▼明日への日記…1 釣り人とオーディエンス

 

父親が家を出たまま戻らなくなったのが昭和35年頃のことだから、母は30歳以降足かけ45年間の人生を独身で通したことになる。

子持ちの独身と言ってもそこは女なのでボーイフレンドはちゃんといた。
相手は妻子ある男性で、電電公社勤めをしている頃若くして胃潰瘍による胃の全摘出手術を受け、それを契機に退職し、婿入り先が大地主で不動産収入で食うに困らない家なので、そのまま若くして楽隠居を決め込んでしまったという不思議な人だった。

楽隠居といっても膨大な土地を持つ資産家なので、土地がらみの折衝事も多く、財産管理人としての役目で多忙なようで、そういう意味で家族を支えている自負もあるせいか、週末は堂々と家を空けていたらしい。当時はまだ贅沢だったマイカーを駆ってやって来て、東京近郊のドライブに連れて行ってくれ、実の父親のように接してくれたので、いつも週末になるのを楽しみに待っていた。

ドライブの目的と家族への言い訳の一つが釣りだったらしく、トランクにはたくさんの釣り道具が積んであり、良さそうな川や池に出会うたびに三人分の仕掛けを用意して釣りをした。根っからの釣り好きだったようで、母と僕が飽きて釣竿を放り出してしまった後も、日が暮れて薄暗くなって浮子の様子が見えにくく、川の音ばかり大きく聞こえるようになっても、粘り強く川の中に立って釣り竿を振っていた。



さいたま市見沼区の特養ホームにて。認知症治療薬アリセプト服用を停止して貰った義母は、興奮して怒ることもなく穏やかで、大好きなスタバのキャラメルマキアートをおいしそうに飲んだ。


田舎道を走っている最中、小さな川や池を見つけるとちょっと釣りをしてみたいと言い、母が
「こんなところで魚が釣れるはずがない」
というのも聞かず
「ちょっとだけ釣ってくる」
と言って車を止め、仕掛けを用意して釣りを始めてしまうので、母と二人、小一時間かもっと長く、車内で待たされることになった。

結局なにも釣れずに手ぶらで戻るので
「ほらごらんなさい」
と母が笑うと、
「いや、一度だけあたりがあった気もするんだ」
と言い、どうせ気のせいに決まっているとなじられると、
「確かに魚なんかいなかったのかもしれないなぁ」
と苦笑いをしていた。

そうか、実は魚などいないと薄々わかっていながら釣り糸をたれていられるのが釣り人の釣り人たる所以なのかとも思い、大人になるというのは不思議な力を持てるようになるものだと、父親代わりのその人を見て子ども心に驚いていた記憶がある。自分が大人になってみると、たとえ誰も返事をして応えてくれないとわかっていても、自分が言いたいことを真摯に話したり書いたりして伝えようとすることがコミュニケーションの原点であり、釣りはそれを学ぶためのよい練習だったのかもしれないな、と思うようになった。



去年の夏はすでに誤嚥性肺炎を繰り返し起こした義父が入退院を繰り替えしており、やはりこんな風に暑い夏だったなと思う。特養ホーム訪問帰りの京浜東北線車中にて。


そして、不思議な男性の当時の年齢を自分が超えてみたら、「たとえ誰も返事をして応えてくれないとわかっていても、自分が言いたいことを真摯に話したり書いたりして伝えようとすることがコミュニケーションの原点」であるにしても、「そのこと自体」を声に出したり文字に書いたりすることは、やはり誰かに返事をして応えてもらえる可能性、いわば仮想オーディエンスをそこに置いてみずにはいられないわけで、孤高に耐えられない人間の脆さなのではないかと思うようになっている。

どんなに尽くしても添い遂げることのできない自分の愛が、至高のコミュニケーションの形なのだと自分に言い聞かせつつ、夕暮れの中でむなしく竿を振り続ける姿を、あの人はオーディエンスとしての母子家族に見せずにはいられなかったのではないかと思う。

 
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