◉強調の表記について

2019年8月27日
◉強調の表記について

 
 

◉強調の表記について

語句を強調したい気持ちを “ ”(ダブルクォーテーション)や〝 〟(ダブルミュート)で囲んであらわす書き方がある。「 」(カギカッコ)を用いることもあるけれど、カギカッコには本来の話し言葉を表す記号としてのほかにもいろいろ使い道があるので紛らわしい。

団塊世代で学生運動のお兄さんたちが “ ”(ダブルクォーテーション)を盛んに使って雑誌などに演説風文章を書いていた時期があり、いまでも立て看アジ文字風書体を書く人たちが、かつてよくやっていた。「いわゆる、 “いわば” というニュアンスで書いてるんだから、言葉を文字通りに受け取んじゃねぇよ!」ということを記号で囲んで強調していたわけだ。

ワープロやパソコンが普及したら引用符 “ ”(ダブルクォーテーション)を他人の文章を引くための引用符として使う人たちが増えて、最近は「言葉を文字通りに受け取んじゃねぇよ!」的な用法を見かけなくなった。とはいえ実は、あの “ ”(ダブルクォーテーション)は「俺たち世代はみんなこう考えてるんだぜ」的に衆を頼んだ引用だったのかもしれない。

そのかわり学術的な難しい本でよく見かけるようになったのが 〈 〉(ヤマカッコ)で、「言葉を文字通りに受け取んじゃねぇよ!」にかわって「この言葉は独自の解釈と定義に基づいて使用しています」であるということになっている。私ではなく 〈この私〉 から生まれ出ずるもろもろの事象について述べるのに適した実存の記号的表現なのだろう。〈 〉(ヤマカッコ)が頻出して、学際的に意見を同じくする衆を頼んだ引用に見えるとき、ちょっと嫌な気分になる。(9:04)

池袋 2019

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昨日の日記にイタリア人「ジローラモ」について書いたら、友人が書いている日記に、イタリア人ジローラムのことを間違って「イタリア人のジェラローム」と書いた、それを友人は嫌味にならないようサラッと別件で書き込んでくれていて、「気配りのひとだなあ!」などと感謝した、と書かれていた。気配りではなく友人の間違いに気づかなかっただけだ。さらに気配りのひとでない証拠にねっちり書いておくと「ジローラム」ではなく「ジローラモ」である。

池袋 2019

カタカナ言葉はなかなか覚えられない。友人からもらったお花のギフト券があるので鉢植えの観葉植物を買おうと話している。室内に置けるあのヤシはどうだろうと話したら、室内にあのヤシを置くのは夢だったと妻が言う。池袋駅地下街を歩いていたら、お目当のヤシがあるので値段を確認し、なかなか覚えられないそのヤシの名を工夫して記憶してきた。妻に「あのヤシの名前を言えるか?」と聞いたら「〇〇〇ヤシ」といくつ言っても当たりが出ない。小泉進次郎との結婚を発表した滝川クリステルの「お も て な し」を思い浮かべて覚えればよいと教えてやった。ヤシの名前は「あ れ か や し」である。

コメント ( 2 ) | Trackback ( )
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コメント
 
 
 
追い打ち・丁寧な人へ (浮雲)
2019-08-27 12:39:57
ムじゃないな、モだなと気づきましたが、後の祭りというやつで、そのままにしました。無視かなとも思いましたが、そう来ましたか!
 
 
 
平将門 ()
2019-08-28 08:38:25
わが夫婦はいまでもアボガドロ数の影響か、アボカドのことをアボガドと言ってしまうので、タイラノアボカドノランと口ずさんで濁らない訓練をしています。
 
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