【砥鹿神社お日待ち再訪】

【砥鹿神社お日待ち再訪】

 

(『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2006 年 10 月 14 日の日記再掲

 

祖父は相撲が何より好きな人だった。

若い頃は自ら相撲を取ったのかもしれないけれど、物心ついた頃には昔の人が概してそうだったように歳の割にひどく老けており、60 歳にして既におじいちゃん姿だったので相撲の相手をして貰ったことはない。

本家を継いだ叔父は幼い頃から大変な暴れん坊(清水弁で「コマリ」)で身体が小さいくせにひどく相撲が強く、飯田地区子ども相撲の代表として巡業にやってきた大相撲の力士と相撲を取った、というのが祖父の息子自慢だった。「双葉山が清水に来たとき……」と祖父は自慢していた気がするけれど、正確なことは祖父も叔父も他界してしまったのでわからない。

今はもうない本家の物置に立派な優勝旗があり、それは若き日の叔父が相撲大会で優勝して貰ったもので、幼心にも妙に誇らしい気になるオブジェであり、よく持ち出して表彰式ごっこや優勝パレードごっこの道具にして叱られた。

まだテレビ放送が始まったばかりで白黒テレビの頃から、祖父も叔父も大相撲中継を見ながらの晩酌を楽しみにしていた。

きわどい勝負をもう一度見るためにはスロービデオなどないので「分解写真でもう一度」と言われていた時代であり、超コマ落とし白黒スライドショーの中に土俵際の力士の像が浮かび上がり、カメラマンが焚くフラッシュの閃光で肝心なところが見えなかったりするのも深い味わいがあった……、と今になってみれば懐かしく思い出す。

大人たちが楽しんでいる勝負前の仕切りも子どもには長く退屈な時間であり、相撲自体より行事や呼び出しや様々な人たちが時計の部品のように無駄のない動きで働いているのを眺めるのが面白く、「部屋別総当たり」などという言葉を聞き相撲部屋という集団内集団の構造や、巡業という大所帯での旅もまた面白い仕組みだなあと思った。

今思えば相撲のある暮らしというのは巨大テントの家を持って高原を移動するモンゴル遊牧民の旅に似ている。

■静岡県清水原。かつてこの地方を治めた古代いほはら国首長の墓とされている三池平古墳後円部に立つ友人たち。奥の木立は砥鹿神社鎮守の森。清水市街地越しに日本平が見える。
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静岡県清水原の砥鹿神社お日待ちに行ってきた。

昨年の秋、夏に母親を亡くしてぼんやりしていたら誘ってくれる人があって、巨大前方後円墳にしがみつくように隣接した神社で行われる、相撲を中心に据えた幻想的な祭りを見たのだった。

故あって今年は土俵を見下ろす「えらい人たちの桟敷」(友人談)に座って見せていただくことができ、老いも若きも、男も女も、大人も子どもも、すべての参加者が、「時計の部品のように無駄のない動きで働いている」のが面白かった幼い頃の大相撲中継のような、ゆっくりとした時の流れを味あわせていただいた。

■ 12 時間で一周する時計の針が 730 回転して今年もこの土俵を囲むお日待ちの夜がやってきた。
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土俵というのは時計の文字盤に似ている。

大きな文字盤を中心にしてかかわり合う人々が自分の役回りを淡々とこなしていくことでカチコチと正確な仕組みが機能していく。

■去年のちびっ子力士は、地球が太陽のまわりをひとまわりする間に、身体もひとまわり大きくなっている。
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砥鹿神社のお日待ちに行われる奉納相撲。
 
新生児から大人まで次々に土俵に上がる力士たち、行事や呼び出しや土俵まわりの裏方たち、山のような料理を作ったり、たくさんの模擬店を運営する婦人部、農協青年部、蕎麦の会、原クラブ、甚句保存会の人たち、伝統芸能で花を添える人たち、客となって祭りを盛り上げる人たち。誰もが時計の部品になれるように上手に祭りは仕組まれている。

