電脳六義園通信所別室
僕の寄り道――電気山羊は電子の紙を食べるか
【まちの古道】
たくさんの人が踏み分けることによってできた道はとても良くできている。
1974(昭和49)年7月7日、郷里静岡県清水に大洪水を引き起こした七夕豪雨の際、大内の田んぼ内で孤立した祖父母の家に向かった母は、洪水に行く手を阻まれていったん引き返し、高橋方面から北街道ルートを進んだら、押切の先で自衛隊のボートに乗せて貰うまで陸上を歩いて行けたという。低湿地だった郷里では歩ける高みに沿って道ができたから古道ほど水害に強い。
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古道久能道にて。
次郎長通りの魚屋で買い物をして帰る際に、古道志みづ道を通って古道久能道に出ると楽だと聞き、そうしてみたら確かに勾配が少なくて楽なのでそうしている。図面上で計画された道は図面上まっすぐで合理的に見えても、地面上を歩いてみれば強引に勾配を産んでいることが多い。
入江南に実家があった時は、久能道に出たらそのまま入江岡跨線橋を渡って帰っていたのだけれど、6月15日の帰省の際は、桜橋町の櫻珈琲に寄ってから帰京することにしていたので、久能道から再び志みづ道に入り、昌庵地蔵前を通って中央図書館裏手から県道清水富士宮線を渡り、清水市民文化会館脇から古道伝いに南幹線道路を渡り、さらに二本塚踏切で静鉄と東海道本線を渡って桜橋町まで歩いてみた。やっぱり楽だ。
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久能道入江岡跨線橋にて。
どうして楽なのかというと入江岡でも桜橋でも跨線橋を渡るのために坂があるのだけれど、志みづ道は踏切を渡るので勾配がないのであり、勾配というものは人に優しくない。勾配のない人に優しい志みづ道を台無しにしているのが県道清水富士宮線で、大曲と記念塔跡までの直線区間は横断歩道が少なくて歩道橋を渡らなくてはならないし、押しボタン式の横断歩道は壊れているのではないかと思うほど車優先で人を待たせる。東京でこんなに人を待たせる押しボタン式信号機に出会ったことがない、
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久能道入江岡跨線橋から眺める桜橋方向。
おそらくこの区間沿いに住む年寄りや障害者はこの道路によって生活圏を分断されているのであり、たいした交通量もないので、もっと人に優しいゆったりした横断歩道を作れば楽になって、いつまでもこの町で暮らしたいと思う人がたくさんいるのに……と古道を辿りながら思う。
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思わず笑ってしまいました。
それはともかく、たしかに昔からある道は人にやさしいし、災害にも強いようです。
逆に地図上に単に線を引っ張ってつくったような道路は人にやさしくないし、災害にも弱いようです。
なかには単に為政者や役所の技術屋さんの満足感のためなのかなんて都市計画道路もありますし・・・
駿府中心部から安東大岩方面に自転車で行くとき、行きは駿府公園を突っ切ってそのまま北上するとゆるやかな下り坂になって楽なのですが、その代わり帰りがけっこう大変なのです。
それが、多少迂回にはなるのですが賤機山に沿った昔からある麻機街道経由だと楽なのです。
等高線を考えれば当然だとは言え、たしかに昔の人は偉かったと実感します。
僕は知らない街歩きをする時、農道が道路として残ったような道を見つけて歩きますが、肉体的にも精神的にも疲れませんね。あおい君の書き込みを見たらまた静岡に帰省したくなりました(笑)
実際にはたいてやったのでしょか(笑)
無反応な信号機は、静岡県警御自慢の幹線道路の流れを最優先させたコンピュータ制御のためだと思います。
したがって、はたいてやりたくなるような人間心理など思い図ることなどできないのでしょう。
老人ホームでいつも怒っている「問題老人」と言われるおじいさんがいて、どうして怒っているのか調べたら食事の配膳方法がまずくて、料理が並んでから「いただきます」までの時間が長すぎて「きもをいらされすぎてる」のです。
我が家の義父母もそうですが待つことが苦手ですし、我々もじきにそうなるでしょう(笑)年寄りは「待て」が苦手です。
清水の「はたいてやりたい」信号がある場所では赤なのに待ちきれなくて渡ってしまう高齢者をよく見かけます。確かに車が見えないのにどうして青にならないんだろうと僕でも思います。静岡のボタン信号の傾向が総じてそうなら、静岡の高齢者交通事故死に信号機の果たしている役割は小さくないと僕は思います。きっと。