうと努力しなくてはならない者の不幸である。

 わたしは、空中の丸を見つめることも、色彩の中に自分の心を紛れ込ませることも、やめてしまった。自分のまわりのものに対する愛着も、失っていった。わたしはわたしの世界の取っ手をなくし始めていた。かわりにわたしの中には、「皆」の持っている奥行きのない安全と、「皆」と同じようなどうしようもない不安定さが、残った。現実の手ざわりとして感じられるものは、自分の憎しみだけになってしまった。そして憎しみを燃やしていない時は、わたしは自分が呼吸をしているのも、わずかばかりの場所を占めていることも、身が縮むほど申し訳ない気持ちになって、いたたまれないようになった。さらにはいたたまれないと感じることさえ、いたたまれなくなっていった。生への否定。生きる権利の拒絶。これが、正常にふるまおうとわたしが努力し続けた結果だったのである。(『自閉症だったわたしへ』より)

併読しているオリヴァー・サックスに出てくるルリアという人の本が読みたくて探したが見つからず、しつこく検索したらルリヤで出てきた。アレクサンドル・ロマノヴィッチ・ルリヤ、旧ソビエト連邦の心理学者である。サックスがひく『こなごなになった世界の男』と題した邦訳は見つからないので、アレクサンドル・ルリヤ『偉大な記憶力の物語――ある記憶術者の精神生活』(岩波現代文庫)を注文した。(2018/04/07)


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◉栞と目当て

2018年4月6日
僕の寄り道――◉栞と目当て

本を読んでいるうちに「文字を目で追いページをめくって読み進めていく自分」とは別に、「本とは関係のない別な考え事に脱線している自分」がいることがある。机の上に本を広げて教科書を読んでいる自分から離脱して、勝手に教室内を歩き回る自分がいるような事態である。本好きの友達に会うと聞いてみるが、そういう傾向のある人は珍しくもないらしい。

程度の差はあれ誰でもそうなら、それはそれでいい、だましだまし読めばいいと思うのだけれど、自分の場合どうしても許しがたいのは、そういう脇道に逸れた自分がしている考え事が、決まって後ろ向きでうじうじとした益体(やくたい)もない考え事であることだ。なんとか本に集中して読書できたらいいなと、落ち着かなくなるたびに思う。

インターネット上で同じ悩みの相談をしている人がいて、親切な一般回答者が、自分の場合読んでいる箇所を指で差しながら読むようにすると、そのことに脳の資源を取られるせいか、考え事による脱線が起きにくいようだというようなことを書いていた。そういう素朴な自己管理方を工夫する人が好きだ。

みるみる緑濃くなる六義園

現代はみな黙読をするけれど昔の人は音読をしたという。音読もひとつの集中法かもしれないと思うけれど、やってみるとちっとも内容が入ってこない。昔の人は音読をしながら内容が理解できたのだろうか。自分にはできそうもなくて、音読しながら全く別の考え事をしている自分を想像したら気味が悪いのでやめた。

今読んでいる場所に挟む紐の栞と、この先の休憩場所を示す紙の栞

本の構造にもよるけれど、読書を小休止して休憩できる「章や節の切れ目」に栞を挟んで目印にする読書法を見つけた。あと数ページ読み進めると内容の切れ目があって、そこまで集中して読み進めたら、目を閉じるもよし、珈琲をいれるもよし、考え事をするもよし、歩き回るのもよし、自由な休憩のできる場所がある、そう思って集中すると気が散りにくい。

近所の小学校の校門脇には外からも見える場所に掲示板があり、毎月子どもたちの「今月の目当て」が大書されて張り出されている。生活も学習も大人の読書も、目当てを定めて「緊張と弛緩の自由」を意識することが大切なのだろう。(2018/04/06)


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◉春のルーティン

2018年4月4日
僕の寄り道――◉春のルーティン

ようやく年度末仕事も一段落し、今年最初の墓参りに静岡県清水へ行ってきた。母も義父もあまりのご無沙汰で呆れていることだろう。

墓参りは JR 清水駅前からしずてつジャストラインバス北街道線に乗り、大内観音前停留所で下車し、セブンイレブン清水大内店で花を四束買い、北街道を折れて山の方へ歩いて保蟹寺(ほうかいじ)裏の墓地に行く。下げ花をし、草をむしり、墓石を洗い、新たな花を供え、線香をあげて手を合わせる。さらに本家、伯父、本家を出た叔母の墓を順番に回って線香をあげ、寺に戻って住職にあいさつし、お布施を渡し、ちょっと世間話をして辞去する。

