【後釜と銅像】

2020年7月10日

【後釜と銅像】

神は死んだと言ったニーチェが死んだのは 1900 年、これからは銅像がカネになる時代だと、息子の光太郎に高村光雲が「銅像会社」設立を働きかけたのが 1909 年だった。神が死んだことになったヨーロッパの人々は、「理性」や「理想」や「国家」など、神の後釜(あとがま)になるものを求めて大混乱の歴史を開いた。

仏教思想では「我(アートマン)」を「常一主宰」という。永遠に変化しないことを「常」、独立で自存することを「一」、中心の所有者であることを「主」、支配する能力を持つことを「宰」といい、すべてのものはそういう常一主宰すなわち「我」であってはならないとして「諸行無常」「諸法無我」の教えがある。

「神の後釜」が常一主宰的な代表物の「銅像」であり、世界は「銅像」をつくって「我」を押し通す時代になったのだ。父に「銅像会社」を作ろうと言われた光太郎は面食らっただろうが、光雲は抜け目なく神なき時代をとらえていたのだろう。

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