【熱血!清水みなと】

2014年5月16日(金)

熱血!清水みなと

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編集委員をしている郷土誌の編集会議が始まり、静岡に出かける前に気になっていた村松友視著『熱血!清水みなと』PHP研究所を読み返してみた。この初版本は 1983 年 6 月 24 日発行となっている。

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日本の高度成長期は 1954(昭和29)年に始まって 1973(昭和48)年に終わったとされている。この本に書かれた、元気で威勢のよい村松節で語られる清水みなとの背景とは、いったいいつ頃なのかがあらためて気になったので読み返してみたのだ。村松友視は 1946(昭和22)年に清水に移り住んで岡小学校へ入学し、大学に入学するため 1958(昭和33)年に清水を離れている。

|飲み屋をやっていた母に貸したら客と回し読みしたらしく、常連からの伝言がはさまれていた|

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清水みなとを舞台にして自分史的なものを書き、地元だけでなく広く世間に受け入れられた人といえば村松友視とさくらももこである。そのさくらももこは1971(昭和46)年に入江小学校へ入学している。

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日本の高度成長期と清水の景気がよかった時代に微妙な齟齬があるのは、戦後間もない頃から「清水みなとに行けば何か仕事があるからなんとかなる」と言われて全国から人が押し寄せたように、清水の復興と経済成長は早い時期から始まっていたからだ。村松友視が岡小に入学した年に第一回清水みなと祭りが開催され、市民は復興の歓喜に湧いたのだ。

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そしてさくらももこが入江小学校に入学した年にニクソン・ショック、いわゆるドル・ショックが起こって日本経済は大打撃を受け、1973(昭和48)年、日本の高度経済成長期が終わるのである。

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しかしその時代の清水を新聞記事から追っていくと、ドル・ショックは影響なしということで様々な産業の好調が続いている。清水の経済はその後もほどほどに賑わいつつ緩やかに下降していく。それはさくらももこの代表作『ちびまる子ちゃん』に描かれているとおり。

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岡小学校に入学した村松友視は高度成長時代へ至る右肩上がりの清水を描き、入江小学校に入学したさくらももこは高度経済成長時代からの右肩下がりの清水を描いたのである。

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清水の高度経済成長時代というのは、寿司のようなドンシャリ型ではなく、なだらかな裾野を持つ富士山のような形をしていたのであり、それはこんなひどい時代になっても明るさを失わない清水っ子の気性に深い影響をあたえている…、かもしれないという話をしてきた。

コメント ( 3 ) | Trackback ( )
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コメント
 
 
 
Unknown (susa)
2014-05-16 19:31:27
私も読みました。清水人であれば皆様お読みになったのでは。
あと、NHKで全国ネットで「清水港ストーリー」というのをやってました。柴田恭平主演でした。
すべてビデオ録画してあり、たま~に見ています。
当時一人暮らしをしているときで故郷を懐かしんで
おりました。(余談)
 
 
 
ネアカのハングリー (薬局の末息子)
2014-05-16 19:59:12
村松友視さんは 清水のことを ネアカのハングリー と表現してますね(巴川)
 
 
 
Unknown ()
2014-05-17 13:17:59
「清水港ストーリー」なんか記憶にあるようなないような。
薪能の話が出てくるドラマもあったような気がしますが朧です。

最近、清水は墓参りだけでスルーして旧静岡市に用事が多いのですが、東京の植民地的な中心市街地ではなく、ちょっとはずれた町並みを歩くと、昔の清水のような懐かしさが感じられて感動します。本当の東京下町より、第二、第三の東京山の手と言われた中央線や私鉄沿線にある古びた町並みの方が、昭和の東京下町情緒をいまも伝えているのと同じ現象です。

古いまま取り残されている旧静岡っ子も根は明るそうです。
 
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