■昨年は豪雨のために聴き損ねた相撲甚句。
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子ども会トーナメント相撲で幼い取り組み相手に怪我をさせないよう、上手な勝ち方ができるまでに育った年長の子どもたち、中学進学を期に土俵入りを披露して子ども相撲を引退していく小学 6 年生たち、現役を退いて「えらい人たちの桟敷」で一杯やりながら地域を暖かい眼差しで見守る高齢者たち。そしてさまざまな事情を抱えて年に一度巡り来るお日待ちの夜を迎えた人たち。上手に仕組まれた祭りの中では誰もが時を共有する旅人になる。

■ため息が出るほど美しい弓取り式。昔の大相撲もこういうのをちゃんとした速度でやっていて、子どもの頃はゆったりと行われる弓取り式が大好きだった。
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大相撲がそうであるように、相撲を中心に据えて人間同士がが一つになるということは、土俵を文字盤とした巨大な時計を力を合わせて動かすことかもしれないし、祭りというのは人生を旅していく者たちの大切な懐中時計に似ているようにも思う。

■今年も良いものを見せていただきました。
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祭りを終え、山里にタクシーを呼びつけるのも興ざめな気がしたので、カチコチという時計の音が遠ざかるのを聞きながら清水市街地の実家まで歩いて帰ったら、所要時間はちょうど 1 時間だった。

煌々と灯りがともる市街地から歩いてわずか 1 時間、山懐で太古からの闇に抱かれた場所に、人力で動く大きな懐中時計がある。

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【あるがまゝに】

【あるがまゝに】

 

(『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2006 年 10 月 12 日の日記再掲

 

10 月 7 日、朝一番で郷里静岡県清水に片付け帰省して、自宅に荷物を下ろして美濃輪の魚屋まで自転車をとばし、旧久能道沿いにある慶雲寺前を通過したら、今日のお言葉は
「あるがまゝに」
だった。

■静岡県清水上清水町。大小山慶雲寺門前の言葉。
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言葉というのは短く切り詰めると、液体が固体に変わるように、詩や絵画や広告コピーや商標名のような力を備えるようになり、「あるがまゝに」はイタリアの「アルマーニ」くらいにブランド力がある。

「あるがまゝに」はブランド力があるので、インターネットで「あるがままに」を検索すると天をつくようなサイトの山が見つかり、太平洋をも覆い尽くすような人の海が、あるがままに生きたい、あるがままの自分を愛して欲しい、あるがままをあるがままに語りたい……と、あるがままに言葉を連ね続けている。

世界を見て言葉でその輪郭をなぞっても、その奥に思索の手を差し入れず、意味をひたすら排除する生き方というのは気楽である。気楽が好きな人にとって「あるがまゝに」はたまらなく魅力的なブランドなのだと思う。

以下「あるがまゝに」ブランドの清水写真帖『清水秋冬コレクション』

【題名】
「窓辺のコンブ」
Madobe no Konbu


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【題名】
「店頭のふかしイモ」
Tentou no Fukashi-Imo

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【題名】
「頭上のクモの巣」
Zujou no Kumo no Su

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だからどうなんだ……ということを考えないのが「あるがまゝに」ブランドの上手な着こなし術である。

 

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【祭りのあとの「らいみん」】

【祭りのあとの「らいみん」】

由比のお日待ちのフィナーレで餅を拾い損ね、おなかがペコペコになって浜田町のベースキャンプに戻ったらラーメン店の夫婦はくたくたになって片付けの最中。

仕方なしに千歳橋を渡り、さつき通りを歩き、波止場踏切を渡り、駅前銀座アーケードを抜け、本郷町から旧東海道に入ってまた由比方向に歩く。


真っ暗な旧東海道沿いに『辻のらいみん』の看板が見えると行き暮れた江戸時代の旅人のようにホッとする。
ホッとしたのでビールを飲んで麻婆豆腐を頼む。
やっぱり「らいみん」の麻婆豆腐はおいしい。


調子が出てきたのでタンメンも食べてしまう。
「らいみん」の麺が僕は大好き。
これまたおいしい。

最近疲れ気味でここまで歩く気力がなくてご無沙汰しているので、店で「おいしい、おいしい」を連発したがここでも「おいしい」と連呼しておく。

従兄と従妹が常連だったと初めて聞いた。

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【祭りのうちそと】

【祭りのうちそと】

 

