【『街道を(ちょっとだけ)ゆく』旧海道編】

【『街道を(ちょっとだけ)ゆく』旧海道編】

 

(『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2004 年 10 月 21 日の日記再掲)

道というのはどこかで尽きるもので、久能街道も不二見小学校脇で柳橋から宮加三へと続く柳宮通りに吸収合併されるように細くなり折れ曲がって尽きている(ように見える)。

その柳宮通りも東西に延びる太い道に突き当たって尽きており、その太い道は突き当たりを右折して日本平方面に進むと天王山遺跡があるので天王山遺跡通りという、そのまんまの名前が付いている。

天王山遺跡通りも海側に向かって左折すると、かつて国鉄清水港線と並行して走っていた海岸通り、国道 150 号線にぶつかって尽きている。

海岸通り国道 150 号線は産業道路といった風情で情趣に欠けて面白味がないのだけれど、そのちょっと手前を左折して北北東へ進路がとれる細道があり、初めて歩いてみたがひどく面白い。

奥まった住まいの手前に作業空間を持つ、いかにも農家風の佇まいの家が道に沿ってあるので「古道」かな、と思い、神社や寺、蔵のある商家まで現れて、古道であることを確信する。

清水の町に帰省して「ああ、清水らしいなぁ」と感動することの一つは、神社をめぐる地域住民、氏子たちの結束が非常に強く、祭礼などに嬉嬉として取り組む姿を当たり前のように見ることである。

この嬉嬉としてがくせ者で、清水っ子の嬉嬉としては極論を言えば心身症的であり、帰省中も早朝から夜明けを待ちかねたようにバンバン音花火が打ち上げられ、愛犬イビがワンワン吠え、
「朝っぱらから誰かがはしゃいでるけど、今日は何がある日だっけ」
などと眠い目をこすりながら母に尋ねたりする。清水弁におだっくい(お調子者)という言葉があるけれど、おだをくいはじめたらやめられないとまらないのが清水っ子であり、おだっくいのおだっくいたる所以である。

古道沿い、村松神社前に見事な幟旗(のぼりばた)が立てられており、神社の幟旗が立派で威勢が良いのも清水で印象深いことのひとつなのだけれど、ここの幟旗はひどく達筆であり、「うーん、いいなぁ」と感心しつつ見上げていたら、いつの間にかにっこり笑いながら老人が傍らに立っていた。

「こーの幟旗ん、たまんなくいいっしょ。大正時代に何代か前の海長寺のおっさん(和尚さん)が書いてくれただけーが、だいぶ古くなったもんで京都の染め物屋に作り直しを頼んだだよ。そうしたら染め物屋のてゃあしょうん一目見てこりゃあすばらしいもんだで丁寧に複製しましょうって言うじゃん、ついては多少筆の勢いは消えちまうけーが堪忍してくりょおってこんで作りなおいてもらった幟旗だだよ。何て書いてあるかっつーとこっちかたん『国威輝四海』、へーでもってこっちかたん何だっけな、あ、ほうだっけほうだっけ『●●照萬古』って書いてあるだだよ。ほう、この角度から写真撮っといて、ほいでもってみんなにたーんと伝えてくんな」

浜の真砂と道は尽きても盗人の種と自慢話は尽きそうにないので、きりの良いところで解説のお礼を言い、先に進むと総合運動場前の大通りドラッグストアの角に出たところで、この道も尽きている(ように見える)。

尽きる直前にちょっとした坂を下るので、昔はここで尽きざるをえない地形だったのかもしれず、同じく古道である次郎長通りとの繋がり方がよくわからない。

そのまま次郎長通りに入り、美濃輪稲荷大鳥居前の魚屋の若主人に「あの道はいいね」と言ったら、やはり昔の海沿いの道であり、古道なのだそうだ。その古道も次郎長通りも、どうして総合運動場前の大通りにぶつかって尽きている(ように見える)のかは聞き忘れた。

写真上段上:古道沿いの農家。
写真上段下:樹齢700年余。徳川家康が自ら奉納したと伝えられる海長寺の大蘇鉄。
写真下段上:「こくいしかいにかがやく」とおじいさんは唄うように読んだ。
写真下段下:「●●ばんこをてらす」とおじいさんが読んでくれたのに読みを忘れた。何と読むのだろう。
[Data:MINOLTA F100]

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