土(ど)村


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 但沼車庫から乗車した土(ど)行きのバスは20分弱で終点土バス停に到着する。「土(ど)」では地元の人も言葉にしづらかろうと思ったら、バス停前に土村の観光掲示板があった。なるほど「どむら」なら言いやすいと思ったが、ブログで地元の人たちは「どんむら」と言うと教えていただいた。

|土バス停前|2012年8月22日|

 土バス停より先、大平まで行くバスもあり、その先が山梨・清水間を繋いだ古道徳間峠になる。徳間峠が開かれる前は樽峠が使われていたそうで、山梨側から樽峠越えで中河内に入り、そこから西河内側に入ってここまで来るには、いったいどこを通ったのだろうと調べたら元沢峠らしい。元沢峠もいちど歩いてみたいと思っている。
 土(ど)という大字にも驚いたけれど、このあたりは不思議な読みの地名が多く、土村対岸の葛沢は「つづらさわ」ではなく「とずらさわ」だし、樽峠方向からこのルートに接続していたらしい元沢峠は、「もとざわとうげ」ではなく「もんざわとうげ」と言うらしい。

|この道が大平を経て徳間峠に向かい途中から元沢峠に分岐する|2012年8月22日|

 土バス停でたった一人の乗客を降ろした静岡市自主運行バスは布沢川沿いに左折し、どこへ行くのだろうと見ていたら酒屋脇に入って休憩し、但沼車庫行きになって帰って行く。なんともかわいらしい光景だ。

|布沢川|2012年8月22日|

 この布沢川に沿ってどこまでも行くと、甲斐の武田が駿河に侵攻するために拓いたという言い伝えのある四十坂になる。山並みを越えた向こう側にある目的地をめざす心境には、都会暮らしで忘れた面白さとわくわく感がある。

|この先、布沢集落を経て四十坂へ|2012年8月22日|

コメント ( 6 ) | Trackback ( )
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コメント
 
 
 
流し素麺 (サッカーおやじ)
2012-08-30 05:08:38
樽峠、とても懐かしいです。
中1の夏、友人の親戚が樽峠下の?にあるということで遊びに行ったことがあります。
僕と友人と父ともう一人の友人と二泊三日でしたが、
一泊は峠下の無人の山小屋に泊まって、蜂に刺されたり、晩御飯の支度に戸惑ったり、ピンチの連続でしたが、こんな事の方が楽しい記憶に残っています。
河原でやってくれた壮大な流し素麺はすごかった!
朝霧やでっかい蚊帳など、今でも思い出します。 
 
 
 
 (あおい君)
2012-08-30 14:08:22
実は静岡市の行政町名で「ド」というのは二つあります。
清水区の「土」と葵区の「渡」です。
 
 
 
 ()
2012-08-30 17:15:15
なんと安倍川上流なんですね。
しかも清水区で一番多い白髭神社もそばにあるし、地図で見た限り不思議な地形で、お寺もある“しるしつき”な場所ですね。歩いてみたい。たしかに「ド」って何だろうと「ミ」が気になりますね(笑)
 
 
 
樽峠 ()
2012-08-31 03:10:22
>樽峠、とても懐かしいです。

なんと夏に樽峠へ登ったことがあるんですね。
樽・徳間・高ドッキョーと取材に行こうかと思ったのですが、山ヒルが出るぞと言われて、どうしようか躊躇しています(笑)
 
 
 
 (mcberry)
2012-08-31 21:55:14
渡はお寺のところを調査したことがあります。
調査箇所はぼろぼろだったのに
そのほかはびんびんで、過大設計になってしまいました。
地形が変なのは糸魚川静岡構造線の影響か過去に安倍川の流露が違っていたせいです。
安倍川沿いにはこうしたケルンコル、ケルンバットを思わせる地形がまま見られます。
 
 
 
谷の思想 ()
2012-09-01 03:09:38
コメントありがとうございます。先ほどTwitterに投稿した140字です。

静岡の古本屋で昔『谷の思想』という上製本を買い、書名と目次に心ひかれながら読み通せていない。ケルンコル、ケルンバット(断層鞍部と断層突起)について教えてもらったら、自分の興味が民俗学と自然科学をつなぐ、フィールドワークとしての地形学なんじゃないかと思えてきた。入門書を探そう。

昨日の興津川上流の学校に資料を借りに行き、校長先生と話をしていたら、かつて O 先生の同僚だったそうです。その資料をまとめ、今月も先生宅で指導を請います。
 
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