【張り子の王国】

【張り子の王国】

 

(『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2006 年 10 月 5 日の日記再掲

パチンコというものに興味を失って久しい。もう 20 年以上パチンコ屋に入ったことがない。

パチンコ屋の惹句によれば「娯楽の王様パチンコ」なのだそうで、最近のパチンコがどういう娯楽になっているかに関して漏れ聞く驚くべき情報から推理すれば、娯楽の殿堂は目も眩むような倒錯感を損なわないよう、まんべんなく音と光を行き渡らせた巨大な祭り張り子内部のようになっているのだろう。

■静岡県清水千歳町、パチンコ『ラッキープラザ』。
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 おやじがパチンコ屋を始めたのは、戦後間もない、まだ娯楽の少なかった昭和二十五年。パチンコ屋といっても、今では想像もできないくらいの小さな店だった。二十坪くらいで、台も二、三十台くらいしかなかったな。市内には、相生町を中心に二、三十店くらいあったかな。どの店も同じような規模だったよ。
 台は今みたいな電動式でなく、一発づつ打つ手打台で、入賞口に一個玉が入ると二個出る台が中心だったんだ。その後、入賞口によって、七個、五個、三個と出玉に変化を持たせた七五三とか、入賞口に玉が入ると十個、十五個、二十個出るというオール十、十五、二十というふうに変わっていったんだ。駄菓子屋や薬局の前には、入賞すると玉の代わりにキャラメルが出る台もあったなぁ。このころは、空調がないうえ、釘を打ちつけてあるベニアの糊が悪かったので、雨の日とか湿度が高い日は、釘が緩んで、よく玉が出てしまって大変だったな。天気予報がはずれた日は、朝早く起きて慌てて釘を狭くしたよ。玉は一個一円、景品にはチョコレートやキャラメル、セッケン、そしてタバコがよく出たよ。タバコは一箱三十円から四十円もしたから、一本、二本とバラにして交換したっけなあ。新生、光、ピース、朝日といったタバコも人気があったよ。(静岡県清水市発行『広報しみず』に掲載されていた「新・まちの思い出」より「パチンコ」) 

友人宅にあった懐かしい静岡県清水市発行『広報しみず』を見せて貰ったら、清水でパチンコ屋を営んでいた母の親友が聞き書きによる回想文を寄せていたことを知ってびっくりした。玉や景品に実体としての重さがあり、店が客の倒錯感維持装置としての「張り子の王国」になる前のお話である。

■静岡県清水千歳町、パチンコ『ラッキープラザ』。中学高校時代、この場所はボーリング場だった。何という名のボーリング場だったかは思い出せない。
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思えば 20 年以上前、母と最後に入ったパチンコ屋が「新・まちの思い出」にある彼の店だったのであり、その店も最近閉じられて更地になってしまっている。そういえばあそこにもここにも、清水の町の思いがけない場所に小さなパチンコ屋があった時代を思い出し、それらは何の匂いかはわからないが、特有の香りと分かちがたい「実体の王国」の記憶として、今も脳内に遺されている。

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