【染井村から駒込名主屋敷まで】

【染井村から駒込名主屋敷まで】

 

高いところにある歴史的視点から見ると東京は空襲で焼け野原になっている。視点をもっと低くして地域を見ると奇跡的に焼けなかった町域もある。さらに地面に降りて人々が書き残した資料を読むと、わずか数十メートルを隔てて、焼けたものと焼けなかったものがある。

江戸時代に駒込神明宮と呼ばれて駒込村総鎮守だった天祖神社は、空襲によって建物が残らず消失している。一方ほぼ隣り合った高木家の屋敷、通称駒込名主屋敷は享保 2( 1717 )年築と伝えられる江戸時代の建物も焼けずに現存している。

駒込本村と枝村だった染井村をつなぐ古道も、現代の地図で高所から見るとそれらしき道筋をたどれるけれど、幕末から明治維新ころの地図を見ると微妙にずれている。大震災もあったし、空襲もあったし、戦後の都市開発もあったわけで、人が歩いて踏み分けた道は埋もれて見えにくくなっている。

終戦直後、二十年代前半の航空写真を見ると、やはり古道の西側に沿った現在の広い道はまだない。自分が古地図上の古道だと思っていた道は微妙に東にずれて現存する。

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