(『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2006 年 10 月 11 日の日記再掲

ずいぶん昔のことになるけれど、仕事で知り合った女性編集者が郷里への帰省をひどく嫌がっており、どうしてかと聞くと、彼女の実家や親類の人々の間に、集まっては鉦や太鼓を叩き意味不明な言葉を唱えながら夜通し踊る奇習があるのだという。

彼女も若かったので今も故郷を嫌ったままかどうかはわからないけれど、いま思うに、それは踊念仏(おどりねんぶつ)のようなものだったのかもしれない。調べてみたら彼女が生まれ育った四国には踊念仏の風習がずいぶん残っているらしく、郷里静岡でも天竜川沿いに遡るといまでも祭りとして残っているらしいので、一度見に行きたいと思っている。

おどり‐ねんぶつ【踊念仏】
空也念仏のこと。太鼓や鉦を打ち念仏・和讃を高唱する所作が踊るのに似るからいう。時宗の一遍により広まる。(広辞苑第五版より)

踊念仏が芸能化した念仏踊(ねんぶつおどり)こそが盆踊りの原型だろう。遊興化した念仏踊(盆踊り)と踊念仏の大きな違いは、盆踊りが屋外に開いて行われるのに対して、踊念仏は屋内に閉じて行われる。閉じた祭りは彼女に「こんな変なことをしているのはひょっとしたら世界中で実家や親類の人たちだけではないか、その変な人々の一員に自分も取り込まれてしまうのではないか」という恐怖や嫌悪の感情が生じたのかもしれない。

10 月 8 日、郷里静岡県清水帰省中、由比でお祭りがあるから見に来いと誘ってもらった。最近は実家の片づけが佳境に入って日暮れる頃にはくたくたになり「(もうどこにも行きたくないなぁ…)」という気分なのだけれど、馴染みのラーメン屋まで送迎の車が出るというので、断りきれずに出掛けてみたら思わぬ拾いものの体験をした。

■静岡県由比町。駿河湾上に月が出ていた。
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急峻な山裾が駿河湾岸まで迫った難所沿いをゆく旧東海道、その道沿いにある宿場町由比の夜は闇が深い。

海の上に突き出て東名高速が走り、その手前を国道一号線バイパスが走り、さらに手前に東海道本線が走り、そのまた手前に旧国道一号線が走り、もっと手前は急峻な山なので東海道新幹線は仕方なしに由比トンネル内を走っている。

旧国道一号線沿いの一階屋は海側の裏口からみれば二階屋である、という斜面特有の家並みが続き、家々の間に海へと向かう石段がたくさんあっていかにも漁師町らしい。その石段の一つを降りて行ったら旧東海道沿いの家並みに祭り提灯が灯され、そこは明かりの街道になっていた。

■由比町今宿。
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■創業文政元年「いちうろこ」蒲鉾店前。
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明かりの街道に二台の山車が引き出され、街道の両端から中央に向かってきた山車が午後八時半頃中間地点でぶつかり合うのだという。電飾と音響装置を満載した山車の上には裸同然の若者たちが怪異な扮装をして立ち、祭囃子にあわせて怪しげな踊りをしているのを見て「(こりゃ奇祭だ!)」と驚く。

■西からやってくる山車。
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■東からやってくる山車。
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帰郷して日記に書こうと思ったら「(はて、あの祭りは何という名前なんだっけ)」と肝心なことを聞いていなかったことに気づき、由比町の公式サイトにあたればすぐにわかるだろうとおもったのだけれど、「 10 月 8 日に由比で奇祭があります!」などという記載が全くない。「えっ!」と一瞬絶句し、誰かに聞いてみたくて由比の老舗和菓子店のサイトにメールで飛び込んで「あのお祭りの名前は何というのですか?」とたずねたら「お祭自体は『お日待祭典』という小さな地域のお祭です」と教えていただいた。

