【母と歩けば犬に当たる……111】

東海道みとり旅の記録
【母と歩けば犬に当たる……111】
 

111|天王山今昔

 母親が受ける治療の場を、県立静岡がんセンターから静岡市立清水病院に移すことにした。母は自動車の助手席に座ってがんセンター通いをする体力もなくなってきた。
 もしかしたら最後になるかもしれない親戚からの自動車借り出しに向かい、県道駒越富士見線を遠回りして市立清水病院近くまで行ってみる。
 J1清水エスパルスの試合が行われる日本平スタジアムから海に向かって東に700メートルほど下った場所に天王山遺跡がある。この場所は縄文前期から古墳時代に至るまでの数千年間、繰り返し繰り返し重層して集落が作られた痕跡があり、要するにとんでもなく昔の郷土の人々が「ここが一番住みやすい」と支持してきた土地なのである。
 かつて通りかかった西行法師はこの場所からの絶景に「筆舌に尽くし難し」と感服し、傍らにあった池に筆を捨てた(「筆捨ての池」由来)というし、雪舟は遣明使に随行して渡明し、明帝と謁見した際、日本随一の絶景はどこかと問われてこの地からの眺めを推したという。
 清水市立第二中学在学時は三年間社会科クラブに在籍し、最初の校外活動が天王山遺跡での表面採集だった。表面採集というのは遺跡を掘ったりせず、発掘作業の際に出土して地表に落ちた埋蔵品のカケラを拾うことであり、要するに考古学の残飯あさりなのだけれど、それがなかなかおもしろく、土器や石器のカケラをたくさん見つけ、興奮して帰宅したのを覚えている。
 当時は公園として整備されていない雑草の生い茂った空き地であり、草いきれの中、半袖の開襟シャツで汗を流しながら地べたに目を凝らしていた。ちょうどこんな季節だったかもしれないな、と自転車を停めてひと休みする。
 県道駒越富士見線の富士見という名前がどこから来たのかは知らないけれど、かつてこの近くに県立富士見病院があり、それが移転して県立総合病院となり、その跡地に市立清水病院が移転したのである。
 高校時代、母が末期の肺ガンだと誤診され、入院していたのが富士見病院であり、末期のすい臓ガンで余命6ヶ月と診断されたのが県立総合病院であり、その後2年近く頑張って新たな地域医療の場に選んだのが市立清水病院という巡り合わせになっている。思えばこの場所にはいつも母にとって人生の天王山(★1)があったとも言えるのが奇妙な因縁である。
 病院と医師の評判も聞きながら、まだ県立がんセンターに診察予約も残したまま、緊張感のある天王山通いが始まる。

(2005年6月5日の日記に加筆訂正)

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★1 天王山
山崎の戦いで先に天王山を占拠した秀吉が光秀を破ったことから天王山は天下の分け目と言われる。その天王山は京都だけど。

【写真】 天王山遺跡。

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