その後、山沿いの古道を辿って塩田川に出て人道橋を渡り、北街道に戻って大内田んぼ脇の用水にいるアカミミガメにあいさつする。

いつも角の石の上で甲羅干しし、人の気配を察するとものすごい勢いで水中に逃げる。今年も同じように水中へダイビングしたが、水の中に同じような大きさのが四、五匹いたのでびっくりした。一匹ではなかったのだ。

そのあと北街道を押切まで歩き、旧北街道方向に折れ、大内新田老人憩の家に隣接した墓地に行き、曽祖母と叔父の墓に線香をあげる。そして最後に達者でいる能島の叔母を訪ねてご機嫌伺いをする。

なぜか墓参りに関してはそういうルーティンを厳守している。意識しているわけでもないのにそうなってしまうのは、墓参りをルーティンワークとして惰性でやっているからではなく、スポーツ選手が「ルーティン」と言うときのような、精神統一の効果があるからだと思う。だから墓参りを終えると気分が爽快になるのだ。(2018/04/04)


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◉春風

2018年4月3日
僕の寄り道――◉春風

北池袋にある編集事務所まで打ち合わせに行ってきた。
この道をかよって頻繁に前を通るようになるまで、金光教が「こんこうきょう」と読むことを知らずにいた。

山口県出身で元漁師をしていた年上の友人(三好春樹氏の旧友)が来て仕事していたので
「金光教をはじめから『こんこうきょう』って読めた?」
と聞いたら
「読めた」
とこともなげに言う。
「よく『かねみつきょう』って読まなかったね」
といったら
「うん、山口あたりの海辺には金光教の教会が多くて、子どもの頃は『お前は普段の行いが悪いからそういう目にあうんだ。こんこうさまへ行け』って大人によく言われてたから」
と言う。

金光教前を通ったら
「春風に似たるこころを持ちたしと吹く春風に吹かれつつ思ふ」
という歌が掲げられていた。これは深い。

春風のようなこころを持ちたいと心から願いつつ春風に吹かれているなら、それはその瞬間すでに春風のような心を持っているということである。そういう当たり前のようでいてとても大切なところを突いている。

打ち合わせの帰りはいつも椎名町駅まで歩いて、一駅だけ西武池袋線に乗って帰ることにしている。

なんだかこの街がとても好きだなあと、吹く春風に吹かれつつ思う。(2018/04/03)


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◉初期化と再起動と(わたし)

2018年4月3日
僕の寄り道――◉初期化と再起動と(わたし)

「わたしの中には小さいカッコでくくられた小さい(わたし)がいて、その(わたし)がたくさん集まって、カッコでくくられない大きなひとつのわたしができている。」
と昨日の日記に書いた。

コンピュータの画面を見ながら操作しているとき(わたし)はコンピュータという大きな括弧の中にいる。コンピュータの実体はオーエスというものでハードディスクの中に書き込まれている。人はコンピュータの中にいて、オーエスの中にいて、さらにハードディスクの中にいる。

そのハードディスクにアイコンがついて見えるようになっている。そのハードディスクの中にコンピュータという(わたし)が入っている。

試しにそれを選択して消してみようとすると
「わたしがわたし自身を消去することはできません」
という意味の表示が出て操作ができない。なんて論理的なんだろうと感心する。人は、自分で死ぬことができても、死んだ自分を自分で見ることはできない。できるならおもしろいのでやってみる人が増えるかもしれない。

タブレットやスマートフォンには廃棄や譲渡する前にすべての情報を消去する機能があるけれど、工場出荷時に戻るだけで(わたし)がなくなるわけではない。電源を入れれば Android のロゴや林檎マークという所有者以外の(わたし)はちゃんと生きている。次の所有者が基本設定を始めれば、また別の(わたし)が誕生する。

cogito, ergo sum 、「わたしはおもう、ゆえにわたしはあります」と言うときに、「わたしについてそう言っているわたしってなに?」という更に根源的な質問をすることが根源的に可能で、そういうのを「開かれた問題」(Open Question)という。