友人の魚屋も河岸で聞いてくれたそうで
「『今宿』あたりの『お日待ち』ずら」
とのことだった。人びとが日が暮れる頃に集まり潔斎して日の出を拝む行事を日待ちと呼ぶ。潔斎とあるので沐浴して酒肉を慎み心身を清らかにして新たな日が昇るのを待つ厳かな行事なのだ。

農村などで田植や取入れの終った時などに、の者が集まって会食や余興をすること。おひまち。(広辞苑第五版より)

とあるように次第に遊興化したものを清水では『お日待ち』というらしい。郷里ではあちらこちらの神社で膨大な数の『お日待ち』が行われるので、考えてみれば由比にも沢山あるわけで、町の公式サイトでいちいちとりあげて紹介するのは難儀なのだろう。やってみたら面白いと思うけれど。

■二つの山車が郵便局前で向かい合う。
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■山車がぶつかり合い、舞う紙吹雪。
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地域の祭りは地域に暮らす人びとが地域固有の憂さを晴らして新たな活力を呼び戻すための祈りが込められている。観光のためにあるのではないので、余所者がふらりと見に来て祭りの善し悪しを論ずるなどもってのほかだと思うが、いろいろな意味で激しい祭りであるために、この祭りを知っている人びとの感想も様々で面白い。

僕はといえば、久しぶりに祭りらしい祭り、地域という閉じた世界でこそ成り立つ無礼講と呼べそうに真っ直ぐな情念の世界を見て、ああ儲けたなぁと思う。

■人の営為を圧倒するほどの闇がある。
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こういう閉じた世界の祭りを見て「こんな変なことをしているのはひょっとしたら世界中でこの地域の人々だけではないか、その変な人々の一員に自分も取り込まれてしまうのではないか」と思う人間は次第にこの地域から離れ、「この地域に生きるからこそ、こういう祭りが必要なのだ」と思える人びとが地域に残り協力し合って、ちっぽけな地域にしては驚くほど大がかりで情念の爆発をともなう、祭りらしい祭りを維持されている。

祭りとは広義の風土病、その発症と平癒の過程を人為的に造り出して癒す、心の健康維持装置なのだと思う。

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【入江岡暮色】

【入江岡暮色】

清水で大好きな場所のひとつ入江岡跨線橋。

ここから見る清水の夕暮れが好きだ。

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「一番星見ーつけた」と心の中で呟いてシャッターを押したらちゃんと星が映っているが、今こうして見返すと一番星ではないかもしれない。

振り向くと反対側にはギョッとするほど大きな満月が出ていた。

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【富士山初冠雪】

【富士山初冠雪】

 

(『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2006 年 10 月 8 日の日記再掲

 

10 月 8 日。
 
NHK 静岡放送局のローカルニュースをつけたら富士山に初冠雪があったという。
「今朝は静岡市内からも山頂に雪を頂いた富士山がくっきりと見えています」
などといわれると、清水弁で
「どうどう(どれどれ)」
などと言いながらカメラをつかんで見に行きたくなる。

■静岡県清水。入江岡跨線橋から見る富士山初冠雪。
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入江岡跨線橋に登って北東方向を見ると、確かにほんの少しだけ山頂に雪を頂いた富士山が見えて、
「はぁ、秋だなぁ(早いものでもう秋だ)」
という感慨があり、実家の片付けが終わらないまま、また冬へと向かうことになるなと、二日酔い気味の頭もしゃっきりする。

台風並みに発達した低気圧通過の影響で、各地の海や山が大荒れになり、たくさんの遭難者が出た朝である。

■富士山頂を遠望する。
NIKON COOLPIX S4

「ごらんの映像は箱根芦ノ湖から見た富士山です」

という別角度の映像がテレビに映し出されたらまったく冠雪していないので、富士山の「むこっかた(向こう側)」からは初冠雪が見えず、「こっちっかた(こちら側)」への冠雪を、清水から眺めていることになる。
 
ふーっと粉砂糖を吹きかけたケーキのようでもあり、チョコレートの板に「初冠雪」と書いてのせたら可愛い気もする。

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【朝食と塩辛】

【朝食と塩辛】

 

