【母と歩けば犬に当たる……112】

東海道みとり旅の記録
【母と歩けば犬に当たる……112】
 

112|夏みかんの頃

 遠くの高度医療より近くの地域医療。母のように問診を受けて痛み止めを貰うだけの通院では、本人がそれでよければ、病院は近い方がいい。(★1)
 住み慣れた地域の香りが恋しくなる季節が人生にもあるのだろう。もう近所の病院でいいと本人が言うので、足かけ十ヶ月通った県立静岡がんセンターから市立清水病院へと通院の場を移す。
 地元の病院なので知り合いも多く、評判のよい医師の噂も聞き集め、名指しで紹介状を書いてもらい、母は母、息子は息子なりの判断基準を持って、新たな病院で新たな診察室の扉を開ける。
 静岡市と合併する前、かつて清水市立病院は松原町にあり、地名通り、病室の窓を開ければ海の匂いがする港町の総合病院だった。厚生病院、桜ヶ丘病院、富士見病院とともに、市立病院と呼ばれて清水っ子にはなじみ深く、知り合いの者が入院したと聞けば、
「どこへと入院しただね」
「市立病院」
「ほいじゃあ近いんて覗いてみるよ」
などと話し、旧静岡市内に県立富士見病院が移転して県立総合病院になり、その跡地に新たな病院を建設して移転するまで、市立病院は海辺の病院というイメージがあった。
 静岡県立総合病院、順天堂医院、静岡県立静岡がんセンターと病院を渡り歩くうちに確認し合った母と息子の共通認識は、どんな医師と医療にめぐりあうかは縁であり運であるということである。縁と運によって今まで生かされてきたのであり、最後に命を預ける縁と運を求めて、郷里の港町に帰ってきたともいえる。
 そんな感慨深い通院開始の朝である。
 清水にできる新しい老人福祉施設は山沿いに作られていることが多く、訪問して窓辺にミカン山が見えると不思議に心和む。空洞化する中心市街地の再開発にどうして老人福祉を取り入れないのかと首を傾げつつも、市の郊外、日当たりのよいミカン山を枕にして暮らすのは悪くないなと思ってしまうのである。
 枕元に置かれた苦くて酸っぱい夏みかんの匂いが懐かしく心安らぐ。住み慣れた地域の香りが恋しくなる季節に訪れた新しい市立清水病院で、ここもまたみかんの香りを枕元(★2)に置いて休める場所なんだと、清々しさを感じながら縁と運のあらたなくじを引く。

(2005年6月10日の日記に加筆訂正)

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★1 病院は近い方がいい    
がんは少なくとも痛みに耐える病気ではなくなったとも言われる。痛み止めの切り札はモルヒネであり、かつて麻薬と呼ばれたがために今でも患者や医師から誤解を受けることの多い奇跡の痛み止めである。抗ガン剤投与を拒否した母の通院の主な目的は、二週間単位でしか処方してもらえないモルヒネ製剤を貰うためである。
★2 枕元
順天堂医院も県立静岡がんセンターも院内処方であり、市立清水病院は院外の調剤薬局で薬を受け取らねばならず、ちょっと厄介だなと思ったら、なんと実家至近の眞長薬局で手に入ると聞いてほっとする。遠回りしたが母の枕元に大切な薬はあったのだ。

【写真】 市立清水病院。

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