電脳六義園通信所別室
僕の寄り道――電気山羊は電子の紙を食べるか
▼浅草でお星様になってみる
保育園児だったとき、園で絵本の読み聞かせがあり、その頃の記憶はみんな非常に朦朧としたものなのに、その絵本の読み聞かせは妙に鮮烈に覚えていて、幼児にとってはそれほどに衝撃的だったのだと思う。
「おかあさまは しんで そらの おほしさまに なりました」
というような文章を保母が読み上げ、
「(そうか ひとは しんだら ほしになるのか)」
ということに、幼児にできる程度だけ、慎んでしみじみした。
↑浅草花やしき 2009年3月26日
だがそのしみじみが衝撃的だったわけではなくて、びっくりしたのはその絵本の絵の方で、おほしさまになったおかあさまが、なんと雲の切れ目からのぞくように遺してきた子どもたちを見守っているのだ。
死んでしまった無数の人が、そうやって雲の隙間から地上を見下ろしていたら、見られている方は空に無数の視線を感じて気味が悪いし、見ている方もそんなに近くにこの世が見えたら切ないのではないかと思う。現に、その絵本の内容は、おほしさまになったおかあさまが雲の隙間から見下ろしていると、地上のわが子にかわいそうな状況が訪れるのだけれど、見ているだけでなにもしてやれなくて、切ない思いをするといった悲惨な絵本だった気がする。
↑浅草寺と五重塔と花やしきの見える夜景 2009年3月26日
友人一家が花見を兼ねて上京し、宿泊は浅草ビューホテルにしたというので、『駒形どぜう』に誘って食事をしたあと、奥さんと息子を送りがてら部屋の中を見せてもらった。
たった今歩いてきた浅草の町が夜景となって眼下に見え、
「(わあ、おほしさまになったみたい)」
と一瞬保育園児時代の絵本を思い出したら、おほしさまになったおかあさまが地上の我が子を見ていた高度は、雲の切れ目どころではなく、このホテルの部屋くらいだったかもしれないな、と思い至ってちょっと酔いが覚めた。
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