◉興津と福山

2019年2月7日
◉興津と福山


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井伏鱒二を読んでいたら彼は福山誠之館中学の卒業だという。

誠之は「誠者天之道也、誠之者人之道也」(誠は天の道なり、これを誠にするは人の道なり)という『中庸』の一節からとられている。そして近所にある文京区立誠之小学校は「誠之人道」を校是としている。それは福山藩校の誠之館と共通であり、なぜなら誠之小学校は備後福山藩丸山中屋敷を譲り受けて開校されたからだ。

昨年、雑誌『季刊清水』の調べ物で清水区興津に興津氏の居館跡を訪ねた際、最後の福山藩主阿部正桓(まさたけ)の別荘跡を見つけて驚いた。正桓は文京区に住んでいたが興津に別荘があったことは知らなかった。

【1899年築の寄棟書院造室内】

【1922年増築部分】

【矢印の山上に阿部邸はある】

東海道の要衝興津で、陸と海の道に睨みをきかせていた興津氏の居館前の高台に阿部氏の別荘跡はあった。どんな思いで興津の風景を眺めたのだろうか。絶景の地に建つ歴史遺産なので朽ち果てるにまかせるのは惜しいことである。

(2019/02/07)

コメント ( 2 ) | Trackback ( )
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コメント
 
 
 
もし (浮雲)
2019-02-07 09:42:43
普段はあまり考えませんが、こんな時は「もし私に金があれば!」とつくづく悔しくなります。ね。ホントに惜しいです。
 
 
 
ほんとうに ()
2019-02-07 10:04:01
駅からの便はいいし、繁茂した木々を整理すれば駿河湾を見渡す絶景だし、こうなる前になんとかならなかったのかとため息が出ます。
 
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