(『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2006 年 10 月 7 日の日記再掲

幼い頃、瓦製造を営んでいた祖父母の家の食卓には必ずカツオの塩辛があり、
「朝、カツオの塩辛で飯を食っておくと仕事で汗をかいても汗が眼に入らない」
と祖父はよく言っていた。カツオの塩辛は労働者の友だった。
 
戦前、戦中、終戦直後にかけての思い出話を聞くと、清水上町あたりの漁師の家ではカツオの塩辛を手作りしており、自転車のカゴに空の一升瓶を入れて遠路はるばる買いに行ったという人が多い。その頃は清水にもカツオの水揚げがあったのだ。

■東海道本線始発列車、富士川鉄橋通過中。
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東京駅午前 5 時 20 分発静岡行きが、下り東海道本線の始発である。

この列車は特急列車の車両を使って運行される普通列車なので乗車券だけで利用でき、ゆったりとしたリクライニングシートに腰掛けて、乗り換えなしで清水駅まで行けるのでとても都合がいい。

この列車に乗るためには JR 駒込駅 4 時 33 分発山手線外回り電車に乗ることになる。そうすると東京駅 4 時 50 分着で、東海道線下りホームに入線している午前 5 時 20 分発静岡行きに余裕を持って乗車できる。その次の駒込発 4 時 59 分に乗って東京駅 5 時 14 分着、階段を駆け足で下って通路を走りホームへ駈け登って 5 時 20 分発静岡行きに飛び込む、という手もあるのだけれど、それだとすでに二人掛け席の窓際が満席であることが多い。

■新蒲原駅到着直前。
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毎週末の片付け帰省、JR 駒込駅 4 時 33 分発山手線外回り電車に乗るためには遅くとも午前 3 時頃に起き出して荷造りをし、身支度を調えなくてはならない。当然寝不足になるので東京駅午前 5 時 20 分発静岡行に乗り込んで腰を下ろした途端にまぶたが重くなって眠ってしまうことが多い。

終点静岡駅 8 時 26 分着のこの列車は、東京駅ホームを離れると時間の経過とともに次第に通勤通学に便利な列車になるようで、乗客が次から次に乗り降りして入れ替わり、8 時 14 分清水駅に到着するまで満席で立っている乗客も多い。

清水駅東口ができてからは江尻船溜まりのある海側の駅前に降り立つのが好きだ。

駅連絡通路を歩いて地上に降り立つとほとんど岸壁にいるに等しいという海辺の駅なので、普通列車 3 時間弱の旅を終えて海風に吹かれて歩くのはとても心地よい。

■静岡県清水、入江船溜まりの漁連丸。
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平日だと魚河岸に隣接して何軒かの食堂が早朝から店を開けており、港や魚市場で働く人達が朝食を食べている。リュックサック背負って入っていくと「おはようございます!」と声がかかるのもまた早起きの疲れを癒し充実感をもたらしてくれる。

『河岸食堂どんぶり君』に入り「マグロの生姜焼き定食」を注文して壁の品書きを見たらカツオの塩辛が無料なので食べたい人は申し出るように、と書かれてあってびっくりした。厨房に置かれた大きな密閉容器の中身がそれではないかと思って見ていたら、案の定お玉でたっぷりよそってくれ、目を見張るように見事な自家製だった。

カツオの身(の欠片)や内臓が大振りに刻んで塩漬けされたもので、何となく部位の形がわかる野趣溢れるものであり、そのくせ生臭みがなくほどよい塩加減で唸るほどおいしい。容器入りで市販されているカツオの塩辛とは味も見た目もかなり違う。

思わず大盛りのどんぶり飯をおかわりするとすかさずマグロ刺身のぶつ切りが一皿サービスで出てきたりするのも嬉しい。

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▼019……甘いブルースと有楽町


静岡県清水市立第二中学にいた大好きな熱血音楽教師は
「ブルース」という言葉が出ると鼻の穴を全開にして怒っていた。

ブルースという音楽の背景には黒人達の苦悩と絶望がこもっているのであり、
歌謡曲で耳にする「~町ブルース」などというのはけしからん、
あんなのはブルースなんかじゃないというのである。
今でも忘れないということは胡乱な中学生にも師の言葉が伝わったのだろう。

