【『街道を(ちょっとだけ)ゆく』久能街道編2】

【『街道を(ちょっとだけ)ゆく』久能街道編2】

 

(『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2004 年 10 月 18 日の日記再掲)

この季節になるとお伽噺の『さるかに合戦』を思い出す。
 
木の上から猿が投げ下ろした、まだ硬い柿が当たって蟹が死んでしまう無念さは、その後の栗・蜂・臼による敵討ちの場面よりも印象が深い。そんなわけでか青い柿を樹上に見ると無念の形相の蟹を思い出すが、なぜかよく熟れた柿を見ると美味しい茹で蟹を思い出す。それにしても『さるかに合戦』には秋の象徴がちりばめられている。

清水消防署八分団脇を入って村松方向へ行く古道が久能街道である。

美濃輪町の魚屋『魚初商店』に買い物に行く時も、宮加三にある遠い親戚を訪ねる時も、帰省するたびに何度も往復する道だが、季節ごとに様々な出逢いがあって嬉しい。清水の古道沿いは農家が多かったようで、今でも農業を続けているお宅では、小さな無人販売所が行き交う人々の目と舌を楽しませている。

朝の久能街道で自転車を漕いでいたら、
「器量は悪いけれど美味しい甘柿です」
と書かれて一袋 200 円の柿が置かれていた。この時期、清水では八百屋の店頭には通称『ぬき柿』という名で渋を抜いた柿が並んでいて美味しいのだが、渋抜きをしていない甘柿は珍しいと思って眺めていたら、その甘柿によく似たおばあさんが近づいてきて、
「器量は悪いけれど美味しい甘柿です」
と段ボールの切れ端に書かれた通りの事を言うので、2 袋買って東京へのお土産にした。

帰宅すると叔父夫婦が遊びに来ていて、興津川上流で友人がズガニ(モクズガニ)をとってきたのを貰い大きいのを塩ゆでにしたということで、思いがけず珍しくも懐かしい頂き物をした。

幼い頃、秋になると祖父はどこからかズガニをとってきて、小さいものは生きたまま臼で潰し、すり鉢ですり、布巾で絞り、その絞ったものを煮立たせて味噌で味を付け、『ガニ汁』というのを作った。それを温かいご飯にかけて一気にかっ込む食べ方は、最高の蟹料理だと今でも思う。大きいものは別途塩ゆでにして祖父や叔父たちの酒のつまみとなり、祖父はその小さな爪の肉を器用に取り出して食べさせてくれたものだった。

叔父によれば、今では東伊豆河津町などでズガニ料理が名物になっているが、清水で生まれ育った祖父が若い頃に仲間と伊豆に渡り、瓦を焼きながら伊豆半島を転々とした際、伊豆の人々がズガニを食べない事に驚き、祭りの夜に仲間と夜店を開いてズガニ料理を売ったら美味しいと評判になり、地元の人も真似して作るようになり、今では伊豆でも普通にズガニ料理を食べるようになったという。

叔父が祖父から聴いた口伝なのだが、美濃輪町『魚初』の若主人によれば、祖父は清水旧市街でも一部の人の思い出の中ににたいへんな「おだっくい」として名をとどめているようなので、「伊豆に清水のズガニ料理を伝えたのはわが祖父である」という話しはたいへんに疑わしい。

それでも祖父が大のズガニ好きだったことは確かなようで、思い出話をする母と叔父によれば、祖父は「大潮の時のズガニが美味い」「麦の花の咲く頃のズガニが美味い」「木になった蜜柑の付け根あたりが黄色くなった頃のズガニが美味い」「木の上で柿が食べ頃になった頃のズガニが美味い」、などなど美味いズガニの事ばかり考えて暮らしていたらしい。

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