電脳六義園通信所別室
僕の寄り道――電気山羊は電子の紙を食べるか
【祭りのうちそと】
【祭りのうちそと】
(『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2006 年 10 月 11 日の日記再掲)
ずいぶん昔のことになるけれど、仕事で知り合った女性編集者が郷里への帰省をひどく嫌がっており、どうしてかと聞くと、彼女の実家や親類の人々の間に、集まっては鉦や太鼓を叩き意味不明な言葉を唱えながら夜通し踊る奇習があるのだという。
彼女も若かったので今も故郷を嫌ったままかどうかはわからないけれど、いま思うに、それは踊念仏(おどりねんぶつ)のようなものだったのかもしれない。調べてみたら彼女が生まれ育った四国には踊念仏の風習がずいぶん残っているらしく、郷里静岡でも天竜川沿いに遡るといまでも祭りとして残っているらしいので、一度見に行きたいと思っている。
おどり‐ねんぶつ【踊念仏】
空也念仏のこと。太鼓や鉦を打ち念仏・和讃を高唱する所作が踊るのに似るからいう。時宗の一遍により広まる。(広辞苑第五版より)
踊念仏が芸能化した念仏踊(ねんぶつおどり)こそが盆踊りの原型だろう。遊興化した念仏踊(盆踊り)と踊念仏の大きな違いは、盆踊りが屋外に開いて行われるのに対して、踊念仏は屋内に閉じて行われる。閉じた祭りは彼女に「こんな変なことをしているのはひょっとしたら世界中で実家や親類の人たちだけではないか、その変な人々の一員に自分も取り込まれてしまうのではないか」という恐怖や嫌悪の感情が生じたのかもしれない。
10 月 8 日、郷里静岡県清水帰省中、由比でお祭りがあるから見に来いと誘ってもらった。最近は実家の片づけが佳境に入って日暮れる頃にはくたくたになり「(もうどこにも行きたくないなぁ…)」という気分なのだけれど、馴染みのラーメン屋まで送迎の車が出るというので、断りきれずに出掛けてみたら思わぬ拾いものの体験をした。
■静岡県由比町。駿河湾上に月が出ていた。
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急峻な山裾が駿河湾岸まで迫った難所沿いをゆく旧東海道、その道沿いにある宿場町由比の夜は闇が深い。
海の上に突き出て東名高速が走り、その手前を国道一号線バイパスが走り、さらに手前に東海道本線が走り、そのまた手前に旧国道一号線が走り、もっと手前は急峻な山なので東海道新幹線は仕方なしに由比トンネル内を走っている。
旧国道一号線沿いの一階屋は海側の裏口からみれば二階屋である、という斜面特有の家並みが続き、家々の間に海へと向かう石段がたくさんあっていかにも漁師町らしい。その石段の一つを降りて行ったら旧東海道沿いの家並みに祭り提灯が灯され、そこは明かりの街道になっていた。
■由比町今宿。
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■創業文政元年「いちうろこ」蒲鉾店前。
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明かりの街道に二台の山車が引き出され、街道の両端から中央に向かってきた山車が午後八時半頃中間地点でぶつかり合うのだという。電飾と音響装置を満載した山車の上には裸同然の若者たちが怪異な扮装をして立ち、祭囃子にあわせて怪しげな踊りをしているのを見て「(こりゃ奇祭だ!)」と驚く。
■西からやってくる山車。
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■東からやってくる山車。
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帰郷して日記に書こうと思ったら「(はて、あの祭りは何という名前なんだっけ)」と肝心なことを聞いていなかったことに気づき、由比町の公式サイトにあたればすぐにわかるだろうとおもったのだけれど、「 10 月 8 日に由比で奇祭があります!」などという記載が全くない。「えっ!」と一瞬絶句し、誰かに聞いてみたくて由比の老舗和菓子店のサイトにメールで飛び込んで「あのお祭りの名前は何というのですか?」とたずねたら「お祭自体は『お日待祭典』という小さな地域のお祭です」と教えていただいた。
友人の魚屋も河岸で聞いてくれたそうで
「『今宿』あたりの『お日待ち』ずら」
とのことだった。人びとが日が暮れる頃に集まり潔斎して日の出を拝む行事を日待ちと呼ぶ。潔斎とあるので沐浴して酒肉を慎み心身を清らかにして新たな日が昇るのを待つ厳かな行事なのだ。
農村などで田植や取入れの終った時などに、の者が集まって会食や余興をすること。おひまち。(広辞苑第五版より)
とあるように次第に遊興化したものを清水では『お日待ち』というらしい。郷里ではあちらこちらの神社で膨大な数の『お日待ち』が行われるので、考えてみれば由比にも沢山あるわけで、町の公式サイトでいちいちとりあげて紹介するのは難儀なのだろう。やってみたら面白いと思うけれど。
■二つの山車が郵便局前で向かい合う。
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■山車がぶつかり合い、舞う紙吹雪。
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地域の祭りは地域に暮らす人びとが地域固有の憂さを晴らして新たな活力を呼び戻すための祈りが込められている。観光のためにあるのではないので、余所者がふらりと見に来て祭りの善し悪しを論ずるなどもってのほかだと思うが、いろいろな意味で激しい祭りであるために、この祭りを知っている人びとの感想も様々で面白い。
僕はといえば、久しぶりに祭りらしい祭り、地域という閉じた世界でこそ成り立つ無礼講と呼べそうに真っ直ぐな情念の世界を見て、ああ儲けたなぁと思う。
■人の営為を圧倒するほどの闇がある。
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こういう閉じた世界の祭りを見て「こんな変なことをしているのはひょっとしたら世界中でこの地域の人々だけではないか、その変な人々の一員に自分も取り込まれてしまうのではないか」と思う人間は次第にこの地域から離れ、「この地域に生きるからこそ、こういう祭りが必要なのだ」と思える人びとが地域に残り協力し合って、ちっぽけな地域にしては驚くほど大がかりで情念の爆発をともなう、祭りらしい祭りを維持されている。
祭りとは広義の風土病、その発症と平癒の過程を人為的に造り出して癒す、心の健康維持装置なのだと思う。
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