昭和29年に結婚した両親はフランク永井のヒット曲
『有楽町で会いましょう』(昭和32年)が大好きだった。

     有楽町駅東南側(銀座口)
     撮影日: 06.10.2 4:11:19 PM
     RICOH
     Caplio GX
     露出時間:1/13
     F値: 2.5

有楽町に来るたびに母が
「あ~なたとわ~たしのあいことば~」
と甲高い裏声で歌っていた『有楽町で会いましょう』を思い出すが
歌の中の「あなたとわたし」が会う場所はどこなのだろうと長年思っていた。

ヒントは「あ~なたとわ~たしのあいことば~」の前にある
「あめもいとしや うた~ってる あまいぶる~~~す~」
にあるような気もするので、きっと東南側のやるせないガード下を連想していたのだけれど、
当時待ち合わせの名所だったのは同年開店の『有楽町そごう』であり
『有楽町で会いましょう』はその宣伝歌だったらしい。
確かに甘いブルースにふさわしいかも。

待ち合わせ場所の謎は解けたけれど、
江戸時代に織田有楽斎の屋敷があったことからこの名前が残ったという有楽町は
どうして有楽斎(うらくさい)にちなんで「うらくちょう」ではなく「ゆうらくちょう」なのだろうか。

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▼018……和光と木村屋


大晦日のNHK 『ゆく年くる年』、銀座四丁目交差点『和光』屋上の大時計の前で
ダークダックスが「蛍の光」を歌う年送りの美しい行事をここに立つたびに思い出す。
そしてわが親たちが大好きなあんぱんの『銀座木村屋総本店』が右隣にある


     撮影日: 06.10.2 4:04:58 PM
     RICOH
     Caplio GX
     露出時間:1/97
     F値: 2.5

この場所とわが郷土静岡県清水を強引に結びつけるなら、
「“キムラヤのパン”でお馴染みの『銀座木村屋総本店』、店頭に掲げられている看板額は山岡鉄舟が揮毫したものなのだそうだ。そして創業者木村屋安兵衛創案、酒種を用いたあんぱんの普及には山岡鉄舟以外に明治天皇、そして清水次郎長・天田五郎など静岡県清水ゆかりの人々が名を連ねているのだという」
と2004年01月21日に自分が書いた日記に書いてある。

【あんぱんと次郎長】

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【100円広場】

【100円広場】

静岡県清水駅前銀座。

前を通りかかるたびに「いいなぁ~」と笑いがこみ上げる大好きな100円ショップ。
その二階の窓に灯りがともり、何か高校の夜間補習でも行われているかのようにも見える。

この100円ショップの名前は昭和38年に舟木一夫が歌ったヒット曲「学園広場」のパロディだと思うのだがどうなのだろう。
だとしたら「いいなぁ~」と思うのだ。



舟木一夫の「学園広場」を知らないとちっとも可笑しくないのだろうが、僕の世代のように真面目に肩組んで学校で「学園広場」を歌ったことのある者には、もしパロディを意識してつけられた店名だとしたらひどく可笑しい。

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【張り子の王国】

【張り子の王国】

 

(『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2006 年 10 月 5 日の日記再掲

パチンコというものに興味を失って久しい。もう 20 年以上パチンコ屋に入ったことがない。

パチンコ屋の惹句によれば「娯楽の王様パチンコ」なのだそうで、最近のパチンコがどういう娯楽になっているかに関して漏れ聞く驚くべき情報から推理すれば、娯楽の殿堂は目も眩むような倒錯感を損なわないよう、まんべんなく音と光を行き渡らせた巨大な祭り張り子内部のようになっているのだろう。