高次脳機能障害や自閉症当事者で本を書くことのできた人のそれを読んでいると、(普通)と呼ばれる人たちの仲間としての(わたし)になりたいと思う(わたし)が出てくる。「(わたし)になりたいと思う(わたし)」がすでにあったわけで「おや?」と思う。

まず他者という(わたし)を真似てみることから始まるオウム返し、そこから超越論的統覚(わたしというあり方)へ、という努力、生まれた赤ちゃんが次第に(わたし)になっていく過程を意識的にやるわけだ。

ここで意識的にわたしづくりをする(わたし)ってなに?という「開かれた質問」が出てくるけれど、そもそも人間には生まれたときに工場出荷時の基本的(わたし)が書き込まれていて、場所はユーザーエリアである脳ではないのかもしれない。だから人間は初期化と不遇な(わたし)からの再起動が可能なのだ。(2018/04/03)


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◉わたしとはなにか

2018年4月2日
僕の寄り道――◉わたしとはなにか

わたしの中には小さいカッコでくくられた小さい(わたし)がいて、その(わたし)がたくさん集まって、カッコでくくられない大きなひとつのわたしができている。

わたしの中には、本を読んでいるときには、文字を目で追う(わたし)、文字を読み上げる(わたし)、読み上げられたことばの意味を確認する(わたし)、意味のつながりを物語に組み立てる(わたし)、組み立てられた物語を受け取って記憶しておく(わたし)、などたくさんの(わたし)たちがいそがしく共同作業をしている。

それらの(わたし)たちとは別に、仕事を終えたのに居残りしてうろうろしている(わたし)たちがいる。過去のことにくよくよする(わたし)、心配でたまらない(わたし)、深く傷ついている(わたし)、怒りがおさまらない(わたし)、いつまでも恨んでいる(わたし)などの(わたし)たちである。

その居残った(わたし)たちが、読み上げられたことばに反応して、勝手にくよくよや、そわそわや、ズキズキや、イライラや、もやもやしたことをしゃべりだしてしまい、記憶係の(わたし)が混乱して本の物語が途中から、くよくよ、そわそわ、ズキズキ、イライラ、もやもやした考え事に置き換わってしまう。

記憶係がするべき仕事をチェックしている監督係の(わたし)がそれに気づき、慌てて
「はい、ライン止めまーす!」
と言って流れ作業のベルトコンベアを止める。

「いま本を読んでるのに別なこと考えてましたね。だめですよ、いま本を読んでるんですからねー。記憶係が正しく本の中身を記録できていた場所まで戻ってもういちど読み直しまーす」

本を読んでいるつもりが、全く別の考え事をしてしまい、途中から文字を目で追い、読んでいるはずの本の中身に、別の考え事が置き換わっているということがよくある。子どもの頃からそういう癖があって、大人になってからもよくあるのでとても困る。

そういう自分に起きる困った現象を「脳にたくさんの小人がいて…」とお母さんに上手に説明した娘さんの話を読んで感心した。

感心したけれどおじさんなので、小人さんを小さいカッコでくくられた小さい(わたし)に置き換えて書いてみた。こういう書き方をしてみると、「わたしとはなにか」という哲学的なことこそが人生の大問題と感じている人が、カッコでくくられないわたしについて考えるひとつの手がかりになっているように思う。(2018/04/02)


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◉大宮へ

2018年4月1日
僕の寄り道――◉大宮へ

日曜日恒例の老人ホーム訪問。
義母の居室ベランダに出たら裏手の雑木林の芽吹きが驚くほどすすんでいた。

ベランダに黄色い花粉がたまっており、スギ花粉ではないかと思う。

花粉と一緒に、手の届かない梢にあった穂状の花序が飛ばされてきており、手に取ると毛虫のようでおもしらい。クヌギではないかと思うがわからない。

ベランダに最も近い枝も芽を吹いており、こちらは老人ホーム内にある。(2018/04/01)


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