【まちの懐かしさ】

2014年5月17日(土)

まちの懐かしさ

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「最近、清水は墓参りだけでスルーして旧静岡市に用事が多いのですが、東京の植民地的な中心市街地ではなく、ちょっとはずれた町並みを歩くと、昔の清水のような懐かしさが感じられて感動します。本当の東京下町より、第二、第三の東京山の手と言われた中央線や私鉄沿線にある古びた町並みの方が、昭和の東京下町情緒をいまも伝えているのと同じ現象です。」

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ブログへの書き込みに答えて返信ともつかないこんなコメントを書いたけれど、これは最近旧静岡市街を歩くたびに感じることだ。東京の住まいに近い谷中、根津、千駄木地区もそうだし、静岡駅北口に近い商店街もそうだけれど、街が活性化と呼ばれる現象で賑わっても、そこから得られた富をどこか遠くへ持ち去るための、道具として使われているだけのように見えて仕方がない。

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そういう現象から外れた地域では、経済の右肩下がりの坂道から滑り落ちないように、あえぎあえぎ暮らしているように見える。静清合併直後頃の清水がそうだったけれど、清水の町はもうすっかり桶の底まで抜けてしまい、今ではあっけらかんとした聖諦すら感じるし、ダウンシフトの果てに新たな幸せへの可能性を感じる段階へ進化を果たしつつあると感じることも多い。清水はしぶとい街なのだ。まだそこまで至らない旧静岡のやるせなさに、かつての清水を見ているような懐かしさを覚えるのかもしれない。

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東京山手線内で暮らしていると、自家用車に乗る必然性もあまり感じなくて、親たちとの暮らしが終わったことをきっかけに処分してしまったけれど、日用雑貨の買い物は郊外の大型店しか選択肢がないので、不便を感じることが多い。

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先日も東京から静岡に出たついでに、ジャンボエンチョー静岡店に寄って買い物をした。地図を見たら静鉄音羽町駅が近そうなので、下車して歩いたら、まるで昔の清水を見るような懐かしい町並みを歩いて胸がいっぱいになった。懐かしさというのは場所ではなく層をなした時の断面露出部にあるのかもしれない。

コメント ( 2 ) | Trackback ( )
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コメント
 
 
 
身近な商圏 (あおい君)
2014-05-20 11:19:29
静岡の中心市街地を取り囲むようにあった、商店はもちろん映画館までそろった徒歩圏内の身近な商圏が消滅して久しいですが、それでも駒形を始めとしてその片鱗を確認できる地域もありますね。

音羽町と言えば、音羽町駅から北街道までの区間は道路拡幅計画が進行中です。
道路が広がると商店などなくなり、のっぺらぼうな町並みになりがちなのですが、ここも例外ではないかもしれません。
 
 
 
きよみずさん通り ()
2014-05-20 12:52:15
いま1970から72年の新聞を読むために県立中央図書館に通っています。国会図書館が作ったマイクロフィルムなのですが、県立図書館だと空いていて開架式なので。1971年あたりに、まちづくりの計画もないまま北街道拡幅工事という記事がありました。

きよみずさん通りですね。「岩政そば」の風情が大好きだと言っていた友人がいるので早いところ行ってみます。
 
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