■静岡県清水千歳町、パチンコ『ラッキープラザ』。
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 おやじがパチンコ屋を始めたのは、戦後間もない、まだ娯楽の少なかった昭和二十五年。パチンコ屋といっても、今では想像もできないくらいの小さな店だった。二十坪くらいで、台も二、三十台くらいしかなかったな。市内には、相生町を中心に二、三十店くらいあったかな。どの店も同じような規模だったよ。
 台は今みたいな電動式でなく、一発づつ打つ手打台で、入賞口に一個玉が入ると二個出る台が中心だったんだ。その後、入賞口によって、七個、五個、三個と出玉に変化を持たせた七五三とか、入賞口に玉が入ると十個、十五個、二十個出るというオール十、十五、二十というふうに変わっていったんだ。駄菓子屋や薬局の前には、入賞すると玉の代わりにキャラメルが出る台もあったなぁ。このころは、空調がないうえ、釘を打ちつけてあるベニアの糊が悪かったので、雨の日とか湿度が高い日は、釘が緩んで、よく玉が出てしまって大変だったな。天気予報がはずれた日は、朝早く起きて慌てて釘を狭くしたよ。玉は一個一円、景品にはチョコレートやキャラメル、セッケン、そしてタバコがよく出たよ。タバコは一箱三十円から四十円もしたから、一本、二本とバラにして交換したっけなあ。新生、光、ピース、朝日といったタバコも人気があったよ。(静岡県清水市発行『広報しみず』に掲載されていた「新・まちの思い出」より「パチンコ」) 

友人宅にあった懐かしい静岡県清水市発行『広報しみず』を見せて貰ったら、清水でパチンコ屋を営んでいた母の親友が聞き書きによる回想文を寄せていたことを知ってびっくりした。玉や景品に実体としての重さがあり、店が客の倒錯感維持装置としての「張り子の王国」になる前のお話である。

■静岡県清水千歳町、パチンコ『ラッキープラザ』。中学高校時代、この場所はボーリング場だった。何という名のボーリング場だったかは思い出せない。
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思えば 20 年以上前、母と最後に入ったパチンコ屋が「新・まちの思い出」にある彼の店だったのであり、その店も最近閉じられて更地になってしまっている。そういえばあそこにもここにも、清水の町の思いがけない場所に小さなパチンコ屋があった時代を思い出し、それらは何の匂いかはわからないが、特有の香りと分かちがたい「実体の王国」の記憶として、今も脳内に遺されている。

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【川と人と】

【川と人と】

釣りは嫌いではないのだけれど、いつの間にか釣りをするなどと言う心のゆとりが持てない暮らしになっていた。

そのくせ釣りをする人を見ていると妙に心が安らぎ、心のゆとりも時間のゆとりもないはずなのに、いつの間にか飽かずに眺めていたりする。

■10月1日、入江ハゼ釣り大会にて
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海釣りをしている人より、川釣りをしている人の姿に安らぐのも不思議だ。
海釣りをする人の姿から感じる安らぎもないとはいわないけれど、
川釣りをする人の姿から感じるそれとくらべると、
安らぎというたとえがまずいのかもしれない。

■10月1日、入江ハゼ釣り大会にて
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海を見ている人より、川を見ている人の姿に安らぐのも不思議だ。
海を見ている人の姿から感じる安らぎもないとはいわないけれど、川を見ている人の姿から感じるそれとくらべると、安らぎというたとえがまずいのかもしれない。

川を見ている人の姿というのはたとえ幼児であっても安らぐ。
頭に二つつむじのある子は賢くなると子どもの頃よく言ったけれど、この子も賢い頭をしばし休め、川を見て安らいでいるのだろう。

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【岸壁のテジ】

【岸壁のテジ】

 

(『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2006 年 10 月 3 日の日記再掲

地元塗料メーカーから皆勤賞を貰えるほど勤勉に勤め上げた伯父の数少ない趣味は、早朝の清水港岸壁で釣りをすることだった。

釣り道具一式が詰まった木箱を自転車の荷台にくくりつけ、未明に家を出て岸壁に行き、釣りを終え自宅に戻って朝食を食べてから出勤して行く、ということを会社勤めと甲乙つけがたい勤勉さで日課にしていた。ただそれだけのことでも尊敬に値する大好きな伯父だった。岸壁の釣りでは小アジがよく釣れていた。

■早朝の釣りから帰る人。良い趣味だ。
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■なんとなく亡き伯父を思い出し、自転車片手運転で写真を撮りながら追跡。
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岸壁の釣りをする伯父は釣り竿を用いず、木製の四角い枠に仕掛のついた釣り糸を巻き付けたものを用い、するすると海底近くまで下ろしては手でしゃくり上げ、釣り糸を通して指先に伝わる引きに合わせることにより、上手に小魚を釣り上げていた。

伯父はこの釣り方を「てじ」と呼んでいたので「てじ」と覚えており、同じく清水生まれで海上保安庁勤務の友人にも「てじ」で通じたのでありきたりな釣り用語なのだと思っていた。
 
はて「てじ」というのはそもそもどういう語源でどういう字を当てるのだろうと疑問に思い、「岸壁 釣り てじ」と入力して検索したらトップでヒットしたのは自分のサイトだった。ほとんど情報がないのだ。

■土曜日だから仕事は休みなのかもしれない。
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■清水銀座から大正橋方面に左折していくということは伯父と同じ入江の人なのだろうか。
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「テジ 釣り」と入力して再検索したら東京都世田谷区にある『サンゴ堂』という釣具店のサイトがかろうじてヒットした。『チビムロ用 ムロテジ糸 丸枠付き サンゴ堂特注』という商品を扱っておられ、

チビムロ釣りのときにつかう手釣り用 テジ道糸です。 チビムロはどうしてもバレやすいので水面近くですと、手釣りのほうが確実に取り込めます。

と書かれている。竿を用いない「手釣り」に用いる糸らしい。

記憶の中の岸壁の釣りで、伯父の釣り方だけが風変わりだったのではなく、当時まわりにいた岸壁の人達はみな「てじ」で釣っていたように思う。最近はあまり見かけないのでインターネット上にもほとんど情報がないのだろう。

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▼017……銀座シネパトス


東京都中央区銀座4丁目と5丁目にまたがる三原橋。
銀座という街の中で一番面白いもう一つの「街」の入口。
晴海通りを挟んだ両脇に映画館『シネパトス』と書かれた看板があるのがヒント。

銀座5丁目側入口
     撮影日: 06.10.2 3:26:32 PM
     RICOH
     Caplio GX
     露出時間:1/104
     F値: 2.5

この入口から地下へ入って行くと初めての人は必ず「あっ」と驚く。
こういう面白い場所が残っているから
銀座という街には「ドックンドックン」と暖かい血が通っているようで
街の活力となっている。

銀座4丁目側入口
     撮影日: 06.10.2 4:03:02 PM
     RICOH
     Caplio GX
     露出時間:1/164
     F値: 2.5

内部の写真も撮ろうかと思ったが、
ここから先は生身の身体で入って世界を体験しないと
生きていることの面白味というものはない。

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▼016……東京着陸新橋滑走路


新橋あたりを通過する東海道新幹線の車窓より。

ほんの数年前まで、
郷里に帰省した帰りに東海道新幹線が品川あたりを過ぎ、
東京駅新幹線ホームにカラスが舞い降りるように、
新橋有楽町辺りを速度を落として通過する際、
何とも言えない憂鬱な気分になったのだけれど
最近はそうでもない。こんな景色であっても滅入らない。

     撮影日: 06.10.1 4:15:02 PM
     RICOH
     GR Digital + GW-1(35mm判21mm相当)
     露出時間:1/104
     F値: 3.5

東海道新幹線品川駅が開業して東京駅到着まで一拍の間があるからかしら、
都市再開発で無機的なビル群が車窓と空のやるせなさを覆い尽くすようになったからかしら、
それとも何につけ気がかりだった郷里の母が他界したからかしら……
などと考えるに、そのどれでもないような気もするし、
すべてが少しずつない交ぜになった心境の変化とも思える。

だが一番当たっているのは、あまりに頻繁に帰省と上京を繰り返しているので、
「何とも言えない憂鬱な気分」
などという甘えを含んで湿った感覚が麻痺したのだと思う。

麻痺するというのは良い場